『梵網経』の「十重禁戒」と「四十八軽戒」とは、内容的に重なる条文があり、拙僧などは正直、その理由については、良く理解できないという感じでしたが、先日、本来の律と戒との関わりについて話を聞いた結果、この両方については次の関係であったのだろうと思うようになりました。
・四十八軽戒⇒出家したての者に守らせる「律」の機能。そこで、破っても僧団に留まれる「軽垢戒」として立項。
・十重禁戒⇒出家して学びが進んだ者に、絶対に破るべきでは無いという条文として授ける。本来の「戒」と同じ機能。
このように考えると、両方に似たような条文が入っていることも納得出来るわけです。ただ、実践的に、『梵網経』がどう行われていたか、ちょっと良く拙僧には分かっていないところもあるので、この辺は今後も学んでいきたいと思っています。そこで、今日、見ていくのは以下の条文です。
仏言く、仏子、瞋を以て瞋に報じ、打を以て打に報ずることを得ざれ。若し父母・兄弟・六親を殺されるとも、報を加えることを得ざれ。若し国主、他人の為に殺されんも、亦た報を加えることを得ざれ。生を殺して生に報ずれば孝道に順ぜず。尚、奴婢を蓄えて打拍罵辱せざれ。日日に三業を起こして口罪無量なり。況んや故に、七逆の罪を作らんをや。而るを出家の菩薩、慈心無くして讎を報じ、乃至、六親の中にも故に報ずれば、軽垢罪を犯す。
第二十一不忍違犯戒
良く、仏教では仇討ちというか、復讐を認めないとはいわれます。良く引用されるのは、『ダンマ=パダ(法句経)』の一節であると思いますが、大乗菩薩戒の聖典である『梵網経』にも見えることはここで確認をしておきたいと思います。しかも、我々が良く考えておかねばならないのは、『梵網経』の本質が「仏性戒」と「孝順戒」であることを思う時、その「孝順」の実践から敵討ち・復讐を排除していることを考えていただきたいと思います。なお、この一件について、中国天台宗の実質的な創始者といって良い天台智?は、次のように述べています。
外書に二途有り。一には是れ礼の許す所、二には是れ法の禁ずる所なり。漸教の故なり。今、内経には悉く禁ず。
『菩薩戒経義疏(下)』
外書と内経という区別がされていますが、いわゆる仏典以外の教えということです。「礼の許す」ということは、儒教的な文脈での見解であり、法の禁ずるというのは、当時の国法に於ける禁忌だといえましょう。つまり、相対的な分別の上では、許されたり、許されなかったりするわけです。しかし、智?は、仏典では悉くが禁止されていると指摘します。よって、この復讐の原則的禁止は、仏教の特徴の1つであるといえるわけです。
また、他にも、当時は奴隷制度がありましたので、奴隷に対しても暴力的に接してはならないとされ、更に、三業には罪を作らないようにしなければならず、七逆罪も作ってはなりません。要するに、これらの罪が出来る理由が、我々自身の「仕返ししたい」という自我があるためだと判断できるわけです。仕返しの全般を禁止し、ただあるがままに生きること、それを求めているといえるわけです。このあるがままに生きること、これを「慈悲」だとしているのが、興味深いところです。
なお、道元禅師の直弟子達は、この条文に次のように註釈しています。
第二十一、生を殺して生に報ずれば孝道に順ぜず、とあり。勿論也。世間に奴卑を畜える者、三業の口罪を起こす、用心すべき事歟。
経豪禅師『梵網経略抄』
思想的には何の追究もなされていません。ただ、復讐の禁止を、「勿論也」としていることから、このような意識が当時の仏教者にも共有されていたことを注目すべきであるといえます。それは、平安時代の貴族の時代から変わり、源平の合戦を経て、この時代は武士の時代になりつつありました。まさに、殺し、殺され、という時代であったはずですが、一方でその中に於ける人の心根を批判し、復讐をしてはならないと述べている辺り、近代的な人権感覚とは勿論違いますが、恩愛を捨てた結果、転じて、人権的発想に近いという感じでしょうか。
なお、既に当連載で採り上げた【第九不瞋恚戒(『梵網菩薩戒経』参究:十重禁戒9)】に於ける、自ら怒りを解いて、相手を許す発想にも、ここは繋がってきますので、このような復讐しないというような許しの感情が当たり前となって、「不瞋恚戒」の成就に至る可能性も、指摘しておきたいと思います。
