たいがい、「一日(朔日)」というのは、禅宗の修行道場に於いては、様々な変化がある日になりますので、記事には困らないのですが、特に六月一日というのは、夏に向けて準備をしなければならない日となっており、色々なことが始まったり終わったりします。
「始まること」ですが、「風呂」と「打扇」です。風呂については、曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師編『瑩山清規』に依れば、隔日で沐浴するとあります。また、扇を用いることについては、僧堂内で昼食が終わる頃に、堂内の修行僧を扇で扇いだそうです。
一方の「終わること」ですが、「普請坐禅」です。以下のような指摘があります。
六月一日、半夏節と称す。若し上堂する次いでならば、坐禅を放下する由を報す。即ち随意坐禅なり。版を打たざるのみ。
『瑩山清規(下)』年中行事
「半夏節」というのは、4月15日〜7月15日まで行われる夏安居の中間地点ということです。ちょうど、6月1日が真ん中ですね。そして、この日には坐禅を放下(放下とは、「止める」の意。詳細は【つらつら日暮らしWiki−放下】参照)するのです。その理由ですが、1つは気温が暑すぎるということもあります。よって、「随意坐禅」ということで、各自涼しいところに行って坐ったというのです(普請坐禅の再開は、9月1日)。これは、中国から伝わった方法ですから、道元禅師もそれを導入していたことが、語録から知られます。
上堂。
今朝六月初一自り、坐禅を放下して板鳴らさず。盛夏に未だ抛たず、禅板の旧たるを。
須く知るべし、伝法救迷情、と。
『永平広録』巻7-505上堂
これを見ますと、いくら板を鳴らさなくても、禅板(坐禅しながら眠るために用いる板か?僧堂の木版か?)は古くなっても捨てることはないとしています。何故ならば、坐禅をしないというのは、衆生救済の活動をしないことではないからです。よって、伝法救迷情という達磨大師の遺志を忘れてはならないのです。同じく、瑩山禅師も以下のように述べています。
六月一日に上堂す。叢林旧に依って坐禅を放下す。
夫れ坐禅とは、仏祖一大事因縁なり、万事を放下し、諸縁を休歇し、只管自己を保任して、真箇無為を学せしむ、然も是の如くなりと雖も、禅もまた放下し、人をして自己を知ること怨家の如くせしむ、諸人還た、識取すや未だしや。
若し未だ識取せずんば、山僧衆に換わって一語を拈出せんと欲す、大衆委悉に聴取せんと要すや。
即ち払子を放下して、手を斂め良久して下座す。
『瑩山瑾禅師語録』
この上堂は、瑩山禅師の叢林運営方法のみならず、瑩山禅師の坐禅観を知ることが出来る貴重な内容ですので、既に【瑩山紹瑾禅師の坐禅信仰について(2)】などで度々採り上げています。まず、この上堂を見ていきますと、先の『瑩山清規』にありましたように、「坐禅の放下の由」については、適確に報せていることが分かります。ただし、それはあくまでも普請坐禅の放下で、随意坐禅は行われているわけですから、ここで坐禅の本義について提唱されています。
坐禅とは、仏祖にとって一大事因縁であるとしています。一大事因縁とは、仏祖がこの世に出現した理由としてもっとも大事なことだということです。我々がこの世に出現した理由としてもっとも大事なのは、坐禅をすることだと瑩山禅師は御示しです。そして、坐禅とはあらゆる事を止めて、多くの世俗的な活動を休み、ただ本来の自己を我が物として、無為を学ぶことなのであります。この「真箇無為を学ぶ」ことについては、例えば道元禅師はこのように指摘します。
無所得、無所悟にして端坐して時を移さば、即ち祖道なるべし。
『正法眼蔵随聞記』巻6
無所得、無所悟にして端坐し、時を移すこと、それが祖師の道だというのです。結局この祖道の見解を承けて瑩山禅師(『随聞記』を始め、道元禅師の著作は相当に読み込んでおられたと思われます)は、例えば自己を知るというようなことも意味は無く、それは「怨家=敵」のようだとしていますし、本当に学人が知るべきなのは、「放下」なのです。つまり、「坐禅の放下」と、「禅とは即ち放下(万事を放下)」とを掛けて、坐禅をしないということと、坐禅の奥義とは、実は不即不離であることを示したことになります。とはいえ、間違えて受け止め、「坐禅をしなければ良い」と思ってはなりません。つまり、問題は「放下」の様相を知ること、いやこれは、一切の積極的な営みが尽きたところに於いて「知」として現成するので、知ろうと思っては知ることはできません。まさに「退歩に学ぶ」のです。つまり、坐禅を止めるように、「退歩」を学ぶ「禅僧の本懐」を遂げるのです。「坐禅さえしていれば良い」と坐禅が放下では無くて、把われになる学人への、良き方便の上堂だといえましょう。
なお、瑩山禅師がかなり本格的に上堂していたことを知ることが出来るのは、本上堂で最後、学人に代わって一語を示すと言い、そして学人に尋ね、その上で手にした払子を放下(ここでも放下)し、手を収めてしばし無言の間を置いて座を下りたという様子からも知ることが出来ます。「一語」といいつつ、それは「言得」では無くて「道得」として示されたのであります。道得の余韻にもまた、「放下」を知ることが出来ます。繰り返しになりますが、「放下」とは積極的に知ることでは無いのです。自分が聡明だと思っている人こそ、この境地には至らないものです。しかも、無駄に得ようとして坐禅しても得られません。その坐禅は既に「有所得」です。
まさに「放下、その真意如何?」というところでありますね。
