仏教が中国まで来て、更にその中国でも宋代まで来ると、時代的に貨幣経済が進み、様々な物を檀越(檀家)からの金品の布施だけでなくて、得た貨幣を使って、僧侶が自ら市場などに行って買い求めるような時代になります。拙僧が驚いたのは、良く「糞掃衣」というのは、その成立条件で、どこで「衣材」を拾うか?ということまで含んでいたと思うのですが、道元禅師は至極アッサリと、市場で布を買っても良いというのです。
いま日本国、かくのごとくの糞掃衣なし。たとひ求めんとすともあふべからず、辺地小国悲しむべし。ただ檀那所施の浄財、これをもちいるべし。人天の布施するところの浄財、これをもちいるべし。あるひは浄命よりうるところのものをもて、いちにして貿易せらむ、またこれ袈裟につくりつべし。かくのごときの糞掃、および浄命よりえたるところは、絹にあらず、布にあらず、金銀・珠玉、綾羅・綿繍等にあらず、ただこれ糞掃衣なり。この糞掃は、弊衣のためにあらず、美服のためにあらず、ただこれ仏法のためなり。
『正法眼蔵』「袈裟功徳」巻、下線は拙僧
この下線部に見るように、正しく布施によって得たものなどを、市場で「貿易(つまりは取引のこと)」をして、布生地を買い、それから袈裟を作れば、それも糞掃衣だというのです。これが認められた背景を考えれば、そんなに複雑な話ではなくて、日本は基本的に貧しかったから、その辺に布生地を捨てるという習慣がなかったのです。よって、糞掃衣の衣材が拾えないから、だったら布生地を買えば良いという、極めて現実主義的、プラグマティズムの権化たる禅宗の本領発揮です。でも、このプラグマティックな要素を道元禅師に見ることが出来ない人は不幸ですよね。これは、何でもありというのではありません。ただ、基本線を学びつつ、その中で、何が現実に可能かを見定めながら、徐々に「正法」を、この「辺地小国」たる日本に構築しているのです。
このように、当時の僧侶が自ら買い物に行く機会があったことを確認出来たところで、では、その時の「作法」がどのようになっていたかを確認してみましょう。今ではやや違っていますが、当時はそれら世間に買い物に行く場合、差配するのは全て「監院」の仕事でした。それは、「監院」こそが、一山の金銭の出納を管理する、今でいうところの「会計」の役割を持っていたからです。よって、道元禅師が役寮(役に当たった先達の僧)の役責について定めた『永平寺知事清規』には、「監院」の項目に、買い物の作法が詳しく書かれているのです。
又た云く、人をして市買せしむるに五事有り。
一には、当に人を諍うこと莫らしむべし。
二には、当に浄き者を買わしむべし。
三には、人を侵さしむること莫れ。
四には、人を走役することを得ざれ。
五には、当に人の意を護すべし。
監院、浄人・人工をして市買せしむるに、先ず当に他に向かって子細を説き、然る後に乃ち使いせしむべし。
『永平寺知事清規』「監院」項
この一節の出典は『大比丘三千威儀(下)』になります。その前後の言葉は道元禅師が加えたものになりますが、この一節本来は、市場で物を買うための方法だけが書かれていますが、それを敢えて、監院の項目に挿入されたことになります。この他にも『三千威儀経』には「買肉五事」「汲水五事」「破薪五事」「択米五事」「澡釜五事」など、多くの項目が挙げられていますので、僧侶の進退の一々が決められているのです。まぁ、小乗的だという人もおりますが、道元禅師はこれを読むべきだと強調されますね。
さておき、これを見てみますと、まず諍いはならないとされています。今の日本では、余り自覚されないことですが、「商売」というのには本来「定価」はなく、その当事者が決めるべきだとされています。よって「商」というのは、「価値」を決めるための議論を意味しているわけです。禅問答(公案)の内容を吟味することを「商量」といいますが、これもそのような議論を前提にした話だといえます。ところで、そのような議論が行われると、どうしても、「我」が出てしまい、諍いになることも珍しくなかったのでしょう。よって、それをさせてはならないと指示しています。確かに、僧侶が値引きしている風景はまだ見ることが出来ても、それで議論白熱し、更に争論になる状況は見たくない気がします・・・
それから、「浄きモノ」を買うべきだとされています。これは、正しくない方法で市場に置かれたような物を買うべきではないということです。盗品であったり、或いは欠損品であったりするわけです。本来、商売ではそれらを置いても良いのです。それを掴まされ、損をした人は、ただ眼力がなかっただけですから。しかし、最近では、消費者保護の観点から、この部分で生産者や、売る人に責任を負わせる場合が多いです。ただ、拙僧的に余り感心出来ないのは、それは、商品を見抜く眼力を失っているだけなんですけどね・・・
三〜五については、人を使うときの注意点になると思います。よって、文面以上のことは能く分かりません。
さて、監院の下には、浄人や人工と呼ばれる、下働きの者が仕えていました。これは、今では僧侶が務める場合もありますが、本来は在家の者だった可能性が高いです。在家の立場でありながら、寺院に入って、僧侶の様々な仕事を補佐するわけです。よって、その者達が買い物に行くわけですね。行かせるときには、詳しく指導を行うように指示しています。
この浄人などの位置付けは、奇妙な程に平等意識が浸透した現在であっては、成立は難しいかもしれません。しかし、もし、寺院は住職のものではないということを、本気で仰る人がいるとすれば、この「浄人」の立場から始め、そして一生かけて寺院に在家の立場で仕え、そして、様々な提言や、場合によっては経営に参画すれば良いと思います。確かに、住職が金儲けまで上手いとは限りません。その意味では、その才覚がある人が寺院経営に関わってくれれば良いのです。単純な話でしょう。
やや話がずれましたが、坊さんの規定にも、モノの買い方まで決まっている事を提示して、この記事を終わります。
