諸事勘案してみると、『梵網経』が説く「菩薩戒」というのは、インドを中心とした「僧伽」が機能していない遠方の世界にまでも、仏教が広がりを見せていたことを示すのではないかと思っております。今回お話ししていく「自誓受戒」というべき内容も、まさにそれを示すものでありましょう。
いわば、自分が戒を受けるべき「師」がいないとき、仏・菩薩の像を前に懺悔して、それで「好相」を見れば受戒したことになる、という話なのです。ただし、「師」がいるときは、「好相」は不要です。師師相授の時には要らないのです。そして、この戒では更に、「師」の側にも条件を設けています。詳しくは、以下の通りです。
なんじ仏子、仏滅度の後、好心を以て菩薩戒を受けんと欲せん時は、仏・菩薩の形像の前に自誓受戒(自ら誓って戒を受く)すべし。当に七日をもって仏の前に懺悔し、好相を見ることを得れば、便ち戒を得。若し、好相を得ずんば、応に二七・三七・乃至一年にも、要らず好相を得べし。好相を得已らば、便ち仏・菩薩の形像の前に戒を受くべし。若し好相を得ずんば、仏像の前にも受戒すれども、戒を得べからず。
若し、現前に先に菩薩戒を受くるの法師の前に、戒を受くる時は、要ずしも好相を見ることを須いず。何を以ての故に、是の法師、師師相授するが故に好相を須いず。是を以て、法師の前にして受戒せば即ち得戒す。至重心を生ずるを以ての故に、便ち得戒す。若し、千里の内に能く戒を授くるの師無くんば、仏・菩薩の形像の前にして戒を受けよ、而も要ず好相を見るべし。
若し法師、自ら経律大乗の学戒を解せるに倚りて、国王・太子・百官に以て善友と為り、而も新学菩薩来たって若し経義・律義を問うに、軽心・悪心・慢心を以て、一々に好く問に答えずんば、軽垢罪を犯す。
第二十三軽蔑新学戒
どうも、内容を見ていくと、3種類の戒本が、1つにまとまっている印象です。1:自誓受戒のこと。2:法師の前で受戒すること。3:法師は新学菩薩の問いに答えること。この内、3つ目は非常に分かりやすい話です。先にそこから見ていきましょう。
3:法師が新学菩薩を軽んずる話ですが、その理由は、この法師が経律や大乗の学戒を学んでいる、学僧だということです。学僧であるが故に、エリート的でもあったのでしょう。よって、国王やその太子、或いは高級官僚などと善き友となったとします。こういうことがあると、自分で指導したりすることが億劫となり、結果として新学菩薩を軽んずることとなるのです。例えば、こんな事例は如何でしょうか?
某甲、そのかみ径山に掛錫するに、光仏照、そのときの粥飯頭なりき。上堂していはく、仏法禅道、かならずしも他人の言句をもとむべからず、ただ各自理会。かくのごとくいひて、僧堂裏都不管なりき。雲水兄弟也都不管なり、祇管与官客相見追尋するのみなり。
『正法眼蔵』「行持(下)」巻
これは、道元禅師の本師である天童如浄禅師が、恐らくは道元禅師に直接語られたことなのだと思いますが、如浄禅師が径山に掛搭していたとき、その時の住持(粥飯頭)であった臨済宗大慧派の拙菴徳光が上堂して、「仏法や禅の道というのは、他人の言句を求めてはならず、各々自分で理会すれば良い」といって、自分では僧堂でも指導せず、雲水を一切指導せず、ただ、「官客」と相見ばかりしていた、という話です。道元禅師はこれを、「名聞利養」の悪例として批判しています。しかし、『梵網経』を読むと、同じ悪例だということが分かります。よって、残念ながら、仏教にはこういう事例が、少なからず存在していたことを想起させます。
やはり指導者は、常に学人の成仏得道をのみ念願するべきなのであって、自らの栄達を願うようなことがあってはならないのです。
それでは、後は「自誓受戒」の話に進みます。この話をするときには、必ず参照しておかねばならない文献があります。