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「始まること」ですが、「風呂」と「打扇」です。風呂については、曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師編『瑩山清規』に依れば、隔日で沐浴するとあります。また、扇を用いることについては、僧堂内で昼食が終わる頃に、堂内の修行僧を扇で扇いだそうです。
一方の「終わること」ですが、「普請坐禅」です。以下のような指摘があります。
六月一日、半夏節と称す。若し上堂する次いでならば、坐禅を放下する由を報す。即ち随意坐禅なり。版を打たざるのみ。
『瑩山清規(下)』年中行事
「半夏節」というのは、4月15日〜7月15日まで行われる夏安居の中間地点ということです。ちょうど、6月1日が真ん中ですね。そして、この日には坐禅を放下(放下とは、「止める」の意。詳細は【つらつら日暮らしWiki−放下】参照)するのです。その理由ですが、1つは気温が暑すぎるということもあります。よって、「随意坐禅」ということで、各自涼しいところに行って坐ったというのです(普請坐禅の再開は、9月1日)。これは、中国から伝わった方法ですから、道元禅師もそれを導入していたことが、語録から知られます。
上堂。
今朝六月初一自り、坐禅を放下して板鳴らさず。盛夏に未だ抛たず、禅板の旧たるを。
須く知るべし、伝法救迷情、と。
『永平広録』巻7-505上堂
これを見ますと、いくら板を鳴らさなくても、禅板(坐禅しながら眠るために用いる板か?僧堂の木版か?)は古くなっても捨てることはないとしています。何故ならば、坐禅をしないというのは、衆生救済の活動をしないことではないからです。よって、伝法救迷情という達磨大師の遺志を忘れてはならないのです。同じく、瑩山禅師も以下のように述べています。
六月一日に上堂す。叢林旧に依って坐禅を放下す。
夫れ坐禅とは、仏祖一大事因縁なり、万事を放下し、諸縁を休歇し、只管自己を保任して、真箇無為を学せしむ、然も是の如くなりと雖も、禅もまた放下し、人をして自己を知ること怨家の如くせしむ、諸人還た、識取すや未だしや。
若し未だ識取せずんば、山僧衆に換わって一語を拈出せんと欲す、大衆委悉に聴取せんと要すや。
即ち払子を放下して、手を斂め良久して下座す。
『瑩山瑾禅師語録』
この上堂は、瑩山禅師の叢林運営方法のみならず、瑩山禅師の坐禅観を知ることが出来る貴重な内容ですので、既に【瑩山紹瑾禅師の坐禅信仰について(2)】などで度々採り上げています。まず、この上堂を見ていきますと、先の『瑩山清規』にありましたように、「坐禅の放下の由」については、適確に報せていることが分かります。ただし、それはあくまでも普請坐禅の放下で、随意坐禅は行われているわけですから、ここで坐禅の本義について提唱されています。
坐禅とは、仏祖にとって一大事因縁であるとしています。一大事因縁とは、仏祖がこの世に出現した理由としてもっとも大事なことだということです。我々がこの世に出現した理由としてもっとも大事なのは、坐禅をすることだと瑩山禅師は御示しです。そして、坐禅とはあらゆる事を止めて、多くの世俗的な活動を休み、ただ本来の自己を我が物として、無為を学ぶことなのであります。この「真箇無為を学ぶ」ことについては、例えば道元禅師はこのように指摘します。
無所得、無所悟にして端坐して時を移さば、即ち祖道なるべし。
『正法眼蔵随聞記』巻6
無所得、無所悟にして端坐し、時を移すこと、それが祖師の道だというのです。結局この祖道の見解を承けて瑩山禅師(『随聞記』を始め、道元禅師の著作は相当に読み込んでおられたと思われます)は、例えば自己を知るというようなことも意味は無く、それは「怨家=敵」のようだとしていますし、本当に学人が知るべきなのは、「放下」なのです。つまり、「坐禅の放下」と、「禅とは即ち放下(万事を放下)」とを掛けて、坐禅をしないということと、坐禅の奥義とは、実は不即不離であることを示したことになります。とはいえ、間違えて受け止め、「坐禅をしなければ良い」と思ってはなりません。つまり、問題は「放下」の様相を知ること、いやこれは、一切の積極的な営みが尽きたところに於いて「知」として現成するので、知ろうと思っては知ることはできません。まさに「退歩に学ぶ」のです。つまり、坐禅を止めるように、「退歩」を学ぶ「禅僧の本懐」を遂げるのです。「坐禅さえしていれば良い」と坐禅が放下では無くて、把われになる学人への、良き方便の上堂だといえましょう。
なお、瑩山禅師がかなり本格的に上堂していたことを知ることが出来るのは、本上堂で最後、学人に代わって一語を示すと言い、そして学人に尋ね、その上で手にした払子を放下(ここでも放下)し、手を収めてしばし無言の間を置いて座を下りたという様子からも知ることが出来ます。「一語」といいつつ、それは「言得」では無くて「道得」として示されたのであります。道得の余韻にもまた、「放下」を知ることが出来ます。繰り返しになりますが、「放下」とは積極的に知ることでは無いのです。自分が聡明だと思っている人こそ、この境地には至らないものです。しかも、無駄に得ようとして坐禅しても得られません。その坐禅は既に「有所得」です。
まさに「放下、その真意如何?」というところでありますね。
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