以前、【笠地蔵をあらためて考えよう】なんていう記事を書いたことがあるんですが、笠地蔵、良い話ですね。ところで、この「原典」と考えられている話が、仏教説話には存在しています。それが、「須達長者」という人についての話です。この人は、スダッタ長者といい、多くの貧しい孤独な人に食を施したことから、給孤独(ぎっこどく)長者とも呼ばれます。仏教教団に対する最大の外護者の1人であり、教団に「祗園精舎」を施したことで知られています。
さて、この須達長者ですが、まさに貧富の波の中で辿った一生(「七度富貴に成り、七度貧窮に成れり」と『今昔物語集』では伝える)であったようで、その状況は『雑宝蔵経』『賢愚経』などの説話経典にも見えますし、日本ですと『今昔物語集』「天竺部」にも引かれています。おそらくは、夢窓国師も、その辺をご覧になった上で、以下の説話を説かれたのでしょう。
昔、インドの須達尊者は、老後に至りそれまでの幸福が衰え、渡世の計略も尽き果て、長年使えてきた者も1人もいなくなった。ただ、夫婦2人だけになってしまった。財宝はなかったが、流石に空き倉はたくさん持っていた。「もしかして……」と思って、倉の中を探したところ、栴檀にて作った「升」を1つ探し当てた。これを、米4升に換えることが出来たので、「これで、2〜3日の命をつなぐことが出来る」と嬉しく思っていた。
須達は、用事で外出していた。その時、(仏弟子の)舎利弗が、須達の家に来て、食を乞うた。須達の妻は、4升の米の内、1升を分けて供養された。その後、(同じく仏弟子の)目連・迦葉も来て、同じように乞うたので、(妻は)また2升を奉じた。残りは1升になってしまった。「これだけあれば、今日くらいは命を繋げられよう」と思っていたところ、今度は如来(仏陀、ゴータマ=ブッダ、釈尊)がやってきた。(妻は)惜しむ理由が全く無かったので、すぐに供養し奉った。
さて、(その時、妻が思うには)須達は外出していたが、疲れて疲れて帰ってきたとき、どのように(申し開き)しようかと思ったところ、悲しくなった。また、仏と僧とを供養し奉ることは、その時々の状況で行うべきなのに、自分の命であっても繋ぎ難いのに、4升全て皆、奉ってしまったのは正しくないと、須達に叱られそうだと、悲しく思われて、泣き伏していた。そうしている間に、須達が外出から帰ってきて、妻が泣いていることを不思議に思い、その理由を問うたところ、妻はありのままを答えた。
須達がこれを聞いて申すには「三宝の御ためには、身命であっても惜しむことはあってはならない。今、ここで餓死に及んでも、どうして我が身のためとして、物を惜しむことができようか。(妻の行いは)ありがたく思えるよ」と、感嘆した。
その後、先ほどの(栴檀の)升のようなものでもあればと思って、空き倉の中を探そうと思ったら、倉という倉の扉がギュウギュウに詰まって空けることが出来なかった。不思議に思って、戸を打ち破ったところ、米・銭・絹・帛・金・銀などの種々の財法が、元々のように全ての倉に満ちていた。その時、仕えていた者などもまた集まってきて、元の長者に戻った。
このような福分が再び来たことは、4升の米の代わりに、仏が与えたわけではない。ただ、これは、須達長者夫妻がともに、無欲清浄なる心中だったから来たものである。
『夢中問答』第1則、拙僧ヘタレ訳
まぁ、何となくですが、記事を見ている人から「そんなバカな」という声が聞こえてくるような気がしますが、しかし、これが伝えられています。どうやら、かなり有名な話だったようです。そして、「損して得取れ」というよりも、「損得を超えた行い」を求める仏教に於いて、須達長者夫妻の無欲の布施が讃えられています。布施は無欲に、それこそ身命であっても捨てる位でなくてはなりません。この辺、現代の日本人には絶対に理解出来ないことでしょう。いや、夢窓国師在世時だっても同様だったかもしれません。だからこそ、却ってこの説話が語られたのです。
なお、無論のこと、こういう風に、全てを抛ったところ、気付いたら元の通りに返ってきたという事態がちゃんと起きれば良いのですが、現実にはそんな簡単ではなく、おそらく、僧団所属の僧侶が増えると、各地で乞食をめぐっての紛争も発生し、結局『律』では、その受け取り方に対する決まりが出来、或いは『遺教経』などにも、「人の供養を受けては、趣かに自ら悩を除け。多く求めて其の善心を壊することを得ること無かれ」などと説かれていますが、これなども僧による貪りを誡めています。ただ、その前に在家信者による布施のあり方を示すものとして、この話が出ていますし、それから、「仏法僧の三宝」が、福田であることをも指しているのです。
ただ、インドを中心とした話ですと、仏陀を登場させることが出来ますし、三宝のイメージを抱きやすいわけですが、日本だと違和感がありますので、結果的に「お地蔵さま」なのでしょう。「笠地蔵」にでてくるお爺さん・お婆さんは、この須達長者夫妻をモデルにしているのです。
今日はクリスマスイブになります。まぁ、元々のクリスマスの意味は薄れて、最近ではとりあえず身近な人に贈り物をするという感じになっているでしょうか?その時も、見返りなどを求めて行う人がいたとすれば、それは、贈り物の本当に有り難さが出て来ませんね。無心に差し上げて、無心に喜ぶ、それだけで良いのです。最近では、クリスマスが楽しみではないという人も増えてきたようです。商売に熱を入れすぎて、何もかもがマニュアル化され、価値付けされて・・・そういう社会が嫌なのかも知れませんよ、嫌だという人は。
