拙僧、普段研究所で勤務している時には、いわゆるスーツ姿なわけですけれども、たまに坊主服でもって、出勤したりします。そうすると、スーツ姿では、絶対に起こり得ないような様々な事態に遭遇するので、それが楽しかったりします。昨年、或る用事があり、坊主服にて北陸方面に行ったときのこと、昼食を摂っていなかったので、空港にある「うどん・そば屋」ででも食べようと、「きつねうどん」を食べていたところ、通りがかった或る人から、「坊主がソバ食ってる」といわれて悪目立ち・・・
いやまぁ、食べていたのはうどんでしたが、そんなことはどうでも良くて、なんだって、そこに注目してしまうのか?そんなに坊さんって珍しいんでしょうかね?それに、「坊主がソバ食ってる」という暇があるのなら、例えば、「その一杯は、私に布施させてください」とか、そういう対応になっても良さそうです。とはいえ、そんな想いを催すだけの、オーラか何かが足りなかったのでしょうか。まぁ、そんなモノはなくても良いのですが。僧侶を批判する日本の“自称仏教徒”は多いですが、その中に、在家信者に相応しい行動を取る人はほとんどいないという哀しい現実を物語っています。
日本で、「在家信者」っていうと、「在家のままで自分で勉強する人」というカテゴリーばかりが宣伝されて、「布施をする人」というカテゴリーがないのですが、今の日本の僧侶が、なるほど「本来の出家者」でないのと同じ、いやそれ以上に、そういう在家信者は「本来の在家者」ではないですね。
正直なこと申し上げちゃいますけどね、僧侶が高級車を乗りこなしている、と批判する暇があるのなら、僧侶に対して、車に乗らなくても良いように、自分が運転する車に乗せて、仕事を手伝うくらいでなくて、どうして在家信者といえようか?結局、そういう在家信者に相応しい行いをしてこなかったから、僧侶が仕方なく自分で車を用意して、それで乗るしかないわけでしょう。
よって、僧侶を批判する人がいても、その内容は「お門違い」も良いところです・・・とか言い過ぎると、またワケの分からない批判コメントを「放言」する輩が出てくるから、この辺にしておきますかね。