今日から、曹洞宗寺院の、特に修行道場(僧堂)では、「臘八摂心」という修行が行われる。これは、臘月(12月)の8日に、釈迦牟尼仏が成道された勝躅に因んで行われるものであり、特に、仏陀は成道される一週間を、坐禅に費やしたと考えられることから、その仏陀の修行を追体験し、そして、仏陀の成道を顕彰するために、摂心(坐禅)を行うのである。
毎年、この臘八摂心に合わせて、坐禅に関する文献を短期連載の形で読み解いていくことにしているのだが、今年は江戸時代の学僧・面山瑞方禅師(1683〜1769)撰『自受用三昧』にしたい。この著作についての大意は、とりあえず、面山禅師自身が著された「自題」を読めば分かると思われる(執筆経緯は、末尾に付された識語で分かるが、それは連載最後に採り上げる)ので、今日は短期連載の最初として、その「自題」の読解から進めてみたい。明日から本文に入る。なお、おそらく7回では終わらないので、昨年同様に、臘八摂心終了後も記事は続くと思われる。気長にお付き合い願いたい。
古徳がいわれるには、「毘盧舎那とは、ここでは(意訳して)光明遍照というが、(その名前には)二つの意義がある。
一つは内の智慧の光をもって真法界を照らし、これは自受用の義としている。
二つは外の身体の光をもって大いなる機に照らし応ずる、これは他受用の義としている」。
つまりはこれが自受用三昧の元として由るところである。しかし、言うことだけは但だ果上であるとはするが、凡夫の(成仏への)因行が直ちにこの(毘盧舎那の)徳があるとは説かない。ここが、教家の者達の系統で、節目に足踏みして衆生と仏との階梯になずむ所以である。
仏祖が要機としたところは、そうでは無い。
臨済大師がいわれるには、「そなたが祖師と仏とが異ならない道理を得ようと思うのなら、外に向かって(それらを)求めてはならない。そなたの一念心上の清浄なる光、つまりはこれが、そなたの内なる法身仏である」と。
宏智禅師がいわれるには、「眉間より光を発して、大千世界が影現している。事象は是で、物は渠である。共にこれは、衲僧の自受用の境涯である」と。
要機については良く知るべきである。中世から看話禅の方法に眩惑されてより、(本来の曹洞宗の)宗風が一変して、要機を失却してしまった。ただ永平祖師のみあって、磨けども、薄くなることは無く、便ち「永平、有る時、自受用三昧に入りて、ただ諸人の手にまかせて摘み上げようと思う」と仰っている。
嗚呼、今、末法・悪時・邪見の稠林の中にあっても、忽ちにこのような優曇華(の如く有り難い言葉)の開く時に逢うことが出来ようとは。これは、宿因の感幸するところであろう。宜しく自ら歓喜して奉行すべきである。
時に、元文三年(1738)戊午正月吉日
若州方杜多自ら題す 印[瑞方] 印[面山]
拙訳
これが面山禅師の自ら定められた題である。まずは法蔵『梵網経菩薩戒本疏』を引きながら、「毘盧舎那仏」の訳語である「光明遍照」を示しつつ、「自受用」と「他受用」とを導いて、この「自受用三昧」のありようを示している。いうまでもないことだが、面山禅師が何故ここで「自受用三昧」を説いたかといえば、この一冊の文献のタイトルを示すのみに留まらず、道元禅師の『弁道話』の冒頭でもまた、「自受用三昧」が説かれているからに他ならない。
ところで、この辺は拙僧も未だ能く分からないところではあるが、密教に於ける「自受用」の定義というのは、様々な思想的変遷があるものらしい。そこで、最も手にしやすい弘法大師空海関係の解説書から、この辺の所を追っていきたいと思うのだが、次のような指摘がある。
もし『秘蔵金剛頂経』の説に拠らば、如来の変化身は、地前の菩薩、及び二乗・凡夫等のために三乗の教法を説き、他受用身は、地上の菩薩の為に顕の一乗等を説きたもう。並びに、是れ顕教なり。自性・受用仏は、自受法楽の故に、自眷属とともに各三密門を説きたもう。之を密教と謂う。
沙門空海撰『弁顕密二教論(上)』、宮坂宥勝先生監修『空海コレクション?』ちくま学芸文庫所収、参照
空海が『秘蔵金剛頂経(分別聖位経)』を引用して、独自の法身論を展開している様子が、ここからは伺えるそうだが、とりあえずここで参照しておきたいのは、変化身や他受用が様々な機根を持つ衆生に対して働くのに対し、自性・受用仏が自受法楽として、密教を説いているという説示である。更に、この時に、法身上では、説かれるべき「他者」が見出されるのでは無くて、「自眷属とともに」説法が行われていることである。この、他者の不在こそが、「自受用」の極致であり、逆にいえば、既に一切の存在を救済し尽くしていることを意味するといえる。
