前回の【(12b)】に引き続いて、無住道曉の手になる『沙石集』の紹介をしていきます。
『沙石集』は全10巻ですが、この第10巻が、最後の巻になります。第10巻目は、様々な人達(出家・在家問わず)の「遁世」や「発心」、或いは「臨終」などが主題となっています。世俗を捨てて、仏道への出離を願った人々を描くことで、無住自身もまた、自ら遁世している自分のありさまを自己認識したのでしょう。今日も「一 浄土房遁世の事」を見ていきます。これは、遁世し、往生しようとする人達の様々なドラマを紹介します。
やや昔の先達の智慧者は、皆、大事を大事だと思って、或いは神仏に祈り請うて(自分に)道心が起きることを願った。僧賀上人は、(比叡山の根本)中堂に1000日間参籠して、毎晩1000回の礼拝をして、「道心よ起これ」と仰ったのだ。
拙僧ヘタレ訳
ちょっと短い訳文になってしまいましたが、拙ブログで何度か採り上げている増賀上人(無住禅師のように「僧賀」とも記載)が出て来ましたので、これを1回として記事にしたいと思います。今回の記事は、先に挙げた前回の記事を受けた内容になります。無住禅師は、その時代の念仏者の中に、余りに極楽往生が安易に行えてしまえると思っている人がいることを歎き、「往生の大事」を正しく決着するように説きました。その上で、かつての僧侶にも、「大事を大事と思う」人がいたとして、増賀上人を挙げられたわけです。
増賀上人の伝記については、【その奇行は何のため? 増賀上人(私的往生極楽記4)】をご参照いただくと良いと思いますが、今回、無住禅師が注目しているのは、増賀上人が大事に思っていた「道心を発すこと」について、1000日もの礼拝行を行ったことです。この件について、これまでの伝記紹介では簡単にしか触れてこなかったので、鴨長明の著作から確認したいと思います。
しかし、心の内には、深く世を厭い、名利に把われず、極楽に生まれることのみを、人知れず願っておられた。納得出来る道心が起きないことのみを歎いて、(比叡山の)根本中堂に千夜参りして、毎晩ごとに千回の礼拝をして、道心が起きるように祈った。
始めた当初は、礼拝するごとに、僅かの音を立てることも無かったが、六〜七百夜にいたると、「付き給え、付き給え」と静かに言って礼拝するものだから、これを聞いた人は、「この僧は、何事を祈っているのか。天狗でも付き給え、ということか」などと怪しみ、嘲笑した。
(千夜も)終わりの方に来ると、「道心付き給え」を明らかに聞こえるような時があり、(これを聞いた人々は)「何とも素晴らしいことだ」などと讃歎した。
『発心集』巻1―5、拙僧ヘタレ抄訳
このように、増賀上人は徹底して道心を発そう(発心)と努めたのです。我々禅宗でも、この発心を問いますけれども、現状では、人それぞれという感じもします。しかし、不退転の道心があるからこそ、我々は無限の修行へと進むことが出来るのです。道心が不十分であれば、必ず修行が退転します。修行の退転は、同時に悟りへの道から外れることとなります。
よって、なんとしても道心を発さねばならないのです。
無論、人が修行に入るきっかけは様々です。道心無くして、進めてしまうこともあります。ただ、例えば、道元禅師は、智慧があれば、道心は後に具わることもあるとし、また、優れた善知識に随身していれば、道心が起こることがあるともしています(ともに『正法眼蔵随聞記』)。我々は、先人が説いた「大事」について、再度考えていくべきであろうと思います。「大事」とは、往生であろうと、道心であろうと、ともに目指すは「成仏」についていわれることです。真剣にそれを考えていくことが肝心だといえます。その方法は様々で良いのです。だからこそ、仏道修行というのは、様々な方法があるのです。我々は、それをついつい「他人事のように眺めてしまう」ので、様々あって複雑だと考えますが、結局、その当人にしてみれば、「一事」に集約されます。その「一事」とどのようにして出会うのか?これこそ、「一大事因縁」であるのです。
【参考資料】
・筑土鈴寛校訂『沙石集(上・下)』岩波文庫、1943年第1刷、1997年第3刷
・小島孝之訳注『沙石集』新編日本古典文学全集、小学館・2001年
これまでの連載は【ブログ内リンク】からどうぞ。
この記事を評価して下さった方は、
にほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
『沙石集』は全10巻ですが、この第10巻が、最後の巻になります。第10巻目は、様々な人達(出家・在家問わず)の「遁世」や「発心」、或いは「臨終」などが主題となっています。世俗を捨てて、仏道への出離を願った人々を描くことで、無住自身もまた、自ら遁世している自分のありさまを自己認識したのでしょう。今日も「一 浄土房遁世の事」を見ていきます。これは、遁世し、往生しようとする人達の様々なドラマを紹介します。
やや昔の先達の智慧者は、皆、大事を大事だと思って、或いは神仏に祈り請うて(自分に)道心が起きることを願った。僧賀上人は、(比叡山の根本)中堂に1000日間参籠して、毎晩1000回の礼拝をして、「道心よ起これ」と仰ったのだ。
拙僧ヘタレ訳
ちょっと短い訳文になってしまいましたが、拙ブログで何度か採り上げている増賀上人(無住禅師のように「僧賀」とも記載)が出て来ましたので、これを1回として記事にしたいと思います。今回の記事は、先に挙げた前回の記事を受けた内容になります。無住禅師は、その時代の念仏者の中に、余りに極楽往生が安易に行えてしまえると思っている人がいることを歎き、「往生の大事」を正しく決着するように説きました。その上で、かつての僧侶にも、「大事を大事と思う」人がいたとして、増賀上人を挙げられたわけです。
増賀上人の伝記については、【その奇行は何のため? 増賀上人(私的往生極楽記4)】をご参照いただくと良いと思いますが、今回、無住禅師が注目しているのは、増賀上人が大事に思っていた「道心を発すこと」について、1000日もの礼拝行を行ったことです。この件について、これまでの伝記紹介では簡単にしか触れてこなかったので、鴨長明の著作から確認したいと思います。
しかし、心の内には、深く世を厭い、名利に把われず、極楽に生まれることのみを、人知れず願っておられた。納得出来る道心が起きないことのみを歎いて、(比叡山の)根本中堂に千夜参りして、毎晩ごとに千回の礼拝をして、道心が起きるように祈った。
始めた当初は、礼拝するごとに、僅かの音を立てることも無かったが、六〜七百夜にいたると、「付き給え、付き給え」と静かに言って礼拝するものだから、これを聞いた人は、「この僧は、何事を祈っているのか。天狗でも付き給え、ということか」などと怪しみ、嘲笑した。
(千夜も)終わりの方に来ると、「道心付き給え」を明らかに聞こえるような時があり、(これを聞いた人々は)「何とも素晴らしいことだ」などと讃歎した。
『発心集』巻1―5、拙僧ヘタレ抄訳
このように、増賀上人は徹底して道心を発そう(発心)と努めたのです。我々禅宗でも、この発心を問いますけれども、現状では、人それぞれという感じもします。しかし、不退転の道心があるからこそ、我々は無限の修行へと進むことが出来るのです。道心が不十分であれば、必ず修行が退転します。修行の退転は、同時に悟りへの道から外れることとなります。
よって、なんとしても道心を発さねばならないのです。
無論、人が修行に入るきっかけは様々です。道心無くして、進めてしまうこともあります。ただ、例えば、道元禅師は、智慧があれば、道心は後に具わることもあるとし、また、優れた善知識に随身していれば、道心が起こることがあるともしています(ともに『正法眼蔵随聞記』)。我々は、先人が説いた「大事」について、再度考えていくべきであろうと思います。「大事」とは、往生であろうと、道心であろうと、ともに目指すは「成仏」についていわれることです。真剣にそれを考えていくことが肝心だといえます。その方法は様々で良いのです。だからこそ、仏道修行というのは、様々な方法があるのです。我々は、それをついつい「他人事のように眺めてしまう」ので、様々あって複雑だと考えますが、結局、その当人にしてみれば、「一事」に集約されます。その「一事」とどのようにして出会うのか?これこそ、「一大事因縁」であるのです。
【参考資料】
・筑土鈴寛校訂『沙石集(上・下)』岩波文庫、1943年第1刷、1997年第3刷
・小島孝之訳注『沙石集』新編日本古典文学全集、小学館・2001年
これまでの連載は【ブログ内リンク】からどうぞ。
この記事を評価して下さった方は、