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さて、この須達長者ですが、まさに貧富の波の中で辿った一生(「七度富貴に成り、七度貧窮に成れり」と『今昔物語集』では伝える)であったようで、その状況は『雑宝蔵経』『賢愚経』などの説話経典にも見えますし、日本ですと『今昔物語集』「天竺部」にも引かれています。おそらくは、夢窓国師も、その辺をご覧になった上で、以下の説話を説かれたのでしょう。
昔、インドの須達尊者は、老後に至りそれまでの幸福が衰え、渡世の計略も尽き果て、長年使えてきた者も1人もいなくなった。ただ、夫婦2人だけになってしまった。財宝はなかったが、流石に空き倉はたくさん持っていた。「もしかして……」と思って、倉の中を探したところ、栴檀にて作った「升」を1つ探し当てた。これを、米4升に換えることが出来たので、「これで、2〜3日の命をつなぐことが出来る」と嬉しく思っていた。
須達は、用事で外出していた。その時、(仏弟子の)舎利弗が、須達の家に来て、食を乞うた。須達の妻は、4升の米の内、1升を分けて供養された。その後、(同じく仏弟子の)目連・迦葉も来て、同じように乞うたので、(妻は)また2升を奉じた。残りは1升になってしまった。「これだけあれば、今日くらいは命を繋げられよう」と思っていたところ、今度は如来(仏陀、ゴータマ=ブッダ、釈尊)がやってきた。(妻は)惜しむ理由が全く無かったので、すぐに供養し奉った。
さて、(その時、妻が思うには)須達は外出していたが、疲れて疲れて帰ってきたとき、どのように(申し開き)しようかと思ったところ、悲しくなった。また、仏と僧とを供養し奉ることは、その時々の状況で行うべきなのに、自分の命であっても繋ぎ難いのに、4升全て皆、奉ってしまったのは正しくないと、須達に叱られそうだと、悲しく思われて、泣き伏していた。そうしている間に、須達が外出から帰ってきて、妻が泣いていることを不思議に思い、その理由を問うたところ、妻はありのままを答えた。
須達がこれを聞いて申すには「三宝の御ためには、身命であっても惜しむことはあってはならない。今、ここで餓死に及んでも、どうして我が身のためとして、物を惜しむことができようか。(妻の行いは)ありがたく思えるよ」と、感嘆した。
その後、先ほどの(栴檀の)升のようなものでもあればと思って、空き倉の中を探そうと思ったら、倉という倉の扉がギュウギュウに詰まって空けることが出来なかった。不思議に思って、戸を打ち破ったところ、米・銭・絹・帛・金・銀などの種々の財法が、元々のように全ての倉に満ちていた。その時、仕えていた者などもまた集まってきて、元の長者に戻った。
このような福分が再び来たことは、4升の米の代わりに、仏が与えたわけではない。ただ、これは、須達長者夫妻がともに、無欲清浄なる心中だったから来たものである。
『夢中問答』第1則、拙僧ヘタレ訳
まぁ、何となくですが、記事を見ている人から「そんなバカな」という声が聞こえてくるような気がしますが、しかし、これが伝えられています。どうやら、かなり有名な話だったようです。そして、「損して得取れ」というよりも、「損得を超えた行い」を求める仏教に於いて、須達長者夫妻の無欲の布施が讃えられています。布施は無欲に、それこそ身命であっても捨てる位でなくてはなりません。この辺、現代の日本人には絶対に理解出来ないことでしょう。いや、夢窓国師在世時だっても同様だったかもしれません。だからこそ、却ってこの説話が語られたのです。
なお、無論のこと、こういう風に、全てを抛ったところ、気付いたら元の通りに返ってきたという事態がちゃんと起きれば良いのですが、現実にはそんな簡単ではなく、おそらく、僧団所属の僧侶が増えると、各地で乞食をめぐっての紛争も発生し、結局『律』では、その受け取り方に対する決まりが出来、或いは『遺教経』などにも、「人の供養を受けては、趣かに自ら悩を除け。多く求めて其の善心を壊することを得ること無かれ」などと説かれていますが、これなども僧による貪りを誡めています。ただ、その前に在家信者による布施のあり方を示すものとして、この話が出ていますし、それから、「仏法僧の三宝」が、福田であることをも指しているのです。
ただ、インドを中心とした話ですと、仏陀を登場させることが出来ますし、三宝のイメージを抱きやすいわけですが、日本だと違和感がありますので、結果的に「お地蔵さま」なのでしょう。「笠地蔵」にでてくるお爺さん・お婆さんは、この須達長者夫妻をモデルにしているのです。
今日はクリスマスイブになります。まぁ、元々のクリスマスの意味は薄れて、最近ではとりあえず身近な人に贈り物をするという感じになっているでしょうか?その時も、見返りなどを求めて行う人がいたとすれば、それは、贈り物の本当に有り難さが出て来ませんね。無心に差し上げて、無心に喜ぶ、それだけで良いのです。最近では、クリスマスが楽しみではないという人も増えてきたようです。商売に熱を入れすぎて、何もかもがマニュアル化され、価値付けされて・・・そういう社会が嫌なのかも知れませんよ、嫌だという人は。
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