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無住道曉禅師の参学(備忘録)

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先日、問い合わせがあったのだが、七月盆で忙しく、応対することが出来なかった。よって、その応答と、更に拙僧自身の備忘を兼ねて記事にしたいと思う。なお、標題の通り、『沙石集』『雑談集』などを書いた、無住道曉禅師について、その学びがどのような状況であったのかを書きたい。無住禅師には、このブログ開設初期より、連載記事のネタを提供していただき、本当に助けられている。

さて、今回の記事作成に辺り、参考した資料は、あくまでも備忘ということで、とりあえずは岩波文庫『沙石集(上・下巻)』の下巻に収録されている「無住年譜」から拾う。どうでも良いが、この「無住年譜」、当然にその周辺にいたはずの禅僧の動向についても書かれている。しかも、特に道元禅師伝や、円爾禅師伝が詳しい。ただ、いかんせん古いので、今更に使うわけにはいかないのが残念だ。

嘉禄2年(1226)に鎌倉に生まれた無住道曉禅師だが、13歳で鎌倉の僧房に入った。寿福寺であると推定されている。同年、栄西の弟子である退耕行勇が寿福寺の住持となったが、ここで両者に接点が出来たと考えられる。

仁治元年(1240)、15歳で下野(栃木)にいた伯母の元に下り、翌年には常陸(茨城)に行き、親族に養われた。つまり、この時にはまだ正式な出家ではなかったようである。

寛元元年(1243)、18歳で出家。常陸の法音寺にて剃髪し、ここでは「一円」と名乗ったと考えられ、また、この頃関東には、三井寺(園城寺、天台宗寺門派)の学僧が多く、その中でも、円幸教王房という者から、『倶舎頌疏』を学んだという。

寛元3年(1245)、20歳で師匠から房を譲られて住し、同じ頃法身房上人から『法華玄義』を聴いた。

建長4年(1252)、27歳で住んでいた房舎を、律院と改め、翌年には遁世の身となった。

建長6年(1254)、三井寺実動上人から『摩訶止観』の講義を聴き、また大和(奈良)菩提山にて法相宗の教学を学び、律を修めたという。この頃しばらく奈良に滞在。

文応元年(1260)、35歳で寿福寺に帰り、悲願長老(蔵叟朗誉、円爾の弟子)から、『釈論(釈摩訶衍論?)』『円覚経』などを聴き、坐禅をしていたが、1年余りで脚気となり、坐禅が出来なくなった。

弘長元年(1261)、36歳で禅をあきらめ、真言を学ぼうとし、大和菩提山に至り、東寺三宝院流の事相を学ぶ。円爾からは台密を受け、更に『大日経義解』『永嘉集』『菩提心論』を学ぶ。また、弘長年中に、伊勢神宮に詣でた。

弘長3年(1263)、38歳にて、尾張木賀崎の霊鷲山長母寺に住す。

弘安2年(1279)、54歳にて、『沙石集』(全10巻)を書き始め、序を作る。

弘安6年(1283)、58歳にて、『沙石集』完成。

正安元年(1299)、74歳にて、『聖財集』(全3巻)を編む。

正安2年(1300)、75歳にて、『妻鏡』(1巻)を著す。

嘉元2年(1304)、79歳にて、長母寺で『雑談集』を書き始める。また、同年10月には、伊勢の蓮花寺にいて、道歌(和歌)を多く詠み、ここでも『雑談集』を書き、翌年長母寺にて完成。

だいたい、著述まで含めた参学の様子は以下の通りである。無住の参学は、基本的に30代までであったようである。中でも、「律」「禅」「真言」は熱心であり、一方で「専修念仏」に対しては終始批判的であった。自身、自力門的、かつ兼修的態度であったためである。その間に必死に学ぶものの、結局、究極の処は得られなかったように思う。しかし、そういう自分の立場を活かして、様々な説話集を編んだ。これは、『鎌倉仏教』(講談社学術文庫)を書かれた田中久夫氏も指摘していることだけれども、無住という人は、とにかく特定の教えだけを専一に修行するという生き方はしなかった人であり、自らが役立つと思った教えや修行の参学に意欲的に取り組み、ただ一定の成果を得ると止めてしまうという人であった。無論、止めてしまうのは、内心の問題というよりは、身体を壊し、環境の変化が起きたりと、様々な理由がある。

そして、冷静にそれぞれの修行法や宗旨を観察し、評価を下している。以下、引用してみよう。

(一)偏見の禅師(荒禅)は、天真に任せ、修治しようとしない。
(二)専修の一向念仏の行人は、ひとえに他力をたのみ、身口意の三業をつつしまない。
(三)愚かな土真言師は、妄情の着心を仏智見に同じ、理智冥合と号し男女和合の邪行を仏行とする(立川流のこと)。
(四)木律僧は、行儀を宗として定慧を修せず、心が少しもくつろがず、断悪証理の門に閉じられ、みずからを是とし、他を非とするを宗義とする。
    田中氏前掲同著、90頁

これは、『聖財集』に書かれていることだが、拙僧は同著を未見である。よって、田中氏の引用文を見ていくが、まさに、この評価は正しく、今の我々も忘れてはならないことである。特に、在家でただ坐禅ばかり愛する者は(一)に陥りやすい。まぁ、(二)はこの通りである。今でも浄土真宗の僧、門徒に見られる。(三)については、さすがに最近は見ないように思う。そして、最近の南方仏教を偏愛し、しかも戒律を重視する者は(四)に陥りやすい。気を付けたいものである。

最後に余計なことまで書いたが、この記事は備忘録なので、以上までとするし、今後修正する可能性もある。

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