三、仏滅度の後、千里の内に法師これ無き時、応に諸仏・菩薩の形像の前に在って、胡跪合掌して自誓受戒すべし。応に是の如く言うべし、「我某甲、十方仏及び大地菩薩等に白す。我れ一切の菩薩戒を学ぶ者なり」と。是れ下品戒なり。
『菩薩瓔珞本業経(下)』「大衆受学品第七」
『梵網経』と同じく、大乗戒の経典として知られている『瓔珞経』から引用してみました。同経でも「菩薩戒の自誓受戒」を認めてみます。その上で、『瓔珞経』では、「自誓受戒」の成立する条件は、「千里の内に法師がいない」時、「仏・菩薩の形像を前に胡跪合掌して、誓いの言葉を述べる」ということになっています。「胡跪」というのは、片方(右)の足を立ち膝にし、もう一方の足(左)を前で折り曲げるような格好です。背筋は伸びています。これは、師から教えを受ける礼法の1つです。
一方で『梵網経』では、「好相を見ること」を条件の1つにしています。では、この「好相」とは何かといえば、同じ『梵網経』「第四十一軽戒」に、「好相とは、仏来たりて摩頂し、光を見、華を見る、種種の異相」としています。これが見られれば、懺悔が出来るということになっており、いわば、「好相」については、「懺悔」の成就のためだと理解できます。仏・菩薩の像を前に一心に懺悔して、仏が「照覧」してくれたという獲信を抱くのに、「好相」が必要なのです。それは一週間で駄目なら、二週間・三週間、一年かかっても良いので、とにかく好相を見ることが大事だというわけです。
ところで、この菩薩戒ですが、もし、千里の内に菩薩戒を受けている法師がいれば、その人から受けるべきだとされ、その場合には、好相を見る必要がありません。理由は何故かといえば、この場合には、師を前にして懺悔することが可能だからです。ただし、これは「七遮」では無い場合に限られ、「七遮」がある場合には、受戒は出来ないようです。具体的には、1:出仏身血、2:殺父、3:殺母、4:殺和上、5:殺阿闍黎、6:破羯磨転法輪僧、7:殺聖人、となっています。なお、この「七遮」の問題はまた、この連載の後半で、道元禅師と懐弉禅師が『正法眼蔵随聞記』にて問答していることを挙げて、重ねて参究してみます。
話を戻して、要するに、菩薩戒を受けるには、法師がいればその法師から、近くに法師がいなければ仏・菩薩像を前に自誓受戒する、という流れになるわけです。そこで、先ほど挙げた『瓔珞経』ですが、先に引いた箇所を含め「三種の戒」として述べています。それは、仏から直接受ける場合、これを「上品戒」としています。法師から受ける場合、これを「中品戒」としています。そして自誓受戒、これを「下品戒」としています。出来ることなら、上品で受けたいところですが、今は「仏滅度の後」の世界なので、「中品」か「下品」ということになります。日本であれば、「菩薩戒」を受けている僧侶は多いので(浄土真宗・日蓮宗などを除く。曹洞宗は全員菩薩戒を受けた大乗菩薩僧なので受戒可能)、大概は「中品」になると思われます。
ところで、中国天台宗の実質的な開祖と言って良い天台智?は、この戒について、「教訓の道に乖くが故に制す」と、極簡単に述べるだけで、これはどうやら、法師の名聞利養を制する戒だという理解のみが重視されているようです。よって、自誓受戒のところは、あくまでも制度的な話なので、それはただ肯ったというところなのでしょう。後半の解釈も同様です。
また、道元禅師の直弟子達は、「第廿三、好相を見るべき事、之有り。又、先に菩薩戒を受くるの法師の前にて、戒を受くれば、要ずしも好相を須いず、師師相授なるが故に」(経豪禅師『梵網経略抄』)としており、こちらは智?とは逆に、自誓受戒に重きを置いていますが、説明だけです。この戒は、理解がしやすい内容だといえましょう。