面山禅師は、自受用三昧も職由を示すものの、ただ「果上」にある存在を説くのみで、凡夫の修行に、毘盧舎那仏の徳がないと説くことを問題視しているのである。これは、言葉のみ生仏一等を説きながら、実際の行の観点では、それが見失われていることを問題視しているといえる。ところが、「仏祖の要機」とは、そうでは無いという。仏祖の要機では、教化がいうところの生仏一等よりも、余程ラディカルにそれを示そうとしている。つまりは、行の観点からも、凡夫が行う修行であっても、その方法によって、自受用三昧そのものだといっているのである。
その典拠として示したのが、臨済禅師『臨済録』と、宏智正覚禅師『宏智録』からの引用である。両者ともに、究尽された自他一等の境地を、外に求めるのでは無くて、自心に戻りつつ(これが摂心といえる)、しかし、その自心が普遍性に至らんとするプロセスそのものの形成性を含んだ構築的自心であり続ける時、一切の事象は心的事実に解体されて、宏智禅師の仰る「眉間より光を発して、大千世界が影現している」様子が道取され、更に、「事象は是で、物は渠である」というような一切存在の真の姿も、「衲僧の自受用」として道得されるのである。
衲僧の自受用は、更に道元禅師の『永平広録』巻4-266上堂に於いて、諸人の手に任せて摘み上げるという、通身是手眼であり、夜間背手模枕子の観音菩薩行にまで昇華されている。この時の観音は「過去正法明如来」であって、ただの菩薩では無い。仏祖一体としての「仏法の全道」であり、「祖道の全靠」である。或いは、「仏法の総府」ともいわれるべきである。この総府には、入らざる衆生は無く、真の意味で、坐禅人と共に歩む恁麼人が道得されるのみである。だからこそ、面山禅師は、この道元禅師の教えを、「優曇華」と述べたのだ。道元禅師は更に、「しかあればすなはち、一切はみな優曇華なり。かるがゆえに、すなはちこれを、まれなり、といふ」と『正法眼蔵』「優曇華」巻で指摘されるが、一切存在は皆、優曇華なのである。日常底は優曇華である。だからこそ「まれ(稀)」なのである。「まれ」とは、奇特事である。しかし、奇特事とは、仏祖の家常茶飯である。
家常とは「尋常」の意義である。日常底が、しかし、優曇華であり、我々はそれを「まれ」だという。いわば、「まれ」とは、一般世間にいう意味では無い。仏祖道に於いていわれることである。この優曇華に逢うことは、まれであり、面山禅師は宿因があってのことだという。この自覚は非常に大切である。我々は、日常底に仏道の行履を歩むが、それはしかし、無常観に裏打ちされた歩みであって、道元禅師は次のように表現されている。
身すでにわたくしにあらず、いのちは光陰にうつされてしばらくもとどめがたし。紅顔いづくへかさりにし、たづねんとするに蹤跡なし。つらつら観ずるところに、往事のふただひあふべからざるおほし。
『正法眼蔵』「恁麼」巻
この無常観が、つまりは、家常でありながら、同時に「まれ」であるのだ。これは「菩提心」が、一方で「菩提を得ようと願う心」であると同時に「菩提そのものの心」として、「発菩提心、菩提心発」(「身心学道」巻)として展開されることとも重なってくる。或いは、これを浄土門的に言えば「厭離穢土・欣求浄土」の心である。或いは、天童如浄禅師が道元禅師に示された如くの欲界に端坐在す仏祖の柔軟心である。そして、家常即稀が同時に「恁麼人」に展開されている事実を忘れてはならない。上の文脈には、以下の語が続く。
赤心もとどまらず、片片として往来す。たとひまことありといふとも、吾我のほとりにとどこほるものにあらず。恁麼なるに、無端に発心するものあり。この心おこるより、向来もてあそぶところをなげすてて、所未聞をきかんとねがひ、所未証を証せんともとむる、ひとへにわたくしの所為にあらず。しるべし、恁麼人なるゆえに、しかあるなり。なにをもつてか恁麼人にてありとしる。すなはち恁麼事をえんとおもふによりて、恁麼人なりとしるなり。
同上
我々は恁麼事を得ようと思う時、それは既に恁麼人である。恁麼人であるのは、この恁麼即直趣無上菩提の事実は、自受用三昧の事実から展開せられる恁麼道だからである。自受用三昧の事実とは、常に無上菩提に遊化する仏祖と共に歩み、仏祖と共に説法し、仏祖と共に証し尽くす自他一等の恁麼道をいう。我々の坐禅とは、今更に恁麼事を得ようと思う時、既に恁麼道によって包含されている。恁麼道としての包含とは、「包含万有包含于包含万有」であり、包含せられざる存在が無い功夫である海印三昧である。
