Quantcast
Channel: つらつら日暮らし
Viewing all articles
Browse latest Browse all 15818

江戸時代庶民の随筆が伝えた仏教の規範意識について

$
0
0
ちょっと面白い一節を見つけたので読んでおきたい。

〔四十三〕往昔は僧尼天文を学び、軍書を読みならひ或は吉凶と占ひ、巫術をなし、人の病を医寮し、金銀米銭を人に貸して利子をもとめ、亦は音楽などするときは、其軽重の罪におこなはれたり。又僧尼わたくし事の訴訟によつて、官司に来るときは、法衣を着せず、かりに俗躰になり、俗の姓名を名乗べしと、令に見えたるとなり。
    『一挙博覧』、『日本随筆大成』第二期8(吉川弘文館・昭和49年)・21頁

この『一挙博覧』だが、鈴木忠侯という人が編集したもので、文化3年(1806)に2冊本で刊行されたものとなっているが、残念ながらその編者についてはよく分かっていないらしい(前掲同著・解題参照)。それで、上記内容であるが、当時の人々にとって、仏教の戒律(規範)がどのように理解されていたか、その一端を知ることが出来ると思ったので取り上げてみた。

まず、僧尼が天文を学び、軍書を読み、吉凶を占い、巫術を行い、医療同意を行い、金銭などの貸し付けを行い、音楽を行うことなどが罪だと考えられていたことについては、以下の一節を見ることが出来ると思われる。

・仏言く、仏子、利養悪心の為の故に、国の使命を通じ、軍陣に合会し、師(いくさ)を興して、相伐ち無量の衆生を殺すことを得ざれ。而も、菩薩は尚お、軍中に入りて往来することを得ず。況んや故ら(ことさ)に国の賊を成らんをや。若し、故らに作す者は、軽垢罪を犯す。
    『梵網経』「第十一通国使命戒」
・なんじ仏子、悪心を以ての故に、利養の為に、男女の色を販売し、自ら手づから食を作り、自ら磨し自ら舂づき、男女を占相し、夢の吉凶、是れ男・是れ女かを解し、呪術し、工巧し、医の方法を調え(調鷹の方法)、百種の毒薬・千種の毒薬・蛇毒・生金銀毒・蠱毒を和合すれば、都て慈心無しが故に、若し故に作す者は、軽垢罪を犯す。
    同上「第二十九邪命養身戒」

この辺のことを指すのではなかろうか。前者は仏教徒たる者、軍事的な事柄に協力してはならないことを指し、後者の「邪命」というのは仏教の出家者にとって相応しくない金銭の獲得法であるから、この辺が『一挙博覧』で意識されていた可能性は十分にある。または、【『遺教経』に於ける「湯薬の合和」の禁止について】で示した通り、大乗仏典に見える戒律を総合したものかもしれない。

また、後半については、僧侶が公ではなくて、私人として訴訟を行う場合には、俗服で官司に出頭するべきだという話である。確かに、通宗派的にいわゆる「脱衣」と通称される袈裟・僧服取り上げの処罰があり、その上で通常の刑事裁判などに就かせたことは、多分よく知られていると思うが、ここではそれではなくて、「僧尼令」のことを指すのだろう。

凡そ僧尼、私の訴訟有りて官司に来り詣らば、権に俗形に依りて事に参われ。
    「僧尼令」「有私事条」、『大宝令』

おそらくは、これを受けた一節であると思われる。ただし、「俗の姓名」については果たしてそこまでのものだったのかは不明である。服装については、荻生徂来『政談』でも、「出家の公事に出るには、三衣を着せざる事、律の古法也」(岩波文庫本・326頁)とあるから、その通りだと思う。

しかし、先の方に戻って、僧侶の振る舞いであるが、やはりこの頃から既に「あるべき姿」のようなものは考えられていたのだろう。転ずれば、天文を学んだり、巫術を行ったり、医療行為に従事する者や金貸しになる僧侶が目に付いたのかもしれない。とはいえ、最後の金貸しなどは、僧侶個人というより、寺院自体が「祠堂銭」の貸し出しを行っていた場合があるかと思われ、その扱いなどを考えると僧侶個人にその罪過などを帰することも出来ないかと思われる。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈仏教12〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 15818

Trending Articles