ところで、この「自誓受戒」ですが、ここだけ考えるとちょっと難しいです。先に挙げた「法師の有無」について、日本ではどうも一様ならざる解釈をされていた印象です。
時に、戒如・覚真の両哲、事に随って大小の戒律を習学す。覚真大徳、紹隆の志有って、常喜院を建てて学依処と為す。戒如上人、多く知人を生ず。乃ち円睛・覚盛・継尊・覚澄・禅観・蓮意・蓮覚等なり。志学人有り、常喜院に住して、大小の諸律を聴学研精す。
人王第八十六代四条天皇御宇、嘉禎二年(註・1236年)丙申に至って、四般哲有り。円睛・有厳・覚盛・叡尊なり。深く学解有りと雖も闕けて戒行無きことを歎く。経論の所説に依りて通受の軌則に随い、四英、同心して好相を祈請し、自誓受戒して戒行を修習せんとす。好相已に成りて、大仏殿に於いて、四人各各、自誓受戒す。即ち九月の二日・四日なり。
『律宗綱要(下)』
これは、東大寺の住僧であった凝然大徳(1240〜1321)の示された『律宗綱要』(1306年頃成立か)です。律宗の伝統を手堅くまとめた文献は無く、その意味で、「本書は他に類書を見ない優れた著作である」(春秋社『仏典解題事典』所収の平川彰先生の解題)という評価は納得出来ます。なお、この著作については曹洞宗の僧であった故・佐藤達玄先生が註解本を大蔵出版から出しており、必読の書であります。
その上でですが、この上記の一件は、鎌倉時代初期に起きた、南都の律学復興運動のことを指しています。ここで、中心になるメンバーは、覚盛上人(1193〜1249)などになりますが、様々な経律を学んでいても、自らはその行が欠けているので、「通受の軌則」に随って、菩薩戒を受けたわけです。この内容について、覚盛自身が菩薩戒に関する文献を著しておりますので、確認してみましょう。
答、本論瑜伽中に菩薩大戒を説く。摂律儀戒とは、即ち七衆戒なり。方にこの戒を受くるに二軌則有り。
一つには、通受なり。所謂、摂善・摂生を通じて正に三戒を受く。是れ尽未来際、唯だ菩薩法のみなり。七衆別なりと雖も羯磨に異なること無し。但し随相に至って、所持同じからず。謂く、比丘は二百五十戒等を護持し、乃至、近事(註・在家信者)は五戒等を護持す、是れなり。
二つには、別受なり。所謂、摂善・摂生を通ぜず。別に律儀を受く。是れ尽形寿、声聞法に同じなり。
『菩薩戒通受遣疑鈔』
要するに、三聚浄戒を全て受けるか、それとも、個別に摂律儀戒のみを受けるか、という違いがあるとしているわけです。ここから、通受・別受の違いが出て来ます。ただ、覚盛自身は、「其の中、近世受くる所の軌則、是れ即ち通受の軌則なり」(同上)としていますので、通受を受けたと自壊しています。そこで、彼らは自誓受戒を行ったのは、当時の律宗が律学上混迷していたことを示すものといえ、だからこそ、志有る僧は、「常喜院」という塾を作って学んでいったのでしょう。だとすれば、彼らは「自誓受戒」の条件に、正しく菩薩戒の作法を受け継ぐ人、または、正しく通受を受けさせてくれる人、或いは、菩薩戒を正しく実践している人、等を考えていた可能性があります(この辺、勉強不足なので、今後学んでいこうと思っております。今はまだ推測です)。
『梵網経』を始めとする「戒律」は、時代や場所によって、当然護持の方法も異なるものであり、それ故、様々な事例こそが非常に大事であるといえます。この事例を、一種の「範例(或いは判例)」とすることで、我々の護持の仕方に典拠と根拠を与えることが可能になるのです。そのためにも、こういう情報を徹底的に集めて、テキスト化していく必要を感じます。それとも、或いは既に、どこかの先生がやっていて下さったりするのでしょうかね・・・?
