拙僧自身、石川啄木(1886〜1912)という詩人については、良く知らない。理由は拙僧自身、全くといって良いほど小説を始めとする文学作品を読まないためである。でも、或る時師匠に教えて貰った啄木の「心よく われにはたらく 仕事あれ それを仕遂げて 死なんと思ふ」(『一握の砂』)という歌の1首は座右の銘にしていたりする。これこそ拙僧自身の仕事の仕方である。よって、拙僧はどんな仕事であっても、まず断らない。限界まで予定を入れようとする。よって、相手に合わせて仕事を選び、条件闘争をせんとする連中は、全く信用しない。
さて、何故石川啄木のことを急に採り上げようと思ったかといえば、拙僧自身、名前は知っていても、その人生を良く知らないためである。でも、明後日、岩手県に行くものだから、その前に軽く見ておこうと思った。多分、啄木の話はしないだろうけど。それから、啄木は現在の盛岡市玉山区日戸にある曹洞宗常光寺の住職であった石川一禎と妻・カツの長男として生まれている。更に父親が、同市玉山区渋民にある宝徳寺に転任したため、啄木も移転した。
ところで、啄木の評価というのは、どうも微妙らしい。
嘘つき、甘ちゃん、借金王、生活破綻者、傍迷惑、漁色家、お道化者、天才気取り、謀反好き、泣き虫、生意気、ほとんど詐欺師、忘恩の徒、何もしないで日記ばかりつけていた怠け者、盆踊好き、狂言自殺常習者、空中に楼閣を築く人種の代表的存在、貧乏を売り物にした偽善者、度し難い感傷家などなど、石川啄木という人物は、じつにさまざまな不名誉きわまりない異名の持主です。
井上ひさし氏「泣き虫なまいき石川啄木」、『悪党と幽霊―エッセイ集7』中公文庫、223頁
正直、余り良くはない評価のようである。井上氏が、「不名誉きわまりない異名の持主」というのは、もう異名の傾向が、そちらに窮まっていることを示すものである。しかし、井上氏は或る時、戯曲を5本以上列挙せよという話の中で、その1つに啄木を挙げた。ちょうど、生誕100周年が近付いていたためのようである(1986年前後であろう)。そこで井上氏は、全集を集めて、歌集から詩集、詩集から小説と読み進めたところ、その天才ぶりに気付いたようである。
更に「圧倒され」たのは評論集で、「完全に打ちのめされた」のは日記だったという。
実は、拙僧自身読んでみたいのは、この日記で・・・とか思っていたら、色々と制約はあるのかもしれないが、【石川啄木日記】というサイトを見つけた。そこから、細々と読んでいたところ、ほとんど仏教に関する記述は存在しなかった。実際のところ、拙僧の興味は、啄木自身に仏教的素養がどこまであったのか?それはつまり、岩手県内にある曹洞宗寺院の住職であった父から、何か手ほどきを受けたのかどうか?という話である。以前聞いた話では、父の所有物の中には、版本の『正法眼蔵』があったようだから、もしかして、啄木も『眼蔵』を読んでいるのかもしれないが、日記からはほとんどそれが知られない。
それどころか、こんな記述があって、やや失望。
我は仏徒に非ず。又基督教徒に非ず。然れども世の何人にも劣ることなき真理の愛僕なり。信者なり。
明治37年日誌(1月)
真理は愛するが、仏教徒でもなければキリスト教徒でもないという、一種の無宗派性を謳っている。深遠なる世の道理についての感心は尽きないが、ただそれだけだということになろう。そしてこれでは話にならない。深遠なる真理であるが故に、それを覗き込もうとするのなら、何かしらの「土管」でも探さなくてはならない。或る意味、宗派性とはこの「土管」のようなものだ。もし、それに頼りたくないのなら、後は「自分で掘る」しかない。ただし、どれほどに啄木が天才であっても、世俗的それと、宗教的それとでは、その力の発揮のされ方が全く違う。一から掘るのは大変なのだ。
よって、或る意味、そういう深遠さを、外からただ切望しているだけのように思えてならないのだ。それは、各宗派が持つであろう伝統などに反発しているだけの、若造の甘過ぎる観念である(18歳の時の日記)。そんなに真理を愛するのなら、黙って修行道場にでも、身を投じてしまう方が良いと思うのだが・・・無論、啄木にそれが出来たとは思えない。多分、彼の人生は、そういう苦労と無縁である。
ただ、別の意味での苦労はしている。先の井上氏は、啄木を評して、「どんな時代の人間も、人間であるかぎり、必ずぶつかるにちがいない実人生の苦しみのかずかずを、すべてはっきりと云い当てて列挙して行ってくれた人」(井上氏前掲同著、225頁)なのだそうだ。もっとも、彼の場合、実人生の苦しみを招いたのは、「甘ったれて現実を直視することを怠っていた」(224頁)ためだそうだから、余り同情も出来ないわけだが・・・
冒頭で、明後日岩手に行くと申し上げたが、その時、自分でする話に合わせて、啄木を話そうと思い、色々と調べ始めたんだけど、良い話になりそうになかったので、多分使わずに終わるという状況である。実際のところ、今年で100回忌だから、何かいおうとも思っているんだけど、「石川啄木、岩手県生まれで、今年100回忌ですねぇ」くらいしかいえなさそう。
