今日1月7日は五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)の一である人日です。その日の朝には、7種の野菜(七草)が入った粥を食べる風習がございます。具体的には「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すすな・すずしろ」でございます。拙僧的には、5番目に挙げた「ほとけのざ(仏の座)」が気になるところではございますが、その前にこの風習の意義について見て行こうと思います。
そもそも「七草粥」を食べるのは、邪気を払って万病を除く占いとして食べられていたようですが、ただの呪術的な意味だけではなくて、おせち料理で疲れた胃を休めて、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もあるようです。
全ての「節句」は、中国から伝わった風習ではありますが、中国でも「七種菜羹」(7種類の野菜を入れたあつもの)を食べて無病を祈る習慣があったとされております。また、日本でも既に『延喜式』には餅粥という「七種粥」が登場しているようです。ただ、この餅粥は毎年1月15日に行われ、今現在入っていた物と違って、いわゆる「七穀」だったようです。ただ、現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄』という『源氏物語』の注釈書に、「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」とあるのが最初だそうです。
さて、節句というのは、数字の切りが良いということが基本となりますので、その数字に因んだ説法をするという風習が、禅宗にありました。曹洞宗にはそれ程多くは見えませんが、臨済宗には幾つか残っているようですので、その1つを見ていきたいと思います。
人日の示衆に云く。
記得す、雲門、因みに僧問う「古人、面壁の意旨、如何」と。
門云く「念七」と。
雲門の答処、如何が領会せん。
代わりて云く「唵蘇嚕蘇嚕(オンソロソロ)」と。
『仏日真照禅師雪江和尚語録』「龍安寺語録」
これは、臨済宗の妙心寺中興6世になる雪江宗深禅師(1408〜1486)の語録です。生没年をご覧いただければ分かりますが、ちょうど応仁の乱の頃に生きた人でしたので、妙心寺や大徳寺など多くの名刹の住持を歴任しましたが、多くが兵火に罹り、今では石庭で有名な龍安寺も、この人の頃に一度焼かれ、再興されています(その後また全焼)。とはいえ、今日引用した示衆は、龍安寺で行われています。
さて、この問答の主旨になる「古人、面壁の意旨、如何」という問いですが、直訳すれば、古の祖師が壁に向かって坐っていた、その意旨とはどのような物でしょうか」と聞いているわけです。「古の祖師」については、多くの場合は達磨大師のこととされていて、禅語録などにも、この雲門禅師の問答が引用されますけれども、ほとんどは達磨を対象としています。『続古尊宿語要』(中国宋代の成立)では、面壁の話で有名な「魯祖宝雲禅師」のことを指摘しますけど、達磨で正しいのでしょう。なお、魯祖の面壁については、道元禅師も『玄和尚頌古』第79則で採り上げています。興味のある方は、どうぞ学んでみてください。あ、機会があれば拙ブログでも見てみましょう。
さておき、その達磨の面壁の意旨について、雲門は「念七」と答えました。この意味は何なのでしょうか?『雲門広録』を見てみると、同じ問答について「師云く、念七。又云く、定」とありますが、いわゆる「七覚支」の第七に当たる「念覚支」ということになるのでしょうか。正念に住することを念覚支といいますが、つまりは達磨の面壁とは、念覚支であったということになるのでしょう。なお、雪江禅師の見解ですが、その雲門の答えを理解するに、「唵蘇嚕蘇嚕(オンソロソロ)」といっています。
この真言ですが、現代語訳すれば、「オーン、流れ出でたまえ、流れ出でたまえ」となります。この真言は、禅宗であれば施食供養に用いる『甘露門』などでも見ることが出来、それは、甘露水が流れ出てくるように祈るものです。よって、それを転じて、「念七」の真意が流れ出てくれるように祈った・・・という話なのでしょうかね。良く分かりませんが。
あ、言い忘れましたが、「念七」とあるので、人日(1月7日)の説法に使われたのでしょう。それ以外、深い意味は無いような気がしますね・・・やっぱりそんなことよりも七草粥を思う「念七」で良いかな?