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いわば、自分が戒を受けるべき「師」がいないとき、仏・菩薩の像を前に懺悔して、それで「好相」を見れば受戒したことになる、という話なのです。ただし、「師」がいるときは、「好相」は不要です。師師相授の時には要らないのです。そして、この戒では更に、「師」の側にも条件を設けています。詳しくは、以下の通りです。
なんじ仏子、仏滅度の後、好心を以て菩薩戒を受けんと欲せん時は、仏・菩薩の形像の前に自誓受戒(自ら誓って戒を受く)すべし。当に七日をもって仏の前に懺悔し、好相を見ることを得れば、便ち戒を得。若し、好相を得ずんば、応に二七・三七・乃至一年にも、要らず好相を得べし。好相を得已らば、便ち仏・菩薩の形像の前に戒を受くべし。若し好相を得ずんば、仏像の前にも受戒すれども、戒を得べからず。
若し、現前に先に菩薩戒を受くるの法師の前に、戒を受くる時は、要ずしも好相を見ることを須いず。何を以ての故に、是の法師、師師相授するが故に好相を須いず。是を以て、法師の前にして受戒せば即ち得戒す。至重心を生ずるを以ての故に、便ち得戒す。若し、千里の内に能く戒を授くるの師無くんば、仏・菩薩の形像の前にして戒を受けよ、而も要ず好相を見るべし。
若し法師、自ら経律大乗の学戒を解せるに倚りて、国王・太子・百官に以て善友と為り、而も新学菩薩来たって若し経義・律義を問うに、軽心・悪心・慢心を以て、一々に好く問に答えずんば、軽垢罪を犯す。
第二十三軽蔑新学戒
どうも、内容を見ていくと、3種類の戒本が、1つにまとまっている印象です。1:自誓受戒のこと。2:法師の前で受戒すること。3:法師は新学菩薩の問いに答えること。この内、3つ目は非常に分かりやすい話です。先にそこから見ていきましょう。
3:法師が新学菩薩を軽んずる話ですが、その理由は、この法師が経律や大乗の学戒を学んでいる、学僧だということです。学僧であるが故に、エリート的でもあったのでしょう。よって、国王やその太子、或いは高級官僚などと善き友となったとします。こういうことがあると、自分で指導したりすることが億劫となり、結果として新学菩薩を軽んずることとなるのです。例えば、こんな事例は如何でしょうか?
某甲、そのかみ径山に掛錫するに、光仏照、そのときの粥飯頭なりき。上堂していはく、仏法禅道、かならずしも他人の言句をもとむべからず、ただ各自理会。かくのごとくいひて、僧堂裏都不管なりき。雲水兄弟也都不管なり、祇管与官客相見追尋するのみなり。
『正法眼蔵』「行持(下)」巻
これは、道元禅師の本師である天童如浄禅師が、恐らくは道元禅師に直接語られたことなのだと思いますが、如浄禅師が径山に掛搭していたとき、その時の住持(粥飯頭)であった臨済宗大慧派の拙菴徳光が上堂して、「仏法や禅の道というのは、他人の言句を求めてはならず、各々自分で理会すれば良い」といって、自分では僧堂でも指導せず、雲水を一切指導せず、ただ、「官客」と相見ばかりしていた、という話です。道元禅師はこれを、「名聞利養」の悪例として批判しています。しかし、『梵網経』を読むと、同じ悪例だということが分かります。よって、残念ながら、仏教にはこういう事例が、少なからず存在していたことを想起させます。
やはり指導者は、常に学人の成仏得道をのみ念願するべきなのであって、自らの栄達を願うようなことがあってはならないのです。
それでは、後は「自誓受戒」の話に進みます。この話をするときには、必ず参照しておかねばならない文献があります。
