<山田五十鈴さん>死去95歳 映画、舞台で活躍(毎日新聞)−Yahoo!ニュース
長年、舞台や映画の頂点で活躍し、女優で初めて文化勲章を受章した山田五十鈴(やまだ・いすず<本名・美津=みつ>)さんが9日、東京都内の病院で亡くなりました。
95歳でした。
山田さんは大阪市出身で、父は新派俳優の山田九州男です。幼い時から清元、舞踊を習ったそうで、踊る技術はしっかりしていたとされます。
小学校卒業後の1930年に日活に入社すると、山田五十鈴の芸名で「剣を越えて」で映画デビューし、美貌の娘役として頭角を現しています。その後、第一映画、新興キネマを経て東宝へ入社し、東宝に入った後では長谷川一夫とのコンビが人気を集め、映画界のトップ女優となったそうです。
舞台では、新劇合同公演「関漢卿」で滝沢修と共演したのをはじめ、六代目中村歌右衛門主宰の莟会主演、二代目尾上松緑と「シラノ・ド・ベルジュラック」で共演するなど話題作に出演しています。
テレビでは、草創期から多くの番組に出演し、必殺シリーズが代表作であります。拙僧が見たのは、この必殺シリーズ(当然再放送ですけど)でありますね。
多くの賞を受賞していますが、2000年に文化勲章を受章しました。女優で初であります。
ただし、2002年に体調不良で入退院しており、最近は表舞台に立つことはなかったようですが、しかし、その日本の演技の世界に与えた影響は消えることは無いでしょう。心より哀悼の意を表します。
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長年、舞台や映画の頂点で活躍し、女優で初めて文化勲章を受章した山田五十鈴(やまだ・いすず<本名・美津=みつ>)さんが9日、東京都内の病院で亡くなりました。
95歳でした。
山田さんは大阪市出身で、父は新派俳優の山田九州男です。幼い時から清元、舞踊を習ったそうで、踊る技術はしっかりしていたとされます。
小学校卒業後の1930年に日活に入社すると、山田五十鈴の芸名で「剣を越えて」で映画デビューし、美貌の娘役として頭角を現しています。その後、第一映画、新興キネマを経て東宝へ入社し、東宝に入った後では長谷川一夫とのコンビが人気を集め、映画界のトップ女優となったそうです。
舞台では、新劇合同公演「関漢卿」で滝沢修と共演したのをはじめ、六代目中村歌右衛門主宰の莟会主演、二代目尾上松緑と「シラノ・ド・ベルジュラック」で共演するなど話題作に出演しています。
テレビでは、草創期から多くの番組に出演し、必殺シリーズが代表作であります。拙僧が見たのは、この必殺シリーズ(当然再放送ですけど)でありますね。
多くの賞を受賞していますが、2000年に文化勲章を受章しました。女優で初であります。
ただし、2002年に体調不良で入退院しており、最近は表舞台に立つことはなかったようですが、しかし、その日本の演技の世界に与えた影響は消えることは無いでしょう。心より哀悼の意を表します。
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