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「温泉」を語る禅僧

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たまたま、そういう関係の研究をしていた知り合いの先生がいて、禅宗に温泉がつきものだと教わったことがあります。その経緯を、江戸時代の学僧である面山瑞方禅師(1683〜1769)が指摘していますので、見ていきたいと思います。

  温泉と題す
 俗書、未だ詳らかに温泉を記さず、須く信ずべし釈経四縁を説くことを。
 海に非ずして自ずから鹹湯の本味、薪無くとも常に暖かなる水天然なり。
 誰か艾灼を労って千壮に苦しまん、已に薬方十全なることを喜ぶに勝る。
 血脈融通して活を衛らんと営む、浴医群集延年を賀す。
    『面山広録』巻13

面山禅師が示されるには、温泉ということについては、俗書(一般世間に伝わる、非仏教書)には見えないというのです。しかし、仏経・仏典には見えるのです。これは『大蔵経』に収録されている、『仏説温室洗浴衆僧経』(安世高訳、『大正蔵』なら巻16)などが顕著だといえましょう。同経は、耆域という在家信者が、折角この世に生を受けたとしても、これまでまともに善行を行ってこなかったので、何かすべきであるとし、仏及び諸菩薩を請うて、「温室に入り澡浴」して貰おうと願ったのであります。それに対し世尊は、澡浴の際の注意として、「当用七物、除去七病、得七福報」を述べています。

つまり、七病を除いて、七つの福報を得るというのです。

さて、面山禅師は、温泉というのは、海ではないのに、塩味だといい、しかも、薪を用いなくても、常に自然に水が温かいと述べています。塩味って、どこの話だろう?沿岸部にある温泉のことなのでしょうかね。そして、お灸をいくらしようと、温泉の薬効の方が遙かに勝れているともいうのです。

そして、血脈がよく回り、活き活きとするというのです。この辺が温泉の効果でしょうか。そして、面山禅師は、「浴医」と述べています。これは、職なのか?それとも、温泉そのものを「医者」に喩えた言葉か?ちょっと判断は付きませんが、後者としておきましょう。医者の如くの温泉に、人が集まって、寿命が延びることを喜んでいるというわけです。確かに、とても身体に良いものですよね。

ようやく、今年の盂蘭盆会(お盆)の行持の一段落しましたので、温泉にでも行きたいものです。拙僧の母方の祖父母は、宮城県旧鳴子町なので、鳴子温泉(公式サイト)にでも行きますかね。

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