三、仏滅度の後、千里の内に法師これ無き時、応に諸仏・菩薩の形像の前に在って、胡跪合掌して自誓受戒すべし。応に是の如く言うべし、「我某甲、十方仏及び大地菩薩等に白す。我れ一切の菩薩戒を学ぶ者なり」と。是れ下品戒なり。
『菩薩瓔珞本業経(下)』「大衆受学品第七」
『梵網経』と同じく、大乗戒の経典として知られている『瓔珞経』から引用してみました。同経でも「菩薩戒の自誓受戒」を認めてみます。その上で、『瓔珞経』では、「自誓受戒」の成立する条件は、「千里の内に法師がいない」時、「仏・菩薩の形像を前に胡跪合掌して、誓いの言葉を述べる」ということになっています。「胡跪」というのは、片方(右)の足を立ち膝にし、もう一方の足(左)を前で折り曲げるような格好です。背筋は伸びています。これは、師から教えを受ける礼法の1つです。
一方で『梵網経』では、「好相を見ること」を条件の1つにしています。では、この「好相」とは何かといえば、同じ『梵網経』「第四十一軽戒」に、「好相とは、仏来たりて摩頂し、光を見、華を見る、種種の異相」としています。これが見られれば、懺悔が出来るということになっており、いわば、「好相」については、「懺悔」の成就のためだと理解できます。仏・菩薩の像を前に一心に懺悔して、仏が「照覧」してくれたという獲信を抱くのに、「好相」が必要なのです。それは一週間で駄目なら、二週間・三週間、一年かかっても良いので、とにかく好相を見ることが大事だというわけです。
ところで、この菩薩戒ですが、もし、千里の内に菩薩戒を受けている法師がいれば、その人から受けるべきだとされ、その場合には、好相を見る必要がありません。理由は何故かといえば、この場合には、師を前にして懺悔することが可能だからです。ただし、これは「七遮」では無い場合に限られ、「七遮」がある場合には、受戒は出来ないようです。具体的には、1:出仏身血、2:殺父、3:殺母、4:殺和上、5:殺阿闍黎、6:破羯磨転法輪僧、7:殺聖人、となっています。なお、この「七遮」の問題はまた、この連載の後半で、道元禅師と懐弉禅師が『正法眼蔵随聞記』にて問答していることを挙げて、重ねて参究してみます。
話を戻して、要するに、菩薩戒を受けるには、法師がいればその法師から、近くに法師がいなければ仏・菩薩像を前に自誓受戒する、という流れになるわけです。そこで、先ほど挙げた『瓔珞経』ですが、先に引いた箇所を含め「三種の戒」として述べています。それは、仏から直接受ける場合、これを「上品戒」としています。法師から受ける場合、これを「中品戒」としています。そして自誓受戒、これを「下品戒」としています。出来ることなら、上品で受けたいところですが、今は「仏滅度の後」の世界なので、「中品」か「下品」ということになります。日本であれば、「菩薩戒」を受けている僧侶は多いので(浄土真宗・日蓮宗などを除く。曹洞宗は全員菩薩戒を受けた大乗菩薩僧なので受戒可能)、大概は「中品」になると思われます。
ところで、中国天台宗の実質的な開祖と言って良い天台智?は、この戒について、「教訓の道に乖くが故に制す」と、極簡単に述べるだけで、これはどうやら、法師の名聞利養を制する戒だという理解のみが重視されているようです。よって、自誓受戒のところは、あくまでも制度的な話なので、それはただ肯ったというところなのでしょう。後半の解釈も同様です。
また、道元禅師の直弟子達は、「第廿三、好相を見るべき事、之有り。又、先に菩薩戒を受くるの法師の前にて、戒を受くれば、要ずしも好相を須いず、師師相授なるが故に」(経豪禅師『梵網経略抄』)としており、こちらは智?とは逆に、自誓受戒に重きを置いていますが、説明だけです。この戒は、理解がしやすい内容だといえましょう。
