まぁ、信心為本とかいっても、結局浄土真宗の行うことというのは、念仏に尽きるとか想っている拙僧。もちろん、他宗派のことだから、違っているかもしれないが、その時にはあちらも我々が坐禅ばかりしていると思っているようなものだから、悪い気にならないで欲しいものだ。
さて、そのような念仏がイメージされる宗派の教祖である方の著作に、禅定修行の話が出てきたら、それは興味が湧くというものだ。そして、実際にその文脈は存在している。そもそも、親鸞聖人の主著である『顕浄土真実教行証文類』の「教文類第一」では、その冒頭に「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり」とあるけれども、しばらくは「往相」が説かれている。これはつまり、阿弥陀仏の本願力を有り難く信ずる経緯について書かれたものといえる。そして、「証文類題四」には、「還相回向釈」があって、ここで「還相回向」について示される。還相とは、往相と対になる句であり、阿弥陀仏に確実に救われている自分に目覚めた者は、今度はその阿弥陀仏の本願力によって、「如来のつかひ」(存覚上人『浄土真要鈔』などでは、法然上人をこう評する)として、他の者を導くという。
二つに還相の回向といふは、すなはちこれ利他教化地の益なり。すなはちこれ必至補処の願(第二十二願)より出でたり。また一生補処の願と名づく。また還相回向の願と名づくべきなり。『註論』(論註)に顕れたり。ゆゑに願文を出さず。『論の註』を披くべし。
「証文類題四」
ここにある通り、還相の回向というのは、「利他教化地」ということであり、親鸞聖人は阿弥陀仏四十八願の内、第二十二願である「必死補処の願」から来たという。この願とは、次のようなものである。
たとひわれ仏を得たらんに、他方仏土の諸菩薩衆、わが国に来生して、究竟してかならず一生補処に至らん。その本願の自在の所化、衆生のためのゆゑに、弘誓の鎧を被て、徳本を積累し、一切を度脱し、諸仏の国に遊んで、菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して無上正真の道を立せしめんをば除く。常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん。もししからずは、正覚を取らじ。
『仏説無量寿経』
本願によって現れた所化は、衆生のために誓願の鎧を着て、諸々の善行を積み、菩薩の行を修行しながら、無量の衆生に対して、無上道の道を歩ませるとされているわけである。これこそが、阿弥陀仏の本願力によっての還相回向といえよう。そこで、では、先の「証文類題四」では、還相回向の具体的な内容を、どのように定めているといえるのだろうか。
『論註』(下 一〇七)にいはく、「還相とは、かの土に生じをはりて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向かへしむるなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜いて生死海を渡せんがためなり。このゆゑに、〈回向を首として大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに〉(浄土論)とのたまへり」と。
「かの土に生じをはりて」の部分が、往相といえよう。よって、阿弥陀仏との対面を果たし、自らはただの凡夫ではなくて、菩薩として修行に入るわけだが、「奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向かへしむるなり」とある。ここで、「奢摩他・毘婆舎那」とあるわけだが、これらは音写であり、意訳すれば「止・観」ということになる。いわゆる天台止観という時の「止観」であり、或いは「毘婆舎那」は、良く「ブッダの瞑想」という“過剰な宣伝”もされている「ヴィパッサナー」と同じであるという。
よって、還相の菩薩は、いわゆる禅定修行を行うことは明らかである。往相の完成というのは、決して我々にとっての「生物的死」を契機とするのではなく、何処までも「宗教的死」を契機としている。よって、明らかに「命終わるその時」に、往生するわけだ。そして、この往生即成仏の証果を得た後は、自在に救済活動を行えるといえる(本願寺派『新編 安心論題綱要』参照)わけだが、その時に、これら「奢摩他・毘婆舎那」という禅定修行が行われるといえる。これはあくまでも、菩薩に於ける諸地の行の1つといえよう。
今回、往還二相を調べていて興味深かったのは、親鸞聖人には両方が明らかに見えるが、その後の祖師方には、還相の強調はほとんど無いというのが興味深いところである。まぁ、理由は何となく想像できるが、やはり難しすぎたということなのだろうか。その意味での「易行道」の徹底の結果、往相に注力して説かれたということであれば、納得出来る。
