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今日は端午の節句(令和元年度版)

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今日5月5日は五節句の一、端午の節句である。現在の日本では、法律によって「こどもの日」となっているが、これも元々の「端午」が「菖蒲の節句」と別称されることに因み、菖蒲と尚武をかけて、武士の世界でこどもの健やかなる成長を願ったことに由来するとされる。

なお、禅宗寺院で端午の節句が行われる理由としては、中国の行事に由来し、五月の端(はじめ)の五日、つまり五月夏至の端(はじまり)の意味を持ち、端午の称は午月午日午時の三午が端正に揃う日に合わせて行事したという。このように五月五日を端午と明らかに称するようになるのは唐代以後のこととされ、宋代以後には天中節とも呼ばれた。五月五日の五時が天の中央にあたることと、この日の月日時の全てが数字の“一三五七九”の天数(奇数)の中央である“五”にあたることから、天中節と称するという。

この端午には廳香・沈香・丁子などを錦の袋に入れ、蓬・菖蒲などを結び、五色の糸を垂らさせた「薬縷(薬玉)」を作り、柱にかけたり身に付けたりして邪気を払って長命息災を祈った。また、薬狩と称して薬草を集めることも行われた。道元禅師の上堂では4回ほど端午(天中節)に因んだものがあるが、その中には、文殊菩薩が善財童子に薬草を集めさせる話を元に展開しているものが見られるのである。

また、禅林では古来より、端午の節句は夏安居(古来は4月15日から)に入ってから約20日後に行われる儀式だけあって、様々な説示を展開するのに用いられた機会であったことも見逃せない。そこで、今日はそんな端午の説法の1つを見ておきたい。

 端午の示衆。
 師、善財採薬草の話を挙して曰く、諸仁者、会すや。善財能く薬を採ることを解し、文殊能く薬を用いることを知る。然りと雖も、点検し、将ち来れば、尚お取捨に渉り殺活に滞ること有り。
 東昌今日、此の佳節に逢うて、尋常の菖蒲湯一盞を拈来して諸人に与えて、喫して特地に心肝臓腑を湿得して、世・出世間の病、一時に除滅す。何ぞ取捨殺活を論ぜんや。
 且く道え、是れ為に東昌、文殊・善財の為に気を出すと。還って孤負すと為さんや。
 良久して曰く、喫し了って尚お脣を湿らさずと謂うこと勿れ。
    『瑞光隠之和尚語録』巻3・31丁裏、訓読は拙僧

隠之道顕禅師(1663~1729)とは、江戸時代中期の学僧の一人であり、卍山道白禅師の法嗣である。その語録は何故か『曹洞宗全書』には収録されなかったが、自身が住持した複数の寺院での説法示衆の記録などを収めている。そこで、上記内容について見ていくことにしたい。

まず、端午の示衆とあるが、順番を数えてみると、時期的には下総東昌寺の住持として最乗寺の輪住を終えた宝永2年の2年後に当たる宝永4年(1707)5月5日であると思われる。この示衆の意味としては、まず「善財採薬草の話」を採り上げられたという。これは、以下の一節として知られるものである。

 善財、文殊に参ず。
 殊云く、出門して一茎の薬草を将ち来れ。
 善財、出門して遍ねく尽地を観るも、是れ薬にあらざること無し。還り来って文殊に向かいて道く、尽大地是れ薬なり。那箇か把将し来らん。
 文殊云く、一茎の薬草を将ち来れ。
 善財、一茎草を把りて、文殊に度与す。文殊、一茎を接得して、便ち示衆して云く、這の一茎草、亦た能く人を殺し、亦た能く人を活かす。
    道元禅師『永平広録』巻1-16上堂

この上堂に引用された説話だが、元々は『華厳経(四十華厳)』「入不思議解脱境界普賢行願品」に出ている、善財童子が人々の機根に合わせて薬草を授ける話が禅宗に取り入れられて、文殊菩薩が善財童子に薬草を採らせる話として展開したものであると思われる。中国臨済宗の汾陽善昭禅師(947~1024)が説法に導入されたようで、その後更に、端午の説法に於いて大慧宗杲禅師(1089~1163)などが用いたようである。道元禅師は『宗門統要集』(或いは『聯灯会要』)に収録されているこの話を本則に用いたと思われるが、端午の節句に用いたのは大慧禅師などの影響だといえようか。

さて、先に引いた隠之禅師の示衆に話を戻すが、隠之禅師はこの「善財採薬草の話」を用いて、修行僧達に「理解したか?」と尋ねると、この話の意義について、善財は薬草を採ることを理解し、文殊は薬草を用いることを知っているという。だが、詳しく見ると、両者ともに「取捨に渉り、殺活に滞る」という過ちを犯しているとも指摘する。禅の伝統では、そのような分別に陥ること無く自由自在に用いられなくてはならないのである。

そこで、東昌(隠之禅師の自称)はこの良き時節において、普通の菖蒲湯一杯を全員に与えて、よく飲ませて内臓を潤し、世間も出世間も、両方ともに存在する病を全て除滅したという。そこには、取捨も殺活も無い、つまりは分別していないというのである。これは、文殊・善財のために正しき道理を示したという。

しかし、その真意といえば、修行僧達にしてみれば、一度菖蒲湯を飲んで脣を湿らせた、要は病は脱したのであるから、それだけでよく、更に分別して考えることなど不要だ、と指摘しているのである。

今日は端午の節句である。無論、こどもの日でもあるが、本来は身体をいたわり、病を脱する日であったことに思いを巡らして、夏に入り行くこの季節、健康にお暮らしいただきたいものである。

※菖蒲湯について

そういえば、隠之禅師の示衆中に出て来た「菖蒲湯」が気になったのでちょっと調べてみた。すると、本師である卍山禅師が編集した『椙樹林清規』の下巻に、次の記載があった。

  五日端午〈和尚堂中にて触礼あり〉
 朝課罷小参、或いは垂示等あり。行菓は粽なり。菖蒲は細刻して茶中に点ずべし。茶頭の所管なり。(以下略)
    『椙樹林清規』「年中行事」、『曹洞宗全書』「清規」巻・530頁、カナをかなにするなど読み易く改める

茶と湯との違いはあるが、おそらくは同じようなものを飲んでいたのでは無いかと思われる。要するに、菖蒲の葉や根を細断して飲み物に混ぜていたということである。現在では、「菖蒲湯」というと、お風呂が思い出されるところだと思うし、既に江戸時代には町人も楽しむほどであったというが、今回の示衆に出て来たのは飲み物であった。

なお、隠之禅師から影響を受けた面山瑞方禅師ではあるが、端午式においては「菖蒲茶」(『洞上僧堂清規行法鈔』巻3・年分行法次第)としているので、卍山禅師と同じものであったといえよう。

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