若干、騒ぎは下火になりつつあるとも聞いているが、日本が韓国統治時代に曹洞宗寺院として建立された「東国寺」について、これは、当時の建築物が残り貴重な遺産ともなるのだが、昨今の日韓関係の冷え込みから、この施設も「政治的に利用」せんとする輩が、これは恐らく日韓両国にそれぞれ存在しているはずである。
それで、曹洞宗の或る僧侶が、かつて大竹明彦元宗務総長が示した「懺謝文」の碑を勝手に建て、それが騒ぎになっているという。まぁ、拙僧は同じ宗派の僧侶とはいえ、面識も無ければ、その活動には全くもって理解も賛同も出来ないので、その点は断っておく。この問題がここまでの大きな騒ぎになるずっと前に、拙僧はこの「東国寺」について、ほんの少しだけ関わった。その時には、もっと純粋に、この寺院が実際に当時どのように使われ、その中で、「戦後の政治と混濁した“歪んだ史観”に基づかない現場の利用法」を調査することで、当時の曹洞宗がどのように朝鮮半島に進出(一部の人は「侵出」と表現している)したかを、学術的に検証すべきであると思っていた。
今となっては、それはもう難しい。その意味で、今回の騒ぎは許し難いと思っている。まぁ、これは拙僧個人に於いて、というレベルだが、でも、今回の活動を行った活動家の人たちは、「自分たちは正しいことをした」と信じているだろう。しかし、ここに、全くもってその活動の方法に全面的に異を唱え、怨みすら抱いているかもしれない人間がいることも、聞き届けてくれるなら、聞いて欲しいが、正義を振りかざす人間は、他人の見解を聞く度量を持ち合わせていないことが多いので、期待はしていない。
確かに、曹洞宗では「人権・平和・環境」をスローガンにしているので、「平和問題」について考え、その実現を目指すのは当然のこととはいえる。だが、その過程で、どのようにして平和を実現するかは、全く別の問題である。この問題は往々にして、「平和の実現方法をめぐって、平和を目指すはずの当事者が、新たな“闘争”を引き起こす」という、“ギャグ”になって現れる。拙僧の管見では、このギャグは、複数の「正義」が、自分たちの正義を振りかざし、他の正義を排除せんとするところから現れる。その意味では、古代から繰り返されている、まぁ、人間の持つ悲しい性ともいえる。
その意味で、以下の一文は、こういう“ギャグ”を見てしまったときに、我々自身自省しなくてはならないところだと思われる。末木文美士先生は『現代仏教論』(新潮新書)に収めた「仏教と平和」という一文で、次のような問題提起をされる。
平和という言葉ですべてを括って、呪文のように唱えるだけならば簡単だ。しかし、具体的に何をなし、何を否定すべきか、ということになれば、必ずそこには意見の相違が出てくる。あらゆる武力行使を否定するというラディカルな立場は明快ではあるが、それならば自国が侵略され、無辜の住民が殺されるようになった時、そのまま蹂躙に任せるのが最善であるのかと問われるならば、直ちには肯定しにくい。
前掲同著、187頁
実際に、呪文のように唱え、結果的には何も考えない、何も活動しない人がほとんどの中で、一部の活動家は今度、ラディカルに考えすぎ、尖った行動が問題を引き起こす・・・とまぁ、現在の状況はそんなところだろう。これが、一般的な社会に生きる人たちの活動ならばまだ許容も出来よう。だが、仏教徒というか、僧侶に於いても同様なのだから、手に負えない。よって、まず我々に求められるのは、世間一般の平和活動・平和思想を無批判に仏教教団に持ち込み、その実現を図るように努力することでは無く、それが「仏教(或いは教団)に於いて」どう考えられ、どう活動されるべきかを模索し、その上で実現への努力を進めることで或る。従来は、世間一般の平和活動・平和思想“から”仏教の教理や歴史を見て、平和活動・平和思想に契う部分だけを取り出し、「ブッダは平和主義者だ」とか、「仏教は本来平和を愛する宗教である」などと喧伝された。
