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末木文美士氏『明治思想家論』雑感(1)

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末木文美士先生の「近代日本の思想・再考」シリーズの「?」は、『明治思想家論』(トランスビュー)と題されている。全部で第十二章まであるのだが、各章毎には主題となる思想家の名前が挙がっている。それで、第一章が西本願寺の島地黙雷、第二章が“妖怪博士”こと、東洋大学創設者・井上円了。

この2人が出てくる時、やはり我々曹洞宗にも関係があった大内青巒居士の名前が出て来ないのは何故なのかな?とか思うのである。無論、この「近代日本の思想・再考」シリーズには、以下のような指摘がある。

それぞれの宗門でも最近、自らの宗派の近代における展開を実証的に跡づけようという試みも動き出している。それと同時に、宗門の戦争協力問題や差別問題などへの反省から、近代の仏教を批判的な目で見ようという研究もぼつぼつ進められている。しかし、それらの研究は、狭いものはあくまでも宗門という限界の中での研究であり、それより広い視野を持った研究も、仏教史、あるいはせいぜい宗教史という枠を乗り越えることがなかなか難しいのが現状である。
    前掲同著、5頁

耳が痛い(笑)

いや、拙僧も諸事情で現在、曹洞宗の近代教団史の研究に関わっているのだが、まぁここで末木先生が指摘された内容から外れてはいないので、それこそ「枠の中」の話である。とはいえ、我々にもこの御指摘を拝見する前から、何とかして、従来の思想史的研究方法以外の手段を用いて、宗門の動きとともに、民衆がそれをどう受け止めていたのか?を明らかにしようとする営みは続けている。ただ、まだまだ成熟しきらない方法・領域であるため、結果が出ていないのである。

なお、こういう御指摘もある。

「仏教ブーム」と言われる今日、どれだけ本気で仏教の問題が考えられているであろうか。口当たりのよい仏教の入門書が飛ぶように売れ、総合雑誌がその場しのぎの仏教特集を組んだとしても、それが本当に積極的な思想の力となりうるであろうか。そうした表面だけに流れる時代風潮にあえて抗して、本書はおよそ今日人気のない明治の思想家たちを掘り起こし、彼らが残した問題をもう一度考え直してみようとする。
    前掲同著、17頁

こちらは耳に優しい。拙僧も随時に発言している内容と同じである。要するにブームで終わらせる時、必ずそこで見失われる諸問題がある。その諸問題について、ブームをただ享受する者は仕方ないにせよ、ブームを或る程度醒めた態度で接することが出来る時、その諸問題を明るみに出し、考察をしていく必要を感じるのである。また、「人気のない」思想家がいることは事実だが、その人気がない理由は勿論各人異なっている。ただ拙僧的には、この人気のなさは、対象として見るには、余りに「本音」が見えすぎるからではないかと思っている。宗教的に、真っ直ぐ素直に生きている人だから、見ている側がその有り様に耐えられないといえる。

もちろん本書で取り上げた思想家は、ごく一部に限られ、本来取り上げるべき思想家はさらに数多くいるであろう。
    前掲同著、11頁

確かに一部だなぁ、と思う。社会的活動を行った仏教者について考えてみても、同著で挙がった島地黙雷や井上円了の「周辺」に、もの凄い数の人、多士済々がいて、なるほど、その著述や言論内容、活動組織の立場上、島地の名前が前面に出て来ることは当然だとしても、他の思想家・活動家を見て見ぬふりは出来ないはずである。よって、その点は更に、研究される必要を感じる。とりあえず、拙僧の出来る範囲は限られているが、今年中に曹洞宗内に向けての発表は出来ると思われるので、ご覧になった諸大徳の御批判・御叱正を賜りたいと願うばかりである。

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