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これまでの読み切りモノ〈曹洞宗8〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。
いま日本国、かくのごとくの糞掃衣なし。たとひ求めんとすともあふべからず、辺地小国悲しむべし。ただ檀那所施の浄財、これをもちいるべし。人天の布施するところの浄財、これをもちいるべし。あるひは浄命よりうるところのものをもて、いちにして貿易せらむ、またこれ袈裟につくりつべし。かくのごときの糞掃、および浄命よりえたるところは、絹にあらず、布にあらず、金銀・珠玉、綾羅・綿繍等にあらず、ただこれ糞掃衣なり。この糞掃は、弊衣のためにあらず、美服のためにあらず、ただこれ仏法のためなり。
『正法眼蔵』「袈裟功徳」巻、下線は拙僧
この下線部に見るように、正しく布施によって得たものなどを、市場で「貿易(つまりは取引のこと)」をして、布生地を買い、それから袈裟を作れば、それも糞掃衣だというのです。これが認められた背景を考えれば、そんなに複雑な話ではなくて、日本は基本的に貧しかったから、その辺に布生地を捨てるという習慣がなかったのです。よって、糞掃衣の衣材が拾えないから、だったら布生地を買えば良いという、極めて現実主義的、プラグマティズムの権化たる禅宗の本領発揮です。でも、このプラグマティックな要素を道元禅師に見ることが出来ない人は不幸ですよね。これは、何でもありというのではありません。ただ、基本線を学びつつ、その中で、何が現実に可能かを見定めながら、徐々に「正法」を、この「辺地小国」たる日本に構築しているのです。
このように、当時の僧侶が自ら買い物に行く機会があったことを確認出来たところで、では、その時の「作法」がどのようになっていたかを確認してみましょう。今ではやや違っていますが、当時はそれら世間に買い物に行く場合、差配するのは全て「監院」の仕事でした。それは、「監院」こそが、一山の金銭の出納を管理する、今でいうところの「会計」の役割を持っていたからです。よって、道元禅師が役寮(役に当たった先達の僧)の役責について定めた『永平寺知事清規』には、「監院」の項目に、買い物の作法が詳しく書かれているのです。
又た云く、人をして市買せしむるに五事有り。
一には、当に人を諍うこと莫らしむべし。
二には、当に浄き者を買わしむべし。
三には、人を侵さしむること莫れ。
四には、人を走役することを得ざれ。
五には、当に人の意を護すべし。
監院、浄人・人工をして市買せしむるに、先ず当に他に向かって子細を説き、然る後に乃ち使いせしむべし。
『永平寺知事清規』「監院」項
この一節の出典は『大比丘三千威儀(下)』になります。その前後の言葉は道元禅師が加えたものになりますが、この一節本来は、市場で物を買うための方法だけが書かれていますが、それを敢えて、監院の項目に挿入されたことになります。この他にも『三千威儀経』には「買肉五事」「汲水五事」「破薪五事」「択米五事」「澡釜五事」など、多くの項目が挙げられていますので、僧侶の進退の一々が決められているのです。まぁ、小乗的だという人もおりますが、道元禅師はこれを読むべきだと強調されますね。
さておき、これを見てみますと、まず諍いはならないとされています。今の日本では、余り自覚されないことですが、「商売」というのには本来「定価」はなく、その当事者が決めるべきだとされています。よって「商」というのは、「価値」を決めるための議論を意味しているわけです。禅問答(公案)の内容を吟味することを「商量」といいますが、これもそのような議論を前提にした話だといえます。ところで、そのような議論が行われると、どうしても、「我」が出てしまい、諍いになることも珍しくなかったのでしょう。よって、それをさせてはならないと指示しています。確かに、僧侶が値引きしている風景はまだ見ることが出来ても、それで議論白熱し、更に争論になる状況は見たくない気がします・・・
それから、「浄きモノ」を買うべきだとされています。これは、正しくない方法で市場に置かれたような物を買うべきではないということです。盗品であったり、或いは欠損品であったりするわけです。本来、商売ではそれらを置いても良いのです。それを掴まされ、損をした人は、ただ眼力がなかっただけですから。しかし、最近では、消費者保護の観点から、この部分で生産者や、売る人に責任を負わせる場合が多いです。ただ、拙僧的に余り感心出来ないのは、それは、商品を見抜く眼力を失っているだけなんですけどね・・・
三〜五については、人を使うときの注意点になると思います。よって、文面以上のことは能く分かりません。
さて、監院の下には、浄人や人工と呼ばれる、下働きの者が仕えていました。これは、今では僧侶が務める場合もありますが、本来は在家の者だった可能性が高いです。在家の立場でありながら、寺院に入って、僧侶の様々な仕事を補佐するわけです。よって、その者達が買い物に行くわけですね。行かせるときには、詳しく指導を行うように指示しています。
この浄人などの位置付けは、奇妙な程に平等意識が浸透した現在であっては、成立は難しいかもしれません。しかし、もし、寺院は住職のものではないということを、本気で仰る人がいるとすれば、この「浄人」の立場から始め、そして一生かけて寺院に在家の立場で仕え、そして、様々な提言や、場合によっては経営に参画すれば良いと思います。確かに、住職が金儲けまで上手いとは限りません。その意味では、その才覚がある人が寺院経営に関わってくれれば良いのです。単純な話でしょう。
やや話がずれましたが、坊さんの規定にも、モノの買い方まで決まっている事を提示して、この記事を終わります。
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