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Channel: つらつら日暮らし
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今日はみどりの日(令和元年度版)

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今日5月4日は「みどりの日」である。この日は紆余曲折があって、現在の日付となっている。元々は昭和天皇の誕生日であった4月29日を、昭和天皇が崩御されてから「みどりの日」と呼称するようになった。ところが、その日は「昭和の日」と改められ、従来祝日と祝日に夾まれていることから「国民の祝日」になっていた「5月4日」が、「みどりの日」になったのであった。

今では、ゴールデンウィークの1日くらいのイメージであろう。それで、拙ブログではこの年に「みどり・緑・碧」に掛かる事柄を見ておくことで、学びに代えている。今日もそんな記事である。

 結夏の上堂、洞谷雲収まり、青松の緑深し、永光の水清く、明月の光鮮やかなり、山僧安居し、歴年安楽なり、人々の円覚、当衆昧まさず、仏祖の眼睛亜出し、沙門の全身自彰せり。
 世尊一日陞座して良久し、文殊白槌して云く、諦観法王法、々々々如是と。
 払子を以て打円相して云く、山僧法王法を教え、周ねく諸人と与に安居し、欠無く余無し。
    『瑩山瑾禅師語録』、『洞谷記』所収

これは、曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師(1264~1325)が、現在は石川県羽咋市内に所在する洞谷山永光寺で結夏安居を行われる際に行った上堂である。見ておきたいのは、冒頭に近いところに出ている「青松の緑深し」という一節である。常緑樹である青松が緑色をしているのは何ら変わることが無い事実であるが、その緑が更に深まるということは、本有の仏性が十全に働くことを喩えているといえる。そして、ここでいう他の「洞谷雲収まり・永光の水清く・明月の光鮮やかなり」も全て同じことを示している。

それでは、何故本有の仏性が十全に働くかといえば、「安居」が行われるためである。道元禅師や如浄禅師は「偽経」として退けてしまったが、『円覚経』という経典には、「安居」に関する説示があり、この部分に限っては中国及び日本の禅僧が、結夏安居の際の説示に繰り返し引用している。勿論、道元禅師も中国曹洞宗の宏智正覚禅師の見解を引用する形で、孫引きしているのである。

そして、瑩山禅師が仰る「人々の円覚、当衆昧まさず」とは、そのことを意味している。安居とは仏祖が伝えた正統なる仏道の行持であり、それが行われる時、仏道の功徳は円満するのである。

それから、「世尊一日陞座」の話は、『宏智禅師頌古』の第一則に収録されている話で、世尊の無言の説法、転じて無分別なる言語のあり方を学人に問うものとなっている。それを受けて瑩山禅師は、御自身も払子でもって円相を示された上で、法王法を教えており、安居に於いては円相で示した仏法の道理が欠けること無く余ること無く具わっていると示されたのであった。

よって、安居の場に於いて、植物の緑はいよいよ深まり、我々大衆はその具わる仏性がいよいよ輝くのである。それはつまり、成仏道を歩む、いや成仏道に於いて端坐することに他ならないといえるのである。

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