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そもそも「七草粥」を食べるのは、邪気を払って万病を除く占いとして食べられていたようですが、ただの呪術的な意味だけではなくて、おせち料理で疲れた胃を休めて、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もあるようです。
全ての「節句」は、中国から伝わった風習ではありますが、中国でも「七種菜羹」(7種類の野菜を入れたあつもの)を食べて無病を祈る習慣があったとされております。また、日本でも既に『延喜式』には餅粥という「七種粥」が登場しているようです。ただ、この餅粥は毎年1月15日に行われ、今現在入っていた物と違って、いわゆる「七穀」だったようです。ただ、現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄』という『源氏物語』の注釈書に、「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」とあるのが最初だそうです。
さて、節句というのは、数字の切りが良いということが基本となりますので、その数字に因んだ説法をするという風習が、禅宗にありました。曹洞宗にはそれ程多くは見えませんが、臨済宗には幾つか残っているようですので、その1つを見ていきたいと思います。
人日の示衆に云く。
記得す、雲門、因みに僧問う「古人、面壁の意旨、如何」と。
門云く「念七」と。
雲門の答処、如何が領会せん。
代わりて云く「唵蘇嚕蘇嚕(オンソロソロ)」と。
『仏日真照禅師雪江和尚語録』「龍安寺語録」
これは、臨済宗の妙心寺中興6世になる雪江宗深禅師(1408〜1486)の語録です。生没年をご覧いただければ分かりますが、ちょうど応仁の乱の頃に生きた人でしたので、妙心寺や大徳寺など多くの名刹の住持を歴任しましたが、多くが兵火に罹り、今では石庭で有名な龍安寺も、この人の頃に一度焼かれ、再興されています(その後また全焼)。とはいえ、今日引用した示衆は、龍安寺で行われています。
さて、この問答の主旨になる「古人、面壁の意旨、如何」という問いですが、直訳すれば、古の祖師が壁に向かって坐っていた、その意旨とはどのような物でしょうか」と聞いているわけです。「古の祖師」については、多くの場合は達磨大師のこととされていて、禅語録などにも、この雲門禅師の問答が引用されますけれども、ほとんどは達磨を対象としています。『続古尊宿語要』(中国宋代の成立)では、面壁の話で有名な「魯祖宝雲禅師」のことを指摘しますけど、達磨で正しいのでしょう。なお、魯祖の面壁については、道元禅師も『玄和尚頌古』第79則で採り上げています。興味のある方は、どうぞ学んでみてください。あ、機会があれば拙ブログでも見てみましょう。
さておき、その達磨の面壁の意旨について、雲門は「念七」と答えました。この意味は何なのでしょうか?『雲門広録』を見てみると、同じ問答について「師云く、念七。又云く、定」とありますが、いわゆる「七覚支」の第七に当たる「念覚支」ということになるのでしょうか。正念に住することを念覚支といいますが、つまりは達磨の面壁とは、念覚支であったということになるのでしょう。なお、雪江禅師の見解ですが、その雲門の答えを理解するに、「唵蘇嚕蘇嚕(オンソロソロ)」といっています。
この真言ですが、現代語訳すれば、「オーン、流れ出でたまえ、流れ出でたまえ」となります。この真言は、禅宗であれば施食供養に用いる『甘露門』などでも見ることが出来、それは、甘露水が流れ出てくるように祈るものです。よって、それを転じて、「念七」の真意が流れ出てくれるように祈った・・・という話なのでしょうかね。良く分かりませんが。
あ、言い忘れましたが、「念七」とあるので、人日(1月7日)の説法に使われたのでしょう。それ以外、深い意味は無いような気がしますね・・・やっぱりそんなことよりも七草粥を思う「念七」で良いかな?
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