2010年、【1月9日 とんちの日と一休禅師】という記事を書いたときに、拙僧こんなことを書いておりました。
拙僧自身、『一休咄』のテキストを持っていれば良かったのですが、残念ながら無いので〈以下略〉
それで、これ以降、何とか『一休咄』を入手しようと思い、大学の図書館のホムペなどを調べていたら、ありゃ?市販されてるのか・・・ということで、早速神保町に赴き岩波書店「新日本古典文学大系」から『仮名草子集』(渡辺守邦・渡辺憲司両氏校注、1991年)を定価3700円のところ、古書価格1000円でゲットしたのであります。註記もわんさか付いているし、すぐに訛ってしまう江戸期の古文の読み込み実習にも良いだろう、とか思って買ったのですが、この書籍、『一休咄(収録名は『一休ばなし』)』以外にも多くの文献が収録されているので、それらにも眼を通していたところ、何とも拙ブログに相応しいお話しを見付けてしまいました。早速見ていきましょう。
と、その前に、皆さん普通、各御寺院・御家庭の「守り神」として勧請(お招き)するのでしたら、どのような神様、或いは仏・菩薩などを呼ばれるでしょうか?多くの場合は、「福の神」として、収入や人脈、来客・縁(えにし)などを豊かにし、富ませてくれる存在をお招きするかと存じます。曹洞宗の豪徳寺様から始まったという「招き猫」、或いは仙台市内の商店に多く祀られる「仙台四郎」などは、俗的解釈がされましたが、或る意味「福の神」になるのでしょう。しかし、人は富の追求ばっかり考えるわけではなかったようで、拙僧もこの一節を読んで唸ってしまいました。むぅ〜
瓦屋町から本街道(伏見街道のこと)に出て、一つ二つの橋を渡れば、すぐに東福寺の門前である。この開山である聖一国師(円爾)は、その徳(能力)が神に通じていて、未来を照鑑すること、ただ掌を指すようなくらい簡単であった。そのために、この山に貧乏神を勧請したという。
その(円爾の)真意だが、末法の世に至り、この(東福寺)寺中が経済的繁栄に見舞われてしまえば、(僧侶達が)王侯や貴人といった権力者と交際するようになり、月見や花見の宴に酔いしれて、学問に疎くなってしまうだろう、ということであった。
その後、(円爾が)願っていたように、虎関(師錬)という大知識が出て来て、元亨の頃『釈書』を著し、その他数万言(に及ぶ著作)を世に残されたという。この虎関が、未だ小僧であったとき、一山の喝食といった小僧達が、雲の如く集まっていて、遊びに、寺の脇にある堀切を飛び越えて功名を競うことがあった。今の子どもがするように、堀を飛ぶときには、それぞれ「何の名字の誰」「何氏の何某」など、その家々の氏姓や系図を名乗った。しかし、虎関は元々種姓が正しい人(藤原氏の出)であったが、その名字をいうことはなく、ただ「釈氏の虎関」とだけ名乗られたという。まこと、一寸の松にも亢龍(登り詰めた龍のこと)の姿があるというのはこのことである。
『是楽物語(上)』、『仮名草子集』223頁、拙僧ヘタレ訳
この『是楽物語』というのは、『仮名草子集』解題に依れば、3巻3冊で、作者や成立時の具体的情報は未詳とのこと。ただ、内容や刊行年代によって、明暦年間(1655〜1658)から寛文元年(1661)までの作とされています。江戸時代初期ですね。内容は、明暦元年の頃に、50過ぎの男2人と、16歳の少女が巻き起こす「一夏の恋物語」だそうです。主人公は、京の四条辺りに住む裕福な町人山本友名と、その旧知の仲である遊び人是楽の2人であります。友名は夢で出会った美女を忘れ難く、その恋煩いの治療に温泉療法を勧めた是楽とが「有馬温泉」に行くという話なのであります。
今日紹介した東福寺の一件は、その京から有馬に行く途中で、道すがらの風景を描写した中に入っていたものです。当時から、京の都では寺院巡り、霊場巡りというのは人気があったようで、この『是楽物語』に引かれている諸々の説話も興味を引くものばかりであります。
それにしても東福寺ですよ。拙僧も以前、京都で仕事をしたときに立ち寄りましたが、驚くばかりの大伽藍、とてもとても貧乏神が勧請されていたなんて、この話を知った後でも信じられませんが、そう語られるに至る円爾禅師の危惧も良く分かります。そして、この説話を見ていて気になったのが、円爾の弟子になるという無住道曉禅師の『沙石集』に、やたら詳しく「貧乏神」の話が説かれていたことです。