ここまで述べたので、後は本論に入る。
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毎年、この臘八摂心に合わせて、坐禅に関する文献を短期連載の形で読み解いていくことにしているのだが、今年は江戸時代の学僧・面山瑞方禅師(1683〜1769)撰『自受用三昧』にしたい。この著作についての大意は、とりあえず、面山禅師自身が著された「自題」を読めば分かると思われる(執筆経緯は、末尾に付された識語で分かるが、それは連載最後に採り上げる)ので、今日は短期連載の最初として、その「自題」の読解から進めてみたい。明日から本文に入る。なお、おそらく7回では終わらないので、昨年同様に、臘八摂心終了後も記事は続くと思われる。気長にお付き合い願いたい。
古徳がいわれるには、「毘盧舎那とは、ここでは(意訳して)光明遍照というが、(その名前には)二つの意義がある。
一つは内の智慧の光をもって真法界を照らし、これは自受用の義としている。
二つは外の身体の光をもって大いなる機に照らし応ずる、これは他受用の義としている」。
つまりはこれが自受用三昧の元として由るところである。しかし、言うことだけは但だ果上であるとはするが、凡夫の(成仏への)因行が直ちにこの(毘盧舎那の)徳があるとは説かない。ここが、教家の者達の系統で、節目に足踏みして衆生と仏との階梯になずむ所以である。
仏祖が要機としたところは、そうでは無い。
臨済大師がいわれるには、「そなたが祖師と仏とが異ならない道理を得ようと思うのなら、外に向かって(それらを)求めてはならない。そなたの一念心上の清浄なる光、つまりはこれが、そなたの内なる法身仏である」と。
宏智禅師がいわれるには、「眉間より光を発して、大千世界が影現している。事象は是で、物は渠である。共にこれは、衲僧の自受用の境涯である」と。
要機については良く知るべきである。中世から看話禅の方法に眩惑されてより、(本来の曹洞宗の)宗風が一変して、要機を失却してしまった。ただ永平祖師のみあって、磨けども、薄くなることは無く、便ち「永平、有る時、自受用三昧に入りて、ただ諸人の手にまかせて摘み上げようと思う」と仰っている。
嗚呼、今、末法・悪時・邪見の稠林の中にあっても、忽ちにこのような優曇華(の如く有り難い言葉)の開く時に逢うことが出来ようとは。これは、宿因の感幸するところであろう。宜しく自ら歓喜して奉行すべきである。
時に、元文三年(1738)戊午正月吉日
若州方杜多自ら題す 印[瑞方] 印[面山]
拙訳
これが面山禅師の自ら定められた題である。まずは法蔵『梵網経菩薩戒本疏』を引きながら、「毘盧舎那仏」の訳語である「光明遍照」を示しつつ、「自受用」と「他受用」とを導いて、この「自受用三昧」のありようを示している。いうまでもないことだが、面山禅師が何故ここで「自受用三昧」を説いたかといえば、この一冊の文献のタイトルを示すのみに留まらず、道元禅師の『弁道話』の冒頭でもまた、「自受用三昧」が説かれているからに他ならない。
ところで、この辺は拙僧も未だ能く分からないところではあるが、密教に於ける「自受用」の定義というのは、様々な思想的変遷があるものらしい。そこで、最も手にしやすい弘法大師空海関係の解説書から、この辺の所を追っていきたいと思うのだが、次のような指摘がある。
もし『秘蔵金剛頂経』の説に拠らば、如来の変化身は、地前の菩薩、及び二乗・凡夫等のために三乗の教法を説き、他受用身は、地上の菩薩の為に顕の一乗等を説きたもう。並びに、是れ顕教なり。自性・受用仏は、自受法楽の故に、自眷属とともに各三密門を説きたもう。之を密教と謂う。
沙門空海撰『弁顕密二教論(上)』、宮坂宥勝先生監修『空海コレクション?』ちくま学芸文庫所収、参照
空海が『秘蔵金剛頂経(分別聖位経)』を引用して、独自の法身論を展開している様子が、ここからは伺えるそうだが、とりあえずここで参照しておきたいのは、変化身や他受用が様々な機根を持つ衆生に対して働くのに対し、自性・受用仏が自受法楽として、密教を説いているという説示である。更に、この時に、法身上では、説かれるべき「他者」が見出されるのでは無くて、「自眷属とともに」説法が行われていることである。この、他者の不在こそが、「自受用」の極致であり、逆にいえば、既に一切の存在を救済し尽くしていることを意味するといえる。