これまでの連載は【ブログ内リンク】からどうぞ。
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・四十八軽戒⇒出家したての者に守らせる「律」の機能。そこで、破っても僧団に留まれる「軽垢戒」として立項。
・十重禁戒⇒出家して学びが進んだ者に、絶対に破るべきでは無いという条文として授ける。本来の「戒」と同じ機能。
このように考えると、両方に似たような条文が入っていることも納得出来るわけです。ただ、実践的に、『梵網経』がどう行われていたか、ちょっと良く拙僧には分かっていないところもあるので、この辺は今後も学んでいきたいと思っています。そこで、今日、見ていくのは以下の条文です。
仏言く、仏子、瞋を以て瞋に報じ、打を以て打に報ずることを得ざれ。若し父母・兄弟・六親を殺されるとも、報を加えることを得ざれ。若し国主、他人の為に殺されんも、亦た報を加えることを得ざれ。生を殺して生に報ずれば孝道に順ぜず。尚、奴婢を蓄えて打拍罵辱せざれ。日日に三業を起こして口罪無量なり。況んや故に、七逆の罪を作らんをや。而るを出家の菩薩、慈心無くして讎を報じ、乃至、六親の中にも故に報ずれば、軽垢罪を犯す。
第二十一不忍違犯戒
良く、仏教では仇討ちというか、復讐を認めないとはいわれます。良く引用されるのは、『ダンマ=パダ(法句経)』の一節であると思いますが、大乗菩薩戒の聖典である『梵網経』にも見えることはここで確認をしておきたいと思います。しかも、我々が良く考えておかねばならないのは、『梵網経』の本質が「仏性戒」と「孝順戒」であることを思う時、その「孝順」の実践から敵討ち・復讐を排除していることを考えていただきたいと思います。なお、この一件について、中国天台宗の実質的な創始者といって良い天台智?は、次のように述べています。
外書に二途有り。一には是れ礼の許す所、二には是れ法の禁ずる所なり。漸教の故なり。今、内経には悉く禁ず。
『菩薩戒経義疏(下)』
外書と内経という区別がされていますが、いわゆる仏典以外の教えということです。「礼の許す」ということは、儒教的な文脈での見解であり、法の禁ずるというのは、当時の国法に於ける禁忌だといえましょう。つまり、相対的な分別の上では、許されたり、許されなかったりするわけです。しかし、智?は、仏典では悉くが禁止されていると指摘します。よって、この復讐の原則的禁止は、仏教の特徴の1つであるといえるわけです。
また、他にも、当時は奴隷制度がありましたので、奴隷に対しても暴力的に接してはならないとされ、更に、三業には罪を作らないようにしなければならず、七逆罪も作ってはなりません。要するに、これらの罪が出来る理由が、我々自身の「仕返ししたい」という自我があるためだと判断できるわけです。仕返しの全般を禁止し、ただあるがままに生きること、それを求めているといえるわけです。このあるがままに生きること、これを「慈悲」だとしているのが、興味深いところです。
なお、道元禅師の直弟子達は、この条文に次のように註釈しています。
第二十一、生を殺して生に報ずれば孝道に順ぜず、とあり。勿論也。世間に奴卑を畜える者、三業の口罪を起こす、用心すべき事歟。
経豪禅師『梵網経略抄』
思想的には何の追究もなされていません。ただ、復讐の禁止を、「勿論也」としていることから、このような意識が当時の仏教者にも共有されていたことを注目すべきであるといえます。それは、平安時代の貴族の時代から変わり、源平の合戦を経て、この時代は武士の時代になりつつありました。まさに、殺し、殺され、という時代であったはずですが、一方でその中に於ける人の心根を批判し、復讐をしてはならないと述べている辺り、近代的な人権感覚とは勿論違いますが、恩愛を捨てた結果、転じて、人権的発想に近いという感じでしょうか。
なお、既に当連載で採り上げた【第九不瞋恚戒(『梵網菩薩戒経』参究:十重禁戒9)】に於ける、自ら怒りを解いて、相手を許す発想にも、ここは繋がってきますので、このような復讐しないというような許しの感情が当たり前となって、「不瞋恚戒」の成就に至る可能性も、指摘しておきたいと思います。
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