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『法苑珠林』巻22「剃髪部第三」について

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『法苑珠林』巻22「入道篇第十三」に於ける「剃髪部第三」は、出家する時の作法となっている。『法苑珠林』は、唐代の668年に道世(南山道宣と非常に強い関係があったとされる)が著した「類書」という分類がされる文献であり、全100巻である。

それで、この「剃髪部」であるが、内容は現在の日本仏教各宗派(ただし、浄土真宗など一部は除く)において行われている出家(得度)作法の原型になったと思われる。なお、道世が『法苑珠林』の前に編集したという『諸経要集』巻4「出家縁第三」でも、同じ内容である。そこで、以下に差定的な流れを見ておきたい。

・二師拝請(和尚・阿闍黎)[薩婆多論]
・父母などへ礼拝し唱偈(流転三界中……)[清信士度人経]
・和尚が弟子に香湯灌頂して唱偈(善哉大丈夫……)[善見論]
・十方仏へ礼拝し唱偈(帰依大世尊……)
・剃髪し唱偈(毀形守志節……)[度人経]
・搭袈裟し唱偈(大哉解脱服……)[善見論]
・行道し唱自慶偈(遇哉値仏者……)[度人経]
※剃髪・搭袈裟の後に三帰・五戒などを授ける作法もある。[毘尼母論]

以上である。ここから、確かに現在の出家作法の原型になっていることは間違いないと思われる。なお、上記内容の更に原型になったと思われるのが、南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻下一「沙弥別法篇第二十八」であり、道世と道宣の関係を思うと、この両者には影響があると思うのが自然だと思われる。

さて、道宣の作法も見つつ上記差定における偈文の典拠を確認すると、現存していないらしい『清信士度人経』と『善見論』である。後者はタイトルから『善見律』への註釈か何かなのだろうが、少なくとも上記で指摘されているような偈文の根拠にはなり得ない。前者はタイトルから、男性の仏教徒を度=出家させるための作法書であると推定できよう。

それで、ここまで調べてみて思うのは、上記はほとんど剃髪と授袈裟という外見に関わる部分の作法が行われていることが分かるのだが、最初の方で父母への礼拝があったり、末尾には逆に出家した者に対し父母や六親が礼拝するということも行われており、それは出家者が俗を離れたことを象徴し、家族が喜んだ様子を示すという。

まずは、作法の総括は以上の通りである。

そこで、以下は拙僧の雑感も含めてだが、上記作法から幾つかのことが納得出来た。現代の曹洞宗で用いている「出家得度式作法」では鉢盂(応量器)の授与があるが、道元禅師の『出家略作法』にはそれが無い。無論、『正法眼蔵』「受戒」巻などでは『禅苑清規』巻1「受戒」項を引きながら、出家のためには「三衣・鉢具、并びに新浄の衣物」を準備することはよくご存じであるから、作法上に鉢盂授与が無い理由がよく分からなかったのだが、それは結局、道元禅師が参照されたであろう作法書(それこそ、『禅苑清規』巻9「沙弥受戒文」含め)に無く、更にその淵源になり得るかも知れない上記作法に於いて、鉢盂授与が無いから、ということになるのだろう。

また、道元禅師の作法書との相違点は後日見るとして、その際に付け足された偈文などを見ると、菩薩戒授与の意義を強調するものが多いということも分かった。その辺はまた、後日の記事に於いて見ておきたい。

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