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彼岸会の話 その4(平成31年度春)

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今回は、平成最後の彼岸会となる。なお、今年は今日3月21日が春分の日となるのでその前後3日間を含めた7日間が彼岸会となる。そこで、幾つかのことを学んでおきたい。

人間はどうしても親の恩を受けて居るものであるから、死なれた親には追善回向をすると云ふ事に現はれて来るのは是は宜しい。併しながら生きて居る親に向つても、彼岸と云ふものは孝養の精神に甦らなければならぬ。お彼岸と云へば団子を拵へて位牌の前に上げるので、生きて居る親ナンかに関係はないと思ふは、是は非常な間違である。所が今は坊さんがやり出したのか、信者がやり出したのか知らんけれども、非常な意味の宏遠なものを、浅く狭く誤解して居る事が多いのである。お彼岸と云へば彼岸団子を連想し、お彼岸と云へば唯だお墓に参つて水を石の上に浴せると云ふ事しか考へない。先祖を思ふことは無論の話、生ける温ある人に恩を報いると云ふことも無論であるが、併しそれが実は本当の彼岸ではないのである。
    本多日生『日蓮聖人の感激』(博文館・大正8年)329~330頁

これも、日蓮宗の記事である。そして、まずは親への孝養について説いている。拙僧も余り考えたことが無かったのだが、日蓮聖人という人は、孝養を説いた人だったらしい。非常に端的な教えだと思うのは、以下の一節などであろうか。

仏は法華経をさとらせ給いて、六道四生の父母孝養の功徳を身に備え給えり。
    『法蓮抄』

なるほど、これが彼岸会に於ける日蓮宗の立場であるといえようか。何だろう?後の時代の人の文章を引くよりも、日蓮聖人の孝養観を探っていった方が、彼岸会に於ける供養の意味が分かる気がしてきた。

孝経と申すに二あり。一には外典の孔子と申せし聖人の書に孝経あり。二には内典。今の法華経是れ也。内外異なれども其の意は是れ同じ。釈尊塵点劫の間修行して仏にならんとはげみしは何事ぞ。孝養の事也。
    同上

『孝経』というのは、中国の儒教で作られた孝養を説く典籍のことであると思っていたが、日蓮聖人は『法華経』もまた、孝を説く経典であるとしている。そして、釈尊は修行中は孝養に励み、その結果としての『法華経』を説いたという。しかし、『法華経』に孝養が説かれるのはどこであろうか?

第二の懺悔とは、父母に孝養し、師長を恭敬する、是れを第二の懺悔の法を修すと名く。
    『観普賢菩薩行法経』

「孝」という語句について、世尊が説いたものを探すと、ここしか無い。ただし、これは「法華三部経」の一つではあるが、『法華経』そのものでは無い。よって、典拠不明といえる。というか、何か重要な語句でもあるのだろうか?

さて、最初の本多師の文献に戻すが、本多師は「彼岸団子」とか、そういう世俗的慣習に重きを置かず、真実の「彼岸」を主張した。それは、「波羅蜜多」について研究し、独自に『大集経』を検討して、「堅固に檀波羅蜜乃至般若波羅蜜に安住す」(巻46「月蔵分第十四月幢神呪品第一」)という一節を受けてだと思うが、まさに信念堅固に「波羅蜜多」を努める必要があるという。

堅い信念を持っていれば、先祖供養もまた彼岸になるという。今日から春彼岸の後半に入るが、改めて信念堅固に努めたいものだ。

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