だが、このような「お花畑的発想」にはもう、おさらばした方が良い。理由は、日本は既に皆も知っている通りだが、かつての、そして、現状の東南アジアも見てみると一目瞭然である。かつて、インドシナ戦争時、現地のレジスタンスの兵士達に、現地の僧侶は高僧なども率先して、その勝利を祈り、銃弾を避けるためのアミュレットを授与した。まさに「戦争協力」である。また、現在ミャンマーでは、仏教徒によって少数派のイスラム教徒の生活が脅かされている。無論、現在、イスラム教徒によって仏教徒が虐殺される事態がアフガニスタンに於いて発生しているので、結局は「特定の宗教のみが平和を愛する」というような区分けの無効さをこそ、考えるべきである。どの宗教であっても、時代や場所、状況に応じて、戦争を肯定もし、否定もするのだ。それは、どのような主義主張に於いても同じだ。
だからこそ、仏教では、或いは特定の仏教教団に於いては、平和がどう自らの教義とともに、そこからどう動機を得て実現されるかを模索すべきだと述べたのである。世間一般に歩調を合わせるべきでは無い、等というつもりは無い。だが、世間一般に於いて行われる平和活動・平和思想が、正しく教団の教理の中に位置付けられない場合、従来からの伝統の力を失い、その活動は結果的に「ただの尖った自己満足」にしか見えなくなってくるのである。
また、更に、このような「尖った自己満足的活動」を行う者達は、往々にして共産主義にて採られた「前衛主義」を採りやすい。今さらではあるが「前衛主義」とは、レーニンの『国家と革命』(岩波文庫など)を見ると、世間一般に於いて虐げられているプロレタリアートは、いまだその自らの真の使命や、実現されるべき世界に目覚めていないので、目覚めた者達が、その虐げられている者達の代表として「前衛」となり、真の世界の実現のために努力する、という触れ込みである。
この結果、「前衛」を勤めた者達は、勝手に革命を起こし、その「成功の報酬」を求め、結局共産党は、その国に於いて支配者層となる。かつてのソビエト連邦も、今の中華人民共和国も全く同じである。また、活動の途中には、自分たちの理想を共有しない者達は、「目覚めていない者」としての烙印を押され、暴力的に排除される。いわゆる「内ゲバ」「粛清」と呼ばれる笑劇的悲劇である。自らが依って立つ「正義」の基盤が危ういが故に、他者への排除が強くなるのだ。
であれば、このような「前衛」に立つこと無く、平和を実現するにはどうすれば良いのだろうか?そこに、「是々非々」の必要性が説かれ、更に、その基準を、仏陀(各教団が信仰する、という意味であり、歴史的な存在としてのゴータマ=ブッダを意味しない)とその教説に依存すべきであると思われる。平和の実現方法を競うのでは無く、その前に教理的な検討・論争(場合によっては取っ組み合い)をし、その上で平和実現の思想・活動を教理上に位置付けるべきである。平和そのものをダシにして、闘争をしてしまえば“ギャグ”である。だから、その前の段階で、本来の宗教の果たすべき役割を、たっぷりと議論しておけ、といいたいのである。
なお、末木先生の方針は、大いに参考になると思われる。
宗教がしなければならないこととは何なのだろうか。あるいは、宗教という言葉を使わなくてもよい、過去の平和運動に欠けていて、これからの課題としなければならないこととは何なのだろうか。それはただちに政治運動化して、抽象的な善悪の二元論でぶちきってしまったときに零落れてしまう日々の営みであり、その中での人々の心の問題ではないだろうか。政治の中に回収しきれず、単純な善悪の倫理で判断しきれない問題として、戦争や平和の問題を捉え直すことこそ、もっとも肝要なことではないだろうか。
前掲同著、189頁
要するに、「正義の実現を目指す」として、「理想に燃える」のは好きな人がすれば良いだろう。だが、その「理想」が実現されるべき「場」は、我々の平凡な、どうでも良いような日常なのだ。それを末木先生は、「理想」から見られた場合に「零落れてしまう日々の営み」と表現していると理解出来よう。だが、我々はその「平凡な日常という場」で、喜怒哀楽とともに生きている。その喜怒哀楽から、時にはケンカもするし、時には楽しみを享受したりする。ここを理想で塗り込めたところで、何の意味も無い。だから、仏教はそういう理想とともに、世間を無視するのでは無く、世間の中で、そこに生きる人々の心、生活に寄り添っていくべきなのである。
