伊地震予知裁判:日本地震学会会長「強い懸念感じる」(毎日新聞)
2009年のイタリア中部ラクイラの大地震を巡って、地震前に発生のリスクを議論した伊政府の委員会メンバーだった地震学者らが実刑判決を受けた裁判がありました。このラクイラの大地震では、309人が死亡しており、現地の地裁は、直前の「安全宣言」が犠牲の拡大を招いたとして、過失致死傷罪に問われた地震学者ら7人全員に禁錮6年の判決を言い渡しました。
この一件について、日本地震学会の加藤照之会長(東京大教授)は29日、「強い懸念を感じる」などとして判決を批判する声明を出しました。
これは、日本でも地震研究者が国や自治体の防災行政に関わっていることに触れ、「意見表明が刑事責任をもたらす恐れがあれば、研究者は自由にものが言えなくなるか、科学的根拠を欠く意見を表明することになりかねない」と指摘しました。「長期的に見れば、科学的根拠が不十分な防災対策につながり、社会にとっても大きな損失になる」としています。
この加藤氏の発言はもっともだと思います。
ただし、イタリアで行われた地震学者の発言が、本当に科学的だったのかどうかは、検証されるべきであろうと思います。「安全宣言」を出しておきながら、300人以上の死者を出したというのは、やはり問題です。要するに、リスクをどこに置いておくかという話になるでしょう。
要するに、「安全宣言」が出される過程についての検証です。今回の裁判がどこまで論じたかも分かりませんが、もし、今回有罪となった地震学者に、「安全宣言を出して欲しい」と要請があったのなら、その要請を行った人間こそが有罪になるべきでしょうが、それが出てきていないということは、今回の「安全宣言」は、科学者達の主張ということになります。
だとすれば、科学者はどういう手法でもって、「安全宣言」を主張したのでしょうか。それが気になるわけですね。リスクをどの程度で予測していたのか?そういう検証の結果、そこに科学者の「怠慢」なり、「判断ミス」があったとすれば、それは断罪されるべきなのでしょう。何故ならば、それは「科学者」では無いからです。そもそも「判断ミス」などは起きようがありません。データの蓄積と計算のみで持って結果を出すはずですからね。
今回の一件の真理が、果たしてどこにあるのか?
どうも、先の加藤氏の発言は「意見表明が刑事責任をもたらす恐れ」ばかりが危惧されて、科学者がその仕事を全うするという観点が抜けている気がするのですが・・・要するに、甘やかし、ということです。それとも、それは報道されていないだけ、ですかね?
余震の恐れ、公表口止め? イタリア、防災局長官に疑惑(朝日新聞デジタル)−Yahoo!ニュース
こういう報道もあります。
イタリア中部ラクイラ地震の直後、「大きな地震が続く可能性がある」と公表しようとした科学者を防災局長官が口止めしていたと、地元紙「レプブリカ」が26日報じたというのです。
つまり、市民への情報提供に、長官が大きく関与していたことを裏付ける内容だと報道されています。
報道では、国立地球物理学火山学研究所のボスキ所長(当時)は、地震の3日後に改めて開かれた政府防災局の「高リスク検討会」に出席しており、余震の可能性を記者会見で発表しようとしたそうです。
しかし防災局のベルトラーゾ長官(同)が電話で「本当のことは言うな」と制したということだそうです。
要するに、こういうことが事実なら、この「防災局の長官」という人物が、どういう意図でこのような発言を行ったかが問題だということです。だとすれば、科学的でも何でも無い。要は、政治だったということです。
そうなると、科学者の立場から物をいおうとしたって無駄でしょうし、そもそも科学者の発言が刑事事件になる、ならない、という話でもありません。要は、イタリアが持っていた「高リスク検討会」という会の機構的問題だということです。
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2009年のイタリア中部ラクイラの大地震を巡って、地震前に発生のリスクを議論した伊政府の委員会メンバーだった地震学者らが実刑判決を受けた裁判がありました。このラクイラの大地震では、309人が死亡しており、現地の地裁は、直前の「安全宣言」が犠牲の拡大を招いたとして、過失致死傷罪に問われた地震学者ら7人全員に禁錮6年の判決を言い渡しました。
この一件について、日本地震学会の加藤照之会長(東京大教授)は29日、「強い懸念を感じる」などとして判決を批判する声明を出しました。
これは、日本でも地震研究者が国や自治体の防災行政に関わっていることに触れ、「意見表明が刑事責任をもたらす恐れがあれば、研究者は自由にものが言えなくなるか、科学的根拠を欠く意見を表明することになりかねない」と指摘しました。「長期的に見れば、科学的根拠が不十分な防災対策につながり、社会にとっても大きな損失になる」としています。
この加藤氏の発言はもっともだと思います。
ただし、イタリアで行われた地震学者の発言が、本当に科学的だったのかどうかは、検証されるべきであろうと思います。「安全宣言」を出しておきながら、300人以上の死者を出したというのは、やはり問題です。要するに、リスクをどこに置いておくかという話になるでしょう。
要するに、「安全宣言」が出される過程についての検証です。今回の裁判がどこまで論じたかも分かりませんが、もし、今回有罪となった地震学者に、「安全宣言を出して欲しい」と要請があったのなら、その要請を行った人間こそが有罪になるべきでしょうが、それが出てきていないということは、今回の「安全宣言」は、科学者達の主張ということになります。
だとすれば、科学者はどういう手法でもって、「安全宣言」を主張したのでしょうか。それが気になるわけですね。リスクをどの程度で予測していたのか?そういう検証の結果、そこに科学者の「怠慢」なり、「判断ミス」があったとすれば、それは断罪されるべきなのでしょう。何故ならば、それは「科学者」では無いからです。そもそも「判断ミス」などは起きようがありません。データの蓄積と計算のみで持って結果を出すはずですからね。
今回の一件の真理が、果たしてどこにあるのか?
どうも、先の加藤氏の発言は「意見表明が刑事責任をもたらす恐れ」ばかりが危惧されて、科学者がその仕事を全うするという観点が抜けている気がするのですが・・・要するに、甘やかし、ということです。それとも、それは報道されていないだけ、ですかね?
余震の恐れ、公表口止め? イタリア、防災局長官に疑惑(朝日新聞デジタル)−Yahoo!ニュース
こういう報道もあります。
イタリア中部ラクイラ地震の直後、「大きな地震が続く可能性がある」と公表しようとした科学者を防災局長官が口止めしていたと、地元紙「レプブリカ」が26日報じたというのです。
つまり、市民への情報提供に、長官が大きく関与していたことを裏付ける内容だと報道されています。
報道では、国立地球物理学火山学研究所のボスキ所長(当時)は、地震の3日後に改めて開かれた政府防災局の「高リスク検討会」に出席しており、余震の可能性を記者会見で発表しようとしたそうです。
しかし防災局のベルトラーゾ長官(同)が電話で「本当のことは言うな」と制したということだそうです。
要するに、こういうことが事実なら、この「防災局の長官」という人物が、どういう意図でこのような発言を行ったかが問題だということです。だとすれば、科学的でも何でも無い。要は、政治だったということです。
そうなると、科学者の立場から物をいおうとしたって無駄でしょうし、そもそも科学者の発言が刑事事件になる、ならない、という話でもありません。要は、イタリアが持っていた「高リスク検討会」という会の機構的問題だということです。
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