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尊宿喪儀に於ける三物の扱いについて

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面山瑞方禅師の『洞上僧堂清規行法鈔』巻5には、尊宿喪儀法の差定が記載されているが、他の喪儀法と違って、「法脈(現在でいうところの『嗣書』に同じ)」についての配慮がなされている。現在でいえば、尊宿喪儀の際に、遺弟の上首が「三物袋」に先師の三物を入れて喪列に入るけれども、そのような事態そのものが構築された喪儀法だったと言えよう。

そのため、当然に「法脈」についての以下の一節をご覧いただきたい。

尊宿の法脈等は、必ず焼埋すべからず。留めて開山所あるは、其処に安納し、無きは其寺に納むべし。伽藍の二物は、尚以て永代位牌に付く。
    面山禅師『洞上僧堂清規考訂別録』巻7「喪法考訂」

ここから、面山禅師は『嗣書』などの三物については、焼いたり埋めたりしてはならないと明言されている。よって、現在でも面山禅師御自身の三物は、最後の開山寺院に秘蔵されている。拙僧自身、数度の拝覧の機会を得ているが、非常にありがたいことであると思っている。

また、面山禅師御自身としては、当然に『正法眼蔵』「嗣書」巻を参究されていて、同巻を見れば道元禅師が中国で見た禅宗各派の『嗣書』については、軸装などをされて本人が遷化した後も、有縁の者達によって伝えられていた。この辺を見れば、尊宿自身とともに火葬にしてしまうのはおかしな話ということになってしまうといえよう。

貴重な例外としては、瑩山紹瑾禅師が能登永光寺山内に作られた五老峰に於いて、先師・徹通義介禅師が伝えられていた『嗣書』を埋めたとはいうが、これは余程の措置であり、他の者が真似て良い故実ではない。太祖だからこそなされたのである。そして、この『嗣書』を焼かないことについては、面山禅師は他にも以下のように指摘されている。

  嗣書焼却断紙
 面山謂わく、夫れ嗣書滅後なりと雖も、焼却底の物に非ず。永祖、天童に得る所の一幅、現に永平室中に遺在するは、是れ其の証なり。
 中古宗弊伽藍法の時、先師を易えて後師に嗣ぐ。即ち先に得る所の嗣書を以て、之を先師に返し、措く処無きを以て、乃ち之を焼く。因みに作法断紙を制す。今時、無用なり。揀非に付すべし。
    面山禅師『洞上室内断紙揀非私記』

このようにあって、面山禅師は『嗣書』焼却について、批判されたのである。その証拠とされたのは、永平寺に秘蔵される道元禅師将来『嗣書』そのものであった。なお、何故このような作法が出来てきたかについても考察をされ、中世の伽藍法による寺院相続が行われた際に、発生したものであったとされている。

ところで、江戸時代の宗統復古運動で、宗門では「室内三物」に加えて「伽藍二物」を相続するに至ったが、それについても先の一節で指示されている。つまり、その寺に残しておくように、とのことであった。これも、面山禅師の最後の開山寺院には歴代住職の「伽藍二物」が残されているため、この通りにされたのであろう。

「法脈」の措置について、たいがい上記見解が妥当であったといえよう。

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