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『正法眼蔵』と『立正安国論』

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中世ヨーロッパ史を専門とする歴史学者であり、東京産業大学(一橋大学)の学長も務められた上原專祿氏は、日蓮聖人に対する言及も多い。その中で、道元禅師に関わる言及もあったので、採り上げてみたい。

現世に対して保障ができないような仏教なら、後世安堵ということも疑問になってくるではないか。仏教の実力あるいは効果は、現世においてリアルな苦しみがなくなっていくことを一つの証拠として保障されるという考え方です。この考え方は道元禅師のなかにもある。道元と日蓮とはずいぶんちがっているようですが、「正法眼蔵」には、国中が乱れたり安穏でないのは悪法が世間にはびこっており、善神がところを去っているのでそうなるのであって、正法が行われればおのずから国土は安穏になってくるということが出ている。だから日蓮だけの思想ではない。ただ日蓮はそれを特に強調した。
    『上原專祿著作集26』評論社、321〜322頁

これは、1959年に行われた講演録で「「立正安国論」と私」というものである。上原氏は、仏教の実力・効果について、現世に於いてリアルな苦しみが無くなっていくことを、1つの証拠にするという。これは、いわゆる功徳による救済ということも含めた、仏教側の努力をいっているのだろう。ところで、これは日蓮聖人には明らかに見られる教えだそうで、一方で道元禅師にも見えるという。

それは、「「正法眼蔵」には、国中が乱れたり安穏でないのは悪法が世間にはびこっており、善神がところを去っているのでそうなるのであって、正法が行われればおのずから国土は安穏になってくるということ」だそうだが、これは上原氏が取意・意訳をしている箇所と思われ、このままでは具体的な箇所は分からない。早速拙僧なりに調査してみたが、これはどこのことを言っているのだろうか?『正法眼蔵』を明記してあるからには、95巻本のどこかにあるのだろうけれども・・・

例えば『正法眼蔵』「帰依仏法僧宝」巻や「鉢盂」巻などには、仏・天・神などの加護を説いているので、その辺から関係が見出せそうかとも思うのだが、上原氏の見解の前提となってる「悪法が世間にはびこり、善神がところを去る」というような記述がないため、果たしてこれが直接どこを指しているのか?拙僧には見当が付かない。上原氏ほどの方、どこかを示しておられるのだろうけれども、拙僧の不勉強を恥じるしかない。

そして、「正法が行われれば、国土は安穏になってくる」、というのも良く分からない。ただ、近い文脈はすぐに思い付く。

>国家に真実の仏法弘通すれば、諸仏・諸天ひまなく衛護するがゆえに、王化太平なり、聖化太平なれば、仏法そのちからをうるものなり。
    『弁道話』寮中、世間の事・名利の事・国土の治乱・供衆の麁細を談話すべからず。
    『衆寮箴規

道元禅師が1249年(50歳)に書かれた清規の一節である。『正法眼蔵』ではないが、しかし、学人には広く知られていたことのはずである(「宣読箴規」といって、毎月「1」の付く日に『衆寮箴規』を読むため)。よって、少なくとも永平寺に入られてからの道元禅師には、国土の様子については、それ程細々と考える余地は無かったともいえる。無論、先に挙げた『弁道話』のような考え方が全く無くなったとはいわないが、しかし、それはあくまでも仏道として捉えるべきなのである。

ここから、上原氏が仰るような、仏法による現世での「保障」についても、もしかすると、日蓮聖人のお考えになった内容と、我々が考える内容は違うかもしれない。それは、『立正安国論』を詳しく読んでからでないと理解出来なさそうだ。そちらは、別の機会にしたいと思う。

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