拙僧にとって、「平和実現」の原風景は、拙寺の「昭和二十年の過去帳」である。先の太平洋戦争敗戦の歳である。この歳、拙寺の過去帳には「120人」を超える人々の名前が記載された。なお、拙寺がある宮城県栗原市は、戦場になったわけでは無い。近くに「細倉鉱山」があったため、艦載機などが機銃掃射を行ったとは聞くが、大規模な爆撃が行われたわけではない。にもかかわらず、前後5年に相当する死者の数が、この歳一年で出てしまったのは、結局生活が崩壊したのだ。田畑は男手が無くては耕せない。多少の農作物が出来ても国に巻き上げられ、女、子ども、そして残された老人は労働で疲れ果て、病気になっても治すことが出来ない。それが、先の数字である。無論、数字に還元して悲劇を共有しているのでは無い。毎年檀家さんを尋ねる「棚経」で、各々の家庭で何があったかを極力伺うようにしているので、この数字には、それに数倍する人の悲しみと無念とが詰まっていることも承知している。
我々が守るべきは、この日常レベルでの生活の安寧であり、それ以上でも以下でも無い。だから拙僧は、「東国寺」の一件でも、その現地の人々の「生活」がどうだったかを調べるべきだと思っていたのだ。そこにしか、守るべきものはないのだから。拙僧にとっての「戦争と平和」とは、只這是である。
だからといって、先のような活動をした人たちと争うつもりは無い。ただし、彼らの理想を共有しないからといって、他の人が批判されることを看過することも出来ない。無論、こちらも非難される憶えは無いので、このような記事をアップしたところで、誰からの抗議を受ける必要性を感じていない。「そもそもの立脚点が違う」のだから。だが、このような複数の次元に於いて実現されるべき「平和」と、「その方法」をめぐっては、本当に慎重に模索されるべきだ。しかも、そこで争うことがあってはならない。平和の実現を願うならば、あらゆる状況で、争いの廻避を常に自戒しておかねばならないのである。
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それで、曹洞宗の或る僧侶が、かつて大竹明彦元宗務総長が示した「懺謝文」の碑を勝手に建て、それが騒ぎになっているという。まぁ、拙僧は同じ宗派の僧侶とはいえ、面識も無ければ、その活動には全くもって理解も賛同も出来ないので、その点は断っておく。この問題がここまでの大きな騒ぎになるずっと前に、拙僧はこの「東国寺」について、ほんの少しだけ関わった。その時には、もっと純粋に、この寺院が実際に当時どのように使われ、その中で、「戦後の政治と混濁した“歪んだ史観”に基づかない現場の利用法」を調査することで、当時の曹洞宗がどのように朝鮮半島に進出(一部の人は「侵出」と表現している)したかを、学術的に検証すべきであると思っていた。
今となっては、それはもう難しい。その意味で、今回の騒ぎは許し難いと思っている。まぁ、これは拙僧個人に於いて、というレベルだが、でも、今回の活動を行った活動家の人たちは、「自分たちは正しいことをした」と信じているだろう。しかし、ここに、全くもってその活動の方法に全面的に異を唱え、怨みすら抱いているかもしれない人間がいることも、聞き届けてくれるなら、聞いて欲しいが、正義を振りかざす人間は、他人の見解を聞く度量を持ち合わせていないことが多いので、期待はしていない。
確かに、曹洞宗では「人権・平和・環境」をスローガンにしているので、「平和問題」について考え、その実現を目指すのは当然のこととはいえる。だが、その過程で、どのようにして平和を実現するかは、全く別の問題である。この問題は往々にして、「平和の実現方法をめぐって、平和を目指すはずの当事者が、新たな“闘争”を引き起こす」という、“ギャグ”になって現れる。拙僧の管見では、このギャグは、複数の「正義」が、自分たちの正義を振りかざし、他の正義を排除せんとするところから現れる。その意味では、古代から繰り返されている、まぁ、人間の持つ悲しい性ともいえる。
