泰運了啓禅師(1690~1771)とは、備前出身の僧で、江戸時代中期から後期にかけて活動した人である。現在の三重県松阪市内に泰運寺を開いたことでも知られる。そこで、今日はこの人の語録を見ておきたい。
戒子に示す
是の如く授け是の如く受く、西天此土一貫し来たる。
金剛宝戒持犯無し、各自円成して遮開を絶す。
『泰運了啓禅師語録』巻1
拙僧つらつら鑑みるに、やはりこの辺が菩薩戒についての説示だったのだろうと思う。どの辺が?というと、特に後半2句が顕著だと思うのだが、我々曹洞宗が伝えている「仏祖正伝菩薩戒」の「十重禁戒」は『梵網経』を思想的根拠としている。そうなると、この戒の特徴は「金剛宝戒」であるため、「持犯」が無いという解釈になる。
これは、そもそも「持犯」が成立するのは、我々は戒を受けた段階で、それを護持し続けるという功徳を得るといい、その根拠を「戒体」という。そのため、声聞戒では戒体が壊れることを「破戒」というが、菩薩戒では戒体が壊れないため、「破戒」が無い。しかも、そうなってくると、絶対の戒体について考察すれば、持戒という事象そのものの意味も崩れ、結果として「持犯無し」となる。
そして、ただただ各々が授戒を通して円成するだけとなり、「遮開」すらも無くなるのである。「遮開」というのは、「遮」とは戒を受けられないことで、「開」は受けられることである。声聞戒は、「遮難」を厳しく定めて、授戒する者の立場を定めたが、菩薩戒はあらゆる立場の人に対して授けるべきだという。
いわば、「摂衆生戒」を地で行っているのが、菩薩戒なのだが、それはとにかく全ての人に救われて欲しいと願った、大乗経典の作者達の思いでもあったといえよう。
なお、この辺の「持犯無し」「遮開を絶す」などの教えがあるからこそ、明治時代以降の曹洞宗では、僧侶の結婚なども許容されたと思っているのだが、その辺はもっと更に菩薩戒に関する説示を集めることで実証されねばならないことなのだろう。
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戒子に示す
是の如く授け是の如く受く、西天此土一貫し来たる。
金剛宝戒持犯無し、各自円成して遮開を絶す。
『泰運了啓禅師語録』巻1
拙僧つらつら鑑みるに、やはりこの辺が菩薩戒についての説示だったのだろうと思う。どの辺が?というと、特に後半2句が顕著だと思うのだが、我々曹洞宗が伝えている「仏祖正伝菩薩戒」の「十重禁戒」は『梵網経』を思想的根拠としている。そうなると、この戒の特徴は「金剛宝戒」であるため、「持犯」が無いという解釈になる。
これは、そもそも「持犯」が成立するのは、我々は戒を受けた段階で、それを護持し続けるという功徳を得るといい、その根拠を「戒体」という。そのため、声聞戒では戒体が壊れることを「破戒」というが、菩薩戒では戒体が壊れないため、「破戒」が無い。しかも、そうなってくると、絶対の戒体について考察すれば、持戒という事象そのものの意味も崩れ、結果として「持犯無し」となる。
そして、ただただ各々が授戒を通して円成するだけとなり、「遮開」すらも無くなるのである。「遮開」というのは、「遮」とは戒を受けられないことで、「開」は受けられることである。声聞戒は、「遮難」を厳しく定めて、授戒する者の立場を定めたが、菩薩戒はあらゆる立場の人に対して授けるべきだという。
いわば、「摂衆生戒」を地で行っているのが、菩薩戒なのだが、それはとにかく全ての人に救われて欲しいと願った、大乗経典の作者達の思いでもあったといえよう。
なお、この辺の「持犯無し」「遮開を絶す」などの教えがあるからこそ、明治時代以降の曹洞宗では、僧侶の結婚なども許容されたと思っているのだが、その辺はもっと更に菩薩戒に関する説示を集めることで実証されねばならないことなのだろう。
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