ところで、拙僧自身、啄木が嫌いなわけではない。曹洞宗寺院に生まれ、苦労して早死にした1人の先輩である。よって、もう少し勉強しないと何もいえないな、というので、間に井上氏を挿んだというわけだ。井上氏、拙僧の高校の大先輩であるし、死してなお頼るべきは先輩である。
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さて、何故石川啄木のことを急に採り上げようと思ったかといえば、拙僧自身、名前は知っていても、その人生を良く知らないためである。でも、明後日、岩手県に行くものだから、その前に軽く見ておこうと思った。多分、啄木の話はしないだろうけど。それから、啄木は現在の盛岡市玉山区日戸にある曹洞宗常光寺の住職であった石川一禎と妻・カツの長男として生まれている。更に父親が、同市玉山区渋民にある宝徳寺に転任したため、啄木も移転した。
ところで、啄木の評価というのは、どうも微妙らしい。
嘘つき、甘ちゃん、借金王、生活破綻者、傍迷惑、漁色家、お道化者、天才気取り、謀反好き、泣き虫、生意気、ほとんど詐欺師、忘恩の徒、何もしないで日記ばかりつけていた怠け者、盆踊好き、狂言自殺常習者、空中に楼閣を築く人種の代表的存在、貧乏を売り物にした偽善者、度し難い感傷家などなど、石川啄木という人物は、じつにさまざまな不名誉きわまりない異名の持主です。
井上ひさし氏「泣き虫なまいき石川啄木」、『悪党と幽霊―エッセイ集7』中公文庫、223頁
正直、余り良くはない評価のようである。井上氏が、「不名誉きわまりない異名の持主」というのは、もう異名の傾向が、そちらに窮まっていることを示すものである。しかし、井上氏は或る時、戯曲を5本以上列挙せよという話の中で、その1つに啄木を挙げた。ちょうど、生誕100周年が近付いていたためのようである(1986年前後であろう)。そこで井上氏は、全集を集めて、歌集から詩集、詩集から小説と読み進めたところ、その天才ぶりに気付いたようである。
更に「圧倒され」たのは評論集で、「完全に打ちのめされた」のは日記だったという。
実は、拙僧自身読んでみたいのは、この日記で・・・とか思っていたら、色々と制約はあるのかもしれないが、【石川啄木日記】というサイトを見つけた。そこから、細々と読んでいたところ、ほとんど仏教に関する記述は存在しなかった。実際のところ、拙僧の興味は、啄木自身に仏教的素養がどこまであったのか?それはつまり、岩手県内にある曹洞宗寺院の住職であった父から、何か手ほどきを受けたのかどうか?という話である。以前聞いた話では、父の所有物の中には、版本の『正法眼蔵』があったようだから、もしかして、啄木も『眼蔵』を読んでいるのかもしれないが、日記からはほとんどそれが知られない。
それどころか、こんな記述があって、やや失望。
我は仏徒に非ず。又基督教徒に非ず。然れども世の何人にも劣ることなき真理の愛僕なり。信者なり。
明治37年日誌(1月)
真理は愛するが、仏教徒でもなければキリスト教徒でもないという、一種の無宗派性を謳っている。深遠なる世の道理についての感心は尽きないが、ただそれだけだということになろう。そしてこれでは話にならない。深遠なる真理であるが故に、それを覗き込もうとするのなら、何かしらの「土管」でも探さなくてはならない。或る意味、宗派性とはこの「土管」のようなものだ。もし、それに頼りたくないのなら、後は「自分で掘る」しかない。ただし、どれほどに啄木が天才であっても、世俗的それと、宗教的それとでは、その力の発揮のされ方が全く違う。一から掘るのは大変なのだ。
よって、或る意味、そういう深遠さを、外からただ切望しているだけのように思えてならないのだ。それは、各宗派が持つであろう伝統などに反発しているだけの、若造の甘過ぎる観念である(18歳の時の日記)。そんなに真理を愛するのなら、黙って修行道場にでも、身を投じてしまう方が良いと思うのだが・・・無論、啄木にそれが出来たとは思えない。多分、彼の人生は、そういう苦労と無縁である。
ただ、別の意味での苦労はしている。先の井上氏は、啄木を評して、「どんな時代の人間も、人間であるかぎり、必ずぶつかるにちがいない実人生の苦しみのかずかずを、すべてはっきりと云い当てて列挙して行ってくれた人」(井上氏前掲同著、225頁)なのだそうだ。もっとも、彼の場合、実人生の苦しみを招いたのは、「甘ったれて現実を直視することを怠っていた」(224頁)ためだそうだから、余り同情も出来ないわけだが・・・
冒頭で、明後日岩手に行くと申し上げたが、その時、自分でする話に合わせて、啄木を話そうと思い、色々と調べ始めたんだけど、良い話になりそうになかったので、多分使わずに終わるという状況である。実際のところ、今年で100回忌だから、何かいおうとも思っているんだけど、「石川啄木、岩手県生まれで、今年100回忌ですねぇ」くらいしかいえなさそう。
ところで、拙僧自身、啄木が嫌いなわけではない。曹洞宗寺院に生まれ、苦労して早死にした1人の先輩である。よって、もう少し勉強しないと何もいえないな、というので、間に井上氏を挿んだというわけだ。井上氏、拙僧の高校の大先輩であるし、死してなお頼るべきは先輩である。
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