良寛さんが、たった一口で日常生活や仏道修行で足りないところを言い当てる、それがこの「一口戒語」。
己がうぢ素性の高きことを人に語る。
あぁ、誰だったか忘れましたが、何も能力・経歴を誇る物がない人は、素性(出自・家系)の凄さを誇るしかないという言葉があったことだけ思い出しました。その作家は、端的に「無能の証」であると述べています。ただ、いわゆる明治維新後の平等社会の上での状況と、当時の身分制社会とでは、この言葉の重みも違うのかな?という印象です。素性だけで人格が決まってしまうような状況ですと、どこに行ってもちやほやされるのでしょうし、その意味において、このようなことを、良寛さんが諫めたのは当然であろうと思います。何故なら、ちやほやされたいという想いそのものが批判されねばならないわけですので・・・
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己がうぢ素性の高きことを人に語る。
あぁ、誰だったか忘れましたが、何も能力・経歴を誇る物がない人は、素性(出自・家系)の凄さを誇るしかないという言葉があったことだけ思い出しました。その作家は、端的に「無能の証」であると述べています。ただ、いわゆる明治維新後の平等社会の上での状況と、当時の身分制社会とでは、この言葉の重みも違うのかな?という印象です。素性だけで人格が決まってしまうような状況ですと、どこに行ってもちやほやされるのでしょうし、その意味において、このようなことを、良寛さんが諫めたのは当然であろうと思います。何故なら、ちやほやされたいという想いそのものが批判されねばならないわけですので・・・
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