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さて、そのような念仏がイメージされる宗派の教祖である方の著作に、禅定修行の話が出てきたら、それは興味が湧くというものだ。そして、実際にその文脈は存在している。そもそも、親鸞聖人の主著である『顕浄土真実教行証文類』の「教文類第一」では、その冒頭に「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり」とあるけれども、しばらくは「往相」が説かれている。これはつまり、阿弥陀仏の本願力を有り難く信ずる経緯について書かれたものといえる。そして、「証文類題四」には、「還相回向釈」があって、ここで「還相回向」について示される。還相とは、往相と対になる句であり、阿弥陀仏に確実に救われている自分に目覚めた者は、今度はその阿弥陀仏の本願力によって、「如来のつかひ」(存覚上人『浄土真要鈔』などでは、法然上人をこう評する)として、他の者を導くという。
二つに還相の回向といふは、すなはちこれ利他教化地の益なり。すなはちこれ必至補処の願(第二十二願)より出でたり。また一生補処の願と名づく。また還相回向の願と名づくべきなり。『註論』(論註)に顕れたり。ゆゑに願文を出さず。『論の註』を披くべし。
「証文類題四」
ここにある通り、還相の回向というのは、「利他教化地」ということであり、親鸞聖人は阿弥陀仏四十八願の内、第二十二願である「必死補処の願」から来たという。この願とは、次のようなものである。
たとひわれ仏を得たらんに、他方仏土の諸菩薩衆、わが国に来生して、究竟してかならず一生補処に至らん。その本願の自在の所化、衆生のためのゆゑに、弘誓の鎧を被て、徳本を積累し、一切を度脱し、諸仏の国に遊んで、菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して無上正真の道を立せしめんをば除く。常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん。もししからずは、正覚を取らじ。
『仏説無量寿経』
本願によって現れた所化は、衆生のために誓願の鎧を着て、諸々の善行を積み、菩薩の行を修行しながら、無量の衆生に対して、無上道の道を歩ませるとされているわけである。これこそが、阿弥陀仏の本願力によっての還相回向といえよう。そこで、では、先の「証文類題四」では、還相回向の具体的な内容を、どのように定めているといえるのだろうか。
『論註』(下 一〇七)にいはく、「還相とは、かの土に生じをはりて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向かへしむるなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜いて生死海を渡せんがためなり。このゆゑに、〈回向を首として大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに〉(浄土論)とのたまへり」と。
「かの土に生じをはりて」の部分が、往相といえよう。よって、阿弥陀仏との対面を果たし、自らはただの凡夫ではなくて、菩薩として修行に入るわけだが、「奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向かへしむるなり」とある。ここで、「奢摩他・毘婆舎那」とあるわけだが、これらは音写であり、意訳すれば「止・観」ということになる。いわゆる天台止観という時の「止観」であり、或いは「毘婆舎那」は、良く「ブッダの瞑想」という“過剰な宣伝”もされている「ヴィパッサナー」と同じであるという。
よって、還相の菩薩は、いわゆる禅定修行を行うことは明らかである。往相の完成というのは、決して我々にとっての「生物的死」を契機とするのではなく、何処までも「宗教的死」を契機としている。よって、明らかに「命終わるその時」に、往生するわけだ。そして、この往生即成仏の証果を得た後は、自在に救済活動を行えるといえる(本願寺派『新編 安心論題綱要』参照)わけだが、その時に、これら「奢摩他・毘婆舎那」という禅定修行が行われるといえる。これはあくまでも、菩薩に於ける諸地の行の1つといえよう。
今回、往還二相を調べていて興味深かったのは、親鸞聖人には両方が明らかに見えるが、その後の祖師方には、還相の強調はほとんど無いというのが興味深いところである。まぁ、理由は何となく想像できるが、やはり難しすぎたということなのだろうか。その意味での「易行道」の徹底の結果、往相に注力して説かれたということであれば、納得出来る。
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