以前、拙ブログの連載記事【無住道曉『沙石集』の紹介(10w)】などに採り上げてみましたが、これは貧乏神を家から追い出した話なのです。でも、追い出すことが出来るのなら、招くことだって出来たでしょう。よって、拙僧この『是楽物語』を読んだだけでしたら信用しませんでしたが、無住の話を読んで、今回の話は事実だったかもしれない、と思うようになったのであります。まぁ、不勉強なので、この話の典拠があるのかどうか調べていませんが、話の後半に虎関師錬と『元亨釈書』の話が出ているということは、その詳しすぎる「円爾伝」(『元亨釈書』は全30巻ですが、その第7巻丸々1巻を使った「円爾伝」……いくら虎関が法孫とはいえ詳しすぎ・笑)にでも載っているのかな?(無いようです)
だいたい、本文を読めば円爾禅師の真意も良く分かると思いますが、坊さん、金を持つとロクなことがないということで、それなら「貧乏神」呼んで、お金が集まらないようにし、みんなに勉強して貰おう、という話なのであります(今なら、これで人も集まらなくなりますが、僧侶に必要なのは「発心(志)」ですから)。そして、『是楽物語』では、その「現証」として、虎関師錬が世に現れたことを評価しているのです。もっとも、その後同寺がどうなったかは・・・さておき、円爾や虎関の話は「貧の学道」を地で行くような内容ですね。是非とも、各御寺院様でも、寺中の者たちが危機感を持って勉強するように願って、「貧乏神」を勧請されては如何でしょう?鎮守諷経にも「当山鎮守護法善神、貧乏神」とか読み込んだら、ちょっと格好いいような。あ、拙寺は多分とっくに勧請しなくても居着いている気もするので、むしろ無住の方法にしたがい「追い出す」ことを考えた方が良さそうですけど・・・
末尾乍ら申し上げれば、『是楽物語』には、これ以外にも「呪詛」の話とか、「法華信仰」の話とか、仏教説話としてお楽しみ満載でありますので、機会があれば記事にしてみようと思います。江戸時代に入って数十年経ってはいるのですが、気分はまだまだ中世という趣がある仮名草子です。
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拙僧自身、『一休咄』のテキストを持っていれば良かったのですが、残念ながら無いので〈以下略〉
それで、これ以降、何とか『一休咄』を入手しようと思い、大学の図書館のホムペなどを調べていたら、ありゃ?市販されてるのか・・・ということで、早速神保町に赴き岩波書店「新日本古典文学大系」から『仮名草子集』(渡辺守邦・渡辺憲司両氏校注、1991年)を定価3700円のところ、古書価格1000円でゲットしたのであります。註記もわんさか付いているし、すぐに訛ってしまう江戸期の古文の読み込み実習にも良いだろう、とか思って買ったのですが、この書籍、『一休咄(収録名は『一休ばなし』)』以外にも多くの文献が収録されているので、それらにも眼を通していたところ、何とも拙ブログに相応しいお話しを見付けてしまいました。早速見ていきましょう。
と、その前に、皆さん普通、各御寺院・御家庭の「守り神」として勧請(お招き)するのでしたら、どのような神様、或いは仏・菩薩などを呼ばれるでしょうか?多くの場合は、「福の神」として、収入や人脈、来客・縁(えにし)などを豊かにし、富ませてくれる存在をお招きするかと存じます。曹洞宗の豪徳寺様から始まったという「招き猫」、或いは仙台市内の商店に多く祀られる「仙台四郎」などは、俗的解釈がされましたが、或る意味「福の神」になるのでしょう。しかし、人は富の追求ばっかり考えるわけではなかったようで、拙僧もこの一節を読んで唸ってしまいました。むぅ〜
瓦屋町から本街道(伏見街道のこと)に出て、一つ二つの橋を渡れば、すぐに東福寺の門前である。この開山である聖一国師(円爾)は、その徳(能力)が神に通じていて、未来を照鑑すること、ただ掌を指すようなくらい簡単であった。そのために、この山に貧乏神を勧請したという。
その(円爾の)真意だが、末法の世に至り、この(東福寺)寺中が経済的繁栄に見舞われてしまえば、(僧侶達が)王侯や貴人といった権力者と交際するようになり、月見や花見の宴に酔いしれて、学問に疎くなってしまうだろう、ということであった。