その意味で、以下の一文は、こういう“ギャグ”を見てしまったときに、我々自身自省しなくてはならないところだと思われる。末木文美士先生は『現代仏教論』(新潮新書)に収めた「仏教と平和」という一文で、次のような問題提起をされる。
平和という言葉ですべてを括って、呪文のように唱えるだけならば簡単だ。しかし、具体的に何をなし、何を否定すべきか、ということになれば、必ずそこには意見の相違が出てくる。あらゆる武力行使を否定するというラディカルな立場は明快ではあるが、それならば自国が侵略され、無辜の住民が殺されるようになった時、そのまま蹂躙に任せるのが最善であるのかと問われるならば、直ちには肯定しにくい。
前掲同著、187頁
実際に、呪文のように唱え、結果的には何も考えない、何も活動しない人がほとんどの中で、一部の活動家は今度、ラディカルに考えすぎ、尖った行動が問題を引き起こす・・・とまぁ、現在の状況はそんなところだろう。これが、一般的な社会に生きる人たちの活動ならばまだ許容も出来よう。だが、仏教徒というか、僧侶に於いても同様なのだから、手に負えない。よって、まず我々に求められるのは、世間一般の平和活動・平和思想を無批判に仏教教団に持ち込み、その実現を図るように努力することでは無く、それが「仏教(或いは教団)に於いて」どう考えられ、どう活動されるべきかを模索し、その上で実現への努力を進めることで或る。従来は、世間一般の平和活動・平和思想“から”仏教の教理や歴史を見て、平和活動・平和思想に契う部分だけを取り出し、「ブッダは平和主義者だ」とか、「仏教は本来平和を愛する宗教である」などと喧伝された。
だが、このような「お花畑的発想」にはもう、おさらばした方が良い。理由は、日本は既に皆も知っている通りだが、かつての、そして、現状の東南アジアも見てみると一目瞭然である。かつて、インドシナ戦争時、現地のレジスタンスの兵士達に、現地の僧侶は高僧なども率先して、その勝利を祈り、銃弾を避けるためのアミュレットを授与した。まさに「戦争協力」である。また、現在ミャンマーでは、仏教徒によって少数派のイスラム教徒の生活が脅かされている。無論、現在、イスラム教徒によって仏教徒が虐殺される事態がアフガニスタンに於いて発生しているので、結局は「特定の宗教のみが平和を愛する」というような区分けの無効さをこそ、考えるべきである。どの宗教であっても、時代や場所、状況に応じて、戦争を肯定もし、否定もするのだ。それは、どのような主義主張に於いても同じだ。
だからこそ、仏教では、或いは特定の仏教教団に於いては、平和がどう自らの教義とともに、そこからどう動機を得て実現されるかを模索すべきだと述べたのである。世間一般に歩調を合わせるべきでは無い、等というつもりは無い。だが、世間一般に於いて行われる平和活動・平和思想が、正しく教団の教理の中に位置付けられない場合、従来からの伝統の力を失い、その活動は結果的に「ただの尖った自己満足」にしか見えなくなってくるのである。
また、更に、このような「尖った自己満足的活動」を行う者達は、往々にして共産主義にて採られた「前衛主義」を採りやすい。今さらではあるが「前衛主義」とは、レーニンの『国家と革命』(岩波文庫など)を見ると、世間一般に於いて虐げられているプロレタリアートは、いまだその自らの真の使命や、実現されるべき世界に目覚めていないので、目覚めた者達が、その虐げられている者達の代表として「前衛」となり、真の世界の実現のために努力する、という触れ込みである。
この結果、「前衛」を勤めた者達は、勝手に革命を起こし、その「成功の報酬」を求め、結局共産党は、その国に於いて支配者層となる。かつてのソビエト連邦も、今の中華人民共和国も全く同じである。また、活動の途中には、自分たちの理想を共有しない者達は、「目覚めていない者」としての烙印を押され、暴力的に排除される。いわゆる「内ゲバ」「粛清」と呼ばれる笑劇的悲劇である。自らが依って立つ「正義」の基盤が危ういが故に、他者への排除が強くなるのだ。
