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鎌倉時代の地震と禅僧

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鎌倉時代になると、様々な文献に、地震の様子などの詳細が載るようになってきますが、その一つを見てみたいと思います。特に、禅僧のものは、現代の我々が、地震をどのように把握すべきかを考えさせてくれるように思うためです。こういう学びがないと、単純に「天罰」とか言い出しそうな人がいるのも困りものです・・・

 地震に因む上堂。
 若し人、本源を見徹すれば、大地悉く皆な震動す。昨夜、建長の拄杖子、等正覚を成ず。直に六十八州の山川草木、美欣欣・鬧鬨鬨なることを得たり。八幡菩薩、若宮王子を引得して、頭を聚めて談論して云く「今従り以後、兵器戈矛、復た拈弄せざる。四海晏清にして、万邦入貢なり」と。
 然も是の如くなりと雖も、我が衲僧分上に在って、何の奇特か有らん。
 卓、拄杖す。
 永日寥寥、泰平を賀す。三条椽下、迎送を慵(ものう)くす。
    『大覚禅師語録(上)』「相州巨福山建長禅寺語録」、『大正蔵』巻80

大覚禅師というのは、道元禅師と時代的には重なる蘭渓道隆禅師(1213〜1279)のことであり、寛元4年(1246)に弟子の僧達と九州・太宰府に至ると、北条時頼に帰依を受けて、建長5年(1253)に鎌倉建長寺の開山となりました。その建長寺にいたとき(恐らくは正嘉元年[1257]と思われます)の上堂語です。ところで、鎌倉時代に関東を襲った大地震というと、それこそ「建長寺地震(鎌倉大地震・永仁鎌倉地震など)」と呼ばれるものが有名です。建長寺が倒壊するほどの大揺れでした。ただ、これと、上記の上堂は関係がありません。「建長寺地震」は、永仁6年(1298)4月12日に発生したためです。

よって、この地震はそれより前に起きた「正嘉地震」と呼ばれるものだと思います。これは、『吾妻鏡』などの記載を見ますと、正嘉元年8月23日に発生したようです。詳しくは以下の通りです。

戌の刻大地震。音有り。神社仏閣一宇として全きこと無し。山岳頽崩し、人屋顛倒す。築地、皆悉く破損し、所々の地裂け水湧き出ず。中下馬橋の辺地裂け破れ、その中より火炎燃え出る。色、青しと。

この地震は、戌の刻とあることから、夜7〜8時頃起きたものと思われます。さらに、神社仏閣、一宇として全きこと無し、とあるため、同地にある全ての寺社建築が、何かしらの被害を受けたことを意味しています。興味深いのは、地割れがあって、水が湧いたとあることから、一種の液状化現象などが発生したことが考えられます。最後の、青い炎が出たことについては、ちょっと理解できません。ガスでも吹き出すような場所だったのでしょうか?

さて、蘭渓禅師が指摘する地震は、このことで間違いないと思います。理由ですが、上堂が配置されている順番から理解できます。基本的に行われた時系列で並んでいる上堂について、先に引用したものの前後を見てみると、以下の通りです。

解夏上堂  7月15日
謝両班上堂 不明
上堂    不明
中秋上堂  8月15日
因地震上堂 8月24日?(地震翌日と推定)
開炉上堂  10月1日

このような順番です。よって、中秋の次ということで、8月後半に行われたと見て問題はないわけです。その後は、伽藍の修復などがあったのか?しばらく時間が置かれて開炉の上堂となったのでしょう。「正嘉地震」は、マグニチュード7を超える規模だったと推定されていますので、現代的には阪神・淡路大震災を超えるクラスの揺れだった可能性もあるわけです。当然、被害も出たわけで、とりあえず修行僧を落ち着かせるために、蘭渓禅師は余震を怖れず上堂されたものと思われます。

なお、その内容ですが、仏典では、様々な「奇瑞(めずらしいこと)」の1つとして、大地の震動(六種震動とも数えます)を挙げる場合があります。それは、誰かが法を悟ったとか、出家したとか、そういう仏教に於ける良いことの結果として起きるとされています。蘭渓禅師はそれを「若し人、本源を見徹すれば、大地悉く皆な震動す」と述べたわけです。そして、鎌倉に於いては「昨夜、建長の拄杖子、等正覚を成ず」とあるように、蘭渓禅師の持つ杖が、仏陀のさとりに等しき法を得たと示しているのです。

これを実相と採るか?方便と採るか?で見解の分かれるところですが、未曾有の大災害に襲われた現在の日本の状況を考えると、方便であって、弟子達の指導のためであったと採りたいところです。ただ一方で、地震という災害に襲われた中でも、健気に仏法を求めるべく、それを題材に弟子達を導いた蘭渓禅師の手腕をも、評価したいところです。

改めて、東日本大震災の犠牲者の皆さまに深く哀悼の意を捧げます。合掌

追記:
「正嘉地震」については、日蓮聖人も述べているようです。文永8年(1271)11月23日に書かれたという「富木入道殿御返事」に「前代未聞」という評を付して出ているとのこと。機会があれば、別の機会に見ていきます。

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