なんか、どこぞの健康食品の「お試し期間中」みたいな話を見付けたので、ちょっと採り上げてみたい。
皆、この私の教えにお任せいただいて、私の教え次第としていただき、まず三十日不生でおられたならば、それから後は、自ずといようと思わなくても、嫌でも不生でおらねばならぬようになるものであり、見事不生でおられるものでございます。
不生が仏心となるわけで、不生の仏心一つで働ききっているということでありますから、さて、そうであれば、今日の活き仏で無いことがありますかな。
皆、今日に生まれ変わったようにして、新しくなって、我が垂示を聞きなされ。自分に思う物があれば、耳には入りませんから、今新たに生まれ変わったようにして聞けば、初めて垂示を聞くようなもので、自分の内に余計な物が無いのですから、一言で内容を聞き取って、法が成就するわけだ。
岩波文庫『盤珪禅師語録』12〜13頁、拙僧ヘタレ訳
初めてこれを見たとき、ちょっとした笑いを堪えるのに必死だったのだが、読者の皆さまは如何であろうか。
正直、「え?そんなに上手く行くの?」とか思ってしまうのだが、実際に、「不生の仏心」一事で多くの四衆を導いていた盤珪永琢禅師の仰りよう、事実なのだろう。しかし、最初の「三十日不生でいる」こと、これは、そんなに容易ではない。ただし、容易では無くしている最大の原因が、我々自身の余計な思い込みやとらわれ、盤珪禅師は一言で「身のひいき」と仰る自我意識のことである。
よって、まず自分を立てず、ここで盤珪禅師が仰るように「不生の仏心」でいるようにしてみよう。では、どうすれば良いのか?この引用文の前の文章には、こんな事が書いてある。
なをそふよりは、出かさずに居るがちかみちじやわひの。
前掲同著、12頁
先の一話は、「自分は短気で困りますが、治りますか?」という相談事に対しての結論であった。つまり、出てきた短気をどうにかしようと思うのでは無くて、最初から短気を出さなければ良いという回答なのである。だから、一見すると難しい。短気だと思っている人が、その短気を出さないようにする、そんなことが可能なのか?という具合だ。
だが、盤珪禅師の教えを見ていると、出来る気がする。盤珪禅師は断言される。そもそも、短気だと思い込んでいるのは、本人だけで、親が生み付けたところの「不生の仏心」という先天的な事象に対して後天的に過ぎないから、起きないといったら起きない、だから、その生まれた一番最初の素直な心持ちでいるようにせよ、という話なのだ。
そして、盤珪禅師の教えの特徴は、とにかく実践的であることで、こういうことも、「本当に出来るかなぁ?」とか思っている暇があれば、とにかくいきなり、「不生」でおれば良いという話になる。そして、それを30日間続けていれば、その後は、勝手に心がそうなるから大丈夫、という話なのである。でも、怒らないように頑張っていると、次に怒るとき、心が勝手にセーブするというのは、すぐに経験できることである。
で・・・ここまで解説してみて、やっぱり健康食品のように思えてきた。でも、健康食品だって、バランス良くそれを摂っていれば効くこともあると聞いているので、不生禅も同じようなことなのだろう。しかも、間違いなく言えることは、不生禅のお試しは、恐らく「0円」だということだ。テレビショッピングなら、こう宣伝するに違いない。「今なら、お試し30日間無料です!!」みたいな(笑)
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不生が仏心となるわけで、不生の仏心一つで働ききっているということでありますから、さて、そうであれば、今日の活き仏で無いことがありますかな。
皆、今日に生まれ変わったようにして、新しくなって、我が垂示を聞きなされ。自分に思う物があれば、耳には入りませんから、今新たに生まれ変わったようにして聞けば、初めて垂示を聞くようなもので、自分の内に余計な物が無いのですから、一言で内容を聞き取って、法が成就するわけだ。
岩波文庫『盤珪禅師語録』12〜13頁、拙僧ヘタレ訳
初めてこれを見たとき、ちょっとした笑いを堪えるのに必死だったのだが、読者の皆さまは如何であろうか。
正直、「え?そんなに上手く行くの?」とか思ってしまうのだが、実際に、「不生の仏心」一事で多くの四衆を導いていた盤珪永琢禅師の仰りよう、事実なのだろう。しかし、最初の「三十日不生でいる」こと、これは、そんなに容易ではない。ただし、容易では無くしている最大の原因が、我々自身の余計な思い込みやとらわれ、盤珪禅師は一言で「身のひいき」と仰る自我意識のことである。
よって、まず自分を立てず、ここで盤珪禅師が仰るように「不生の仏心」でいるようにしてみよう。では、どうすれば良いのか?この引用文の前の文章には、こんな事が書いてある。
なをそふよりは、出かさずに居るがちかみちじやわひの。
前掲同著、12頁
先の一話は、「自分は短気で困りますが、治りますか?」という相談事に対しての結論であった。つまり、出てきた短気をどうにかしようと思うのでは無くて、最初から短気を出さなければ良いという回答なのである。だから、一見すると難しい。短気だと思っている人が、その短気を出さないようにする、そんなことが可能なのか?という具合だ。
だが、盤珪禅師の教えを見ていると、出来る気がする。盤珪禅師は断言される。そもそも、短気だと思い込んでいるのは、本人だけで、親が生み付けたところの「不生の仏心」という先天的な事象に対して後天的に過ぎないから、起きないといったら起きない、だから、その生まれた一番最初の素直な心持ちでいるようにせよ、という話なのだ。
そして、盤珪禅師の教えの特徴は、とにかく実践的であることで、こういうことも、「本当に出来るかなぁ?」とか思っている暇があれば、とにかくいきなり、「不生」でおれば良いという話になる。そして、それを30日間続けていれば、その後は、勝手に心がそうなるから大丈夫、という話なのである。でも、怒らないように頑張っていると、次に怒るとき、心が勝手にセーブするというのは、すぐに経験できることである。
で・・・ここまで解説してみて、やっぱり健康食品のように思えてきた。でも、健康食品だって、バランス良くそれを摂っていれば効くこともあると聞いているので、不生禅も同じようなことなのだろう。しかも、間違いなく言えることは、不生禅のお試しは、恐らく「0円」だということだ。テレビショッピングなら、こう宣伝するに違いない。「今なら、お試し30日間無料です!!」みたいな(笑)
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