面山禅師は、自受用三昧も職由を示すものの、ただ「果上」にある存在を説くのみで、凡夫の修行に、毘盧舎那仏の徳がないと説くことを問題視しているのである。これは、言葉のみ生仏一等を説きながら、実際の行の観点では、それが見失われていることを問題視しているといえる。ところが、「仏祖の要機」とは、そうでは無いという。仏祖の要機では、教化がいうところの生仏一等よりも、余程ラディカルにそれを示そうとしている。つまりは、行の観点からも、凡夫が行う修行であっても、その方法によって、自受用三昧そのものだといっているのである。
その典拠として示したのが、臨済禅師『臨済録』と、宏智正覚禅師『宏智録』からの引用である。両者ともに、究尽された自他一等の境地を、外に求めるのでは無くて、自心に戻りつつ(これが摂心といえる)、しかし、その自心が普遍性に至らんとするプロセスそのものの形成性を含んだ構築的自心であり続ける時、一切の事象は心的事実に解体されて、宏智禅師の仰る「眉間より光を発して、大千世界が影現している」様子が道取され、更に、「事象は是で、物は渠である」というような一切存在の真の姿も、「衲僧の自受用」として道得されるのである。
衲僧の自受用は、更に道元禅師の『永平広録』巻4-266上堂に於いて、諸人の手に任せて摘み上げるという、通身是手眼であり、夜間背手模枕子の観音菩薩行にまで昇華されている。この時の観音は「過去正法明如来」であって、ただの菩薩では無い。仏祖一体としての「仏法の全道」であり、「祖道の全靠」である。或いは、「仏法の総府」ともいわれるべきである。この総府には、入らざる衆生は無く、真の意味で、坐禅人と共に歩む恁麼人が道得されるのみである。だからこそ、面山禅師は、この道元禅師の教えを、「優曇華」と述べたのだ。道元禅師は更に、「しかあればすなはち、一切はみな優曇華なり。かるがゆえに、すなはちこれを、まれなり、といふ」と『正法眼蔵』「優曇華」巻で指摘されるが、一切存在は皆、優曇華なのである。日常底は優曇華である。だからこそ「まれ(稀)」なのである。「まれ」とは、奇特事である。しかし、奇特事とは、仏祖の家常茶飯である。
家常とは「尋常」の意義である。日常底が、しかし、優曇華であり、我々はそれを「まれ」だという。いわば、「まれ」とは、一般世間にいう意味では無い。仏祖道に於いていわれることである。この優曇華に逢うことは、まれであり、面山禅師は宿因があってのことだという。この自覚は非常に大切である。我々は、日常底に仏道の行履を歩むが、それはしかし、無常観に裏打ちされた歩みであって、道元禅師は次のように表現されている。
身すでにわたくしにあらず、いのちは光陰にうつされてしばらくもとどめがたし。紅顔いづくへかさりにし、たづねんとするに蹤跡なし。つらつら観ずるところに、往事のふただひあふべからざるおほし。
『正法眼蔵』「恁麼」巻
この無常観が、つまりは、家常でありながら、同時に「まれ」であるのだ。これは「菩提心」が、一方で「菩提を得ようと願う心」であると同時に「菩提そのものの心」として、「発菩提心、菩提心発」(「身心学道」巻)として展開されることとも重なってくる。或いは、これを浄土門的に言えば「厭離穢土・欣求浄土」の心である。或いは、天童如浄禅師が道元禅師に示された如くの欲界に端坐在す仏祖の柔軟心である。そして、家常即稀が同時に「恁麼人」に展開されている事実を忘れてはならない。上の文脈には、以下の語が続く。
赤心もとどまらず、片片として往来す。たとひまことありといふとも、吾我のほとりにとどこほるものにあらず。恁麼なるに、無端に発心するものあり。この心おこるより、向来もてあそぶところをなげすてて、所未聞をきかんとねがひ、所未証を証せんともとむる、ひとへにわたくしの所為にあらず。しるべし、恁麼人なるゆえに、しかあるなり。なにをもつてか恁麼人にてありとしる。すなはち恁麼事をえんとおもふによりて、恁麼人なりとしるなり。
同上
我々は恁麼事を得ようと思う時、それは既に恁麼人である。恁麼人であるのは、この恁麼即直趣無上菩提の事実は、自受用三昧の事実から展開せられる恁麼道だからである。自受用三昧の事実とは、常に無上菩提に遊化する仏祖と共に歩み、仏祖と共に説法し、仏祖と共に証し尽くす自他一等の恁麼道をいう。我々の坐禅とは、今更に恁麼事を得ようと思う時、既に恁麼道によって包含されている。恁麼道としての包含とは、「包含万有包含于包含万有」であり、包含せられざる存在が無い功夫である海印三昧である。
ここまで述べたので、後は本論に入る。
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