その後、(円爾が)願っていたように、虎関(師錬)という大知識が出て来て、元亨の頃『釈書』を著し、その他数万言(に及ぶ著作)を世に残されたという。この虎関が、未だ小僧であったとき、一山の喝食といった小僧達が、雲の如く集まっていて、遊びに、寺の脇にある堀切を飛び越えて功名を競うことがあった。今の子どもがするように、堀を飛ぶときには、それぞれ「何の名字の誰」「何氏の何某」など、その家々の氏姓や系図を名乗った。しかし、虎関は元々種姓が正しい人(藤原氏の出)であったが、その名字をいうことはなく、ただ「釈氏の虎関」とだけ名乗られたという。まこと、一寸の松にも亢龍(登り詰めた龍のこと)の姿があるというのはこのことである。
『是楽物語(上)』、『仮名草子集』223頁、拙僧ヘタレ訳
この『是楽物語』というのは、『仮名草子集』解題に依れば、3巻3冊で、作者や成立時の具体的情報は未詳とのこと。ただ、内容や刊行年代によって、明暦年間(1655〜1658)から寛文元年(1661)までの作とされています。江戸時代初期ですね。内容は、明暦元年の頃に、50過ぎの男2人と、16歳の少女が巻き起こす「一夏の恋物語」だそうです。主人公は、京の四条辺りに住む裕福な町人山本友名と、その旧知の仲である遊び人是楽の2人であります。友名は夢で出会った美女を忘れ難く、その恋煩いの治療に温泉療法を勧めた是楽とが「有馬温泉」に行くという話なのであります。
今日紹介した東福寺の一件は、その京から有馬に行く途中で、道すがらの風景を描写した中に入っていたものです。当時から、京の都では寺院巡り、霊場巡りというのは人気があったようで、この『是楽物語』に引かれている諸々の説話も興味を引くものばかりであります。
それにしても東福寺ですよ。拙僧も以前、京都で仕事をしたときに立ち寄りましたが、驚くばかりの大伽藍、とてもとても貧乏神が勧請されていたなんて、この話を知った後でも信じられませんが、そう語られるに至る円爾禅師の危惧も良く分かります。そして、この説話を見ていて気になったのが、円爾の弟子になるという無住道曉禅師の『沙石集』に、やたら詳しく「貧乏神」の話が説かれていたことです。
以前、拙ブログの連載記事【無住道曉『沙石集』の紹介(10w)】などに採り上げてみましたが、これは貧乏神を家から追い出した話なのです。でも、追い出すことが出来るのなら、招くことだって出来たでしょう。よって、拙僧この『是楽物語』を読んだだけでしたら信用しませんでしたが、無住の話を読んで、今回の話は事実だったかもしれない、と思うようになったのであります。まぁ、不勉強なので、この話の典拠があるのかどうか調べていませんが、話の後半に虎関師錬と『元亨釈書』の話が出ているということは、その詳しすぎる「円爾伝」(『元亨釈書』は全30巻ですが、その第7巻丸々1巻を使った「円爾伝」……いくら虎関が法孫とはいえ詳しすぎ・笑)にでも載っているのかな?(無いようです)
だいたい、本文を読めば円爾禅師の真意も良く分かると思いますが、坊さん、金を持つとロクなことがないということで、それなら「貧乏神」呼んで、お金が集まらないようにし、みんなに勉強して貰おう、という話なのであります(今なら、これで人も集まらなくなりますが、僧侶に必要なのは「発心(志)」ですから)。そして、『是楽物語』では、その「現証」として、虎関師錬が世に現れたことを評価しているのです。もっとも、その後同寺がどうなったかは・・・さておき、円爾や虎関の話は「貧の学道」を地で行くような内容ですね。是非とも、各御寺院様でも、寺中の者たちが危機感を持って勉強するように願って、「貧乏神」を勧請されては如何でしょう?鎮守諷経にも「当山鎮守護法善神、貧乏神」とか読み込んだら、ちょっと格好いいような。あ、拙寺は多分とっくに勧請しなくても居着いている気もするので、むしろ無住の方法にしたがい「追い出す」ことを考えた方が良さそうですけど・・・
末尾乍ら申し上げれば、『是楽物語』には、これ以外にも「呪詛」の話とか、「法華信仰」の話とか、仏教説話としてお楽しみ満載でありますので、機会があれば記事にしてみようと思います。江戸時代に入って数十年経ってはいるのですが、気分はまだまだ中世という趣がある仮名草子です。
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