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「祝祷」の「祝」について

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現代では「祝祷諷経」といい、ちょっと前ならば「祝聖諷経」或いは「祝聖上堂」などともいった法要(名称の変更にともない、内容もずいぶんと変更)がございます。なんとなく時の皇帝・天皇の福寿無窮を祈る法要として行われてきた「祝聖諷経」なら、この「祝」を普通の通り「祝う」と考えて良いのでしょうが、「祝祷」となると、ただ「祝い、祷る」とだけ考えると微妙な感じです。

そうしましたら、流石に漢和辞典というのは詳しいもので、「祝」について、次のような記述がありましたので見て行きたいと思います。この「祝」の字は「示偏」になるわけですが、この偏の意味は次の通りです。

もと、神の座に立てて神を寄りつかせる木の台の形にかたどる。のち、これにささげたいけにえ、またはその血液のさまを加えて、神の意を表す。部首としては、神の名、神の働き、神に対する祭礼などの意を示す字ができる。

・・・なるほど、神を寄りつかせる台が上の部分で、下の部分が、その生け贄ということですか。「示す」自体が、とっくに神への祭礼を含んでいるわけですね。ということは、当然に「祝」の字も・・・

「兄」は、口と人から成り、神下ろしをするみこのこと。後に「兄」と区別するために「示偏」を増し加えた。

つまり、祝というのは、神下ろしをする者のことを指す言葉ということですか。また、「祝」自体の意味としては、「祝詞(のりと)」などの熟語にもある通り、神に対して捧げる言葉、という意味もあるようです。我々からすれば、この「神に捧げる」という意味でもって、「祝祷」という意味があると考えるべきなのでしょう。無論、現人神なる者が日本に在した時分には、それはその神相手だったのでしょうが、今であればそれほど限定されなくても、ただ単に捧げるという意味で良いのかもしれません。

ところで、江戸時代の曹洞宗の学僧・面山瑞方禅師の『僧堂清規』には、当時の「祝聖諷経」について論じられています。今と同じで、当時もこれは月分行持(毎月の行持)に挙げられていますが、気になる記述がありました。

回向に大円満無礙神呪と誦て悲の字を除く、古例なり。千手経に見ゆ、私除にあらず。
    前掲同著、巻二

これは何かといえば、普通回向文などに見える『大悲呪』については、『大悲円満無礙神呪』と書いてあります。ただし、面山師はそうではなくて、『大円満無礙神呪』と唱えるとしており、「悲」の字を使わないとしています。これは、『千手経』を典拠にするとしていますが、確かに、『大正蔵』巻20に収録されている経典を見ると、『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』としています。よって、確かに「悲」の字、最初にはありません。ただ、後半部分には入っていますけどね。これ別に、「祝聖諷経」だから特別に「悲」を除くとかいうのではなくて、『大悲呪』を使う時にはそうしろという話のようです。なお、最近では素直に『大悲心陀羅尼』とだけ読むので関係ないんですけどね・・・

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