ところで、この「自誓受戒」ですが、ここだけ考えるとちょっと難しいです。先に挙げた「法師の有無」について、日本ではどうも一様ならざる解釈をされていた印象です。
時に、戒如・覚真の両哲、事に随って大小の戒律を習学す。覚真大徳、紹隆の志有って、常喜院を建てて学依処と為す。戒如上人、多く知人を生ず。乃ち円睛・覚盛・継尊・覚澄・禅観・蓮意・蓮覚等なり。志学人有り、常喜院に住して、大小の諸律を聴学研精す。
人王第八十六代四条天皇御宇、嘉禎二年(註・1236年)丙申に至って、四般哲有り。円睛・有厳・覚盛・叡尊なり。深く学解有りと雖も闕けて戒行無きことを歎く。経論の所説に依りて通受の軌則に随い、四英、同心して好相を祈請し、自誓受戒して戒行を修習せんとす。好相已に成りて、大仏殿に於いて、四人各各、自誓受戒す。即ち九月の二日・四日なり。
『律宗綱要(下)』
これは、東大寺の住僧であった凝然大徳(1240〜1321)の示された『律宗綱要』(1306年頃成立か)です。律宗の伝統を手堅くまとめた文献は無く、その意味で、「本書は他に類書を見ない優れた著作である」(春秋社『仏典解題事典』所収の平川彰先生の解題)という評価は納得出来ます。なお、この著作については曹洞宗の僧であった故・佐藤達玄先生が註解本を大蔵出版から出しており、必読の書であります。
その上でですが、この上記の一件は、鎌倉時代初期に起きた、南都の律学復興運動のことを指しています。ここで、中心になるメンバーは、覚盛上人(1193〜1249)などになりますが、様々な経律を学んでいても、自らはその行が欠けているので、「通受の軌則」に随って、菩薩戒を受けたわけです。この内容について、覚盛自身が菩薩戒に関する文献を著しておりますので、確認してみましょう。
答、本論瑜伽中に菩薩大戒を説く。摂律儀戒とは、即ち七衆戒なり。方にこの戒を受くるに二軌則有り。
一つには、通受なり。所謂、摂善・摂生を通じて正に三戒を受く。是れ尽未来際、唯だ菩薩法のみなり。七衆別なりと雖も羯磨に異なること無し。但し随相に至って、所持同じからず。謂く、比丘は二百五十戒等を護持し、乃至、近事(註・在家信者)は五戒等を護持す、是れなり。
二つには、別受なり。所謂、摂善・摂生を通ぜず。別に律儀を受く。是れ尽形寿、声聞法に同じなり。
『菩薩戒通受遣疑鈔』
要するに、三聚浄戒を全て受けるか、それとも、個別に摂律儀戒のみを受けるか、という違いがあるとしているわけです。ここから、通受・別受の違いが出て来ます。ただ、覚盛自身は、「其の中、近世受くる所の軌則、是れ即ち通受の軌則なり」(同上)としていますので、通受を受けたと自壊しています。そこで、彼らは自誓受戒を行ったのは、当時の律宗が律学上混迷していたことを示すものといえ、だからこそ、志有る僧は、「常喜院」という塾を作って学んでいったのでしょう。だとすれば、彼らは「自誓受戒」の条件に、正しく菩薩戒の作法を受け継ぐ人、または、正しく通受を受けさせてくれる人、或いは、菩薩戒を正しく実践している人、等を考えていた可能性があります(この辺、勉強不足なので、今後学んでいこうと思っております。今はまだ推測です)。
『梵網経』を始めとする「戒律」は、時代や場所によって、当然護持の方法も異なるものであり、それ故、様々な事例こそが非常に大事であるといえます。この事例を、一種の「範例(或いは判例)」とすることで、我々の護持の仕方に典拠と根拠を与えることが可能になるのです。そのためにも、こういう情報を徹底的に集めて、テキスト化していく必要を感じます。それとも、或いは既に、どこかの先生がやっていて下さったりするのでしょうかね・・・?
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