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双樹示滅より二千二百年

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以前、【愧ても悔ても余りあり】という記事を書いたことがある。今日は、その記事の再挙ともいえる。理由だが、先の記事は瑩山禅師御提唱『伝光録』第17則を用いていたのだが、今回は道元禅師の語録である『永平広録』に採り上げられた本則を用いるためである。余談だが、道元禅師は更に、同じ本則を『永平寺知事清規』でも用いている。よって、両祖ともに重んじた本則の1つといえる。

なお、ここで「本則」というのは、自らの話・提唱を紡ぐために引用される古人の言葉である。

 上堂。
 古仏云く、「双樹示滅より八百余年。世界丘墟、樹木枯悴す。人に至信無く、正念軽微なり。真如を信ぜず、唯だ神力のみ愛す」と。
 何に況んや、今時、双樹示滅より後、已に二千二百歳を経たり。明らかに知りぬ、人に至信無く、正念軽微なり。学仏法の人、若し至信正念無くんば、必ず因果を撥無せん。
 古者道く、「因円果満成正覚」と。且く道え大衆、永平門下、仏法因果、如何が批判せん。還た委悉せんと要すや。
 良久して云く、霊山の拈華、也、慈悲落草。石鞏の彎弓、也、習気猶お存す、と。
    『永平広録』巻5-386上堂

道元禅師がここでいう「古仏」とは、西天十七祖・僧伽難提大和尚のことである。いわゆるの仏陀ではないが、自らにとって過去にいた仏陀と同じだと考えて良いくらいの、優れた行業・説法を残した僧に対して呼称される表現である。僧伽難提大和尚は何を述べたかといえば、「釈尊が沙羅双樹にて入滅して以来800年余り、世界は廃墟とかし、樹木は枯れている。人には信心が泣く、統一された意識もない。真如を信じることをせずに、ただ神通力のみを愛している」ということだ。まさに、現代人にも通じる恐るべき嘆息である。信心が無く、力のみを信じたところで、世に現れるのは不幸のみである。何故ならば、信心があるから、古来の仏陀のように生きてみたいと願うのであり、この願いに依る倫理的規制がない場合、幾ら優れた「力」を持っていようと、それは無謀な独裁者が支配する国家が核兵器を保有するが如くの危険な状態と、何ら変わらないためである。

なお、僧伽難提大和尚から1400年後、道元禅師はやはり同じことを言われた。そして特に注意されたのが、「至信」「正念」がなければ、人は必ず因果の道理を無視すると訓戒されたのである。この訓戒は大きい。道元禅師は晩年「深信因果」を説かれた。同名の巻号を付す『正法眼蔵』もある。それは、やはり「因果を撥無する」ことが公然と行われ、結果、修行の意味付けも出来なくなったためであろう。因果歴然だからこそ、仏陀は成道し、そして祖師は西から来る。

そのことを、道元禅師は「古者」の言葉を引く。この語は『注心賦』に出るので、古者とは永明延寿である。いわば、因果が満ちて、初めて衆生は正覚を成ずることになるといわれている。よって、この訓戒をされた後、道元禅師は、自らの門下の僧達に、「仏法」そして「因果」をどのように「批判」すべきかと促す。この「批判」とは、いわゆる「吟味」のことである。

夫れ仏法は、仏法を以て批判すべし。天魔・外道・三界・六道の法を以て批判すべからざるなり。
    『永平広録』巻2-150上堂

別の機会には、以上のように仰っている。仏法とは仏法を以て批判すべきなのだ。これはつまり、仏典に見られる道理でもって、批判=吟味すべきだということだ。無論、道元禅師の時代には、歴代の仏祖が用いてきた仏典をこそ、仏説としていたので、現代的な書誌学やテキスト批判などによって得られた知見と同じだと考えてはならない。むしろ、自らの保持する伝灯によって、批判=吟味をすべきだと仰っているのだ。

そして、道元禅師の結論は、霊鷲山で、世尊が百万の衆生を前に拈華した故事は、「慈悲落草」であるという。慈悲によって、分かり易く方便を垂れたということである。具体的な言語ではない表現に、或る意味、拈華微笑は嫌われるが、しかし、優しく示してくださった慈悲だと道元禅師は仰る。同じように、石鞏慧蔵という僧は、出家するまで弓を嗜んだが、その弓を放つ格好をして、如何なる弟子達の前でも同じく振る舞ったと伝える。しかし、そこには、出家以前の「習気」、つまりは出家後も引きずってしまった煩悩があるという。確かに、それまで嗜んでいたことをそのまま用いるのであれば、出家しても変わらない。まさに、「三界・六道の法」でもって、仏道を批判することに繋がる。

我々も、あと6日後に迫った釈尊涅槃会を前に、その偉大なる説法を聞き、見仏するべく精進すべきだといえる。ところが、その精進の方法が往々にして間違えられやすいといえる。その方法とは、まさに日日の行履を、「この私」のために用いるのではなく、一切衆生に回向していくことであろう。坐禅もその有力な方法として理解して良い。そうすることで、「双樹示滅より三千年」の今日であっても、霊鷲山の拈華を目の当たりに出来るであろう。「一心欲見仏」とは仏説である。

 釈迦牟尼仏、告大衆言、一心欲見仏、不自惜身命、時我及衆僧、倶出霊鷲山。
 いふところの一心は、凡夫・二乗等のいふ一心にあらず、見仏の一心なり。見仏の一心といふは、霊鷲山なり、及衆僧なり。
   『正法眼蔵』「見仏」巻

このように、道元禅師も仰る。

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