であれば、このような「前衛」に立つこと無く、平和を実現するにはどうすれば良いのだろうか?そこに、「是々非々」の必要性が説かれ、更に、その基準を、仏陀(各教団が信仰する、という意味であり、歴史的な存在としてのゴータマ=ブッダを意味しない)とその教説に依存すべきであると思われる。平和の実現方法を競うのでは無く、その前に教理的な検討・論争(場合によっては取っ組み合い)をし、その上で平和実現の思想・活動を教理上に位置付けるべきである。平和そのものをダシにして、闘争をしてしまえば“ギャグ”である。だから、その前の段階で、本来の宗教の果たすべき役割を、たっぷりと議論しておけ、といいたいのである。
なお、末木先生の方針は、大いに参考になると思われる。
宗教がしなければならないこととは何なのだろうか。あるいは、宗教という言葉を使わなくてもよい、過去の平和運動に欠けていて、これからの課題としなければならないこととは何なのだろうか。それはただちに政治運動化して、抽象的な善悪の二元論でぶちきってしまったときに零落れてしまう日々の営みであり、その中での人々の心の問題ではないだろうか。政治の中に回収しきれず、単純な善悪の倫理で判断しきれない問題として、戦争や平和の問題を捉え直すことこそ、もっとも肝要なことではないだろうか。
前掲同著、189頁
要するに、「正義の実現を目指す」として、「理想に燃える」のは好きな人がすれば良いだろう。だが、その「理想」が実現されるべき「場」は、我々の平凡な、どうでも良いような日常なのだ。それを末木先生は、「理想」から見られた場合に「零落れてしまう日々の営み」と表現していると理解出来よう。だが、我々はその「平凡な日常という場」で、喜怒哀楽とともに生きている。その喜怒哀楽から、時にはケンカもするし、時には楽しみを享受したりする。ここを理想で塗り込めたところで、何の意味も無い。だから、仏教はそういう理想とともに、世間を無視するのでは無く、世間の中で、そこに生きる人々の心、生活に寄り添っていくべきなのである。
拙僧にとって、「平和実現」の原風景は、拙寺の「昭和二十年の過去帳」である。先の太平洋戦争敗戦の歳である。この歳、拙寺の過去帳には「120人」を超える人々の名前が記載された。なお、拙寺がある宮城県栗原市は、戦場になったわけでは無い。近くに「細倉鉱山」があったため、艦載機などが機銃掃射を行ったとは聞くが、大規模な爆撃が行われたわけではない。にもかかわらず、前後5年に相当する死者の数が、この歳一年で出てしまったのは、結局生活が崩壊したのだ。田畑は男手が無くては耕せない。多少の農作物が出来ても国に巻き上げられ、女、子ども、そして残された老人は労働で疲れ果て、病気になっても治すことが出来ない。それが、先の数字である。無論、数字に還元して悲劇を共有しているのでは無い。毎年檀家さんを尋ねる「棚経」で、各々の家庭で何があったかを極力伺うようにしているので、この数字には、それに数倍する人の悲しみと無念とが詰まっていることも承知している。
我々が守るべきは、この日常レベルでの生活の安寧であり、それ以上でも以下でも無い。だから拙僧は、「東国寺」の一件でも、その現地の人々の「生活」がどうだったかを調べるべきだと思っていたのだ。そこにしか、守るべきものはないのだから。拙僧にとっての「戦争と平和」とは、只這是である。
だからといって、先のような活動をした人たちと争うつもりは無い。ただし、彼らの理想を共有しないからといって、他の人が批判されることを看過することも出来ない。無論、こちらも非難される憶えは無いので、このような記事をアップしたところで、誰からの抗議を受ける必要性を感じていない。「そもそもの立脚点が違う」のだから。だが、このような複数の次元に於いて実現されるべき「平和」と、「その方法」をめぐっては、本当に慎重に模索されるべきだ。しかも、そこで争うことがあってはならない。平和の実現を願うならば、あらゆる状況で、争いの廻避を常に自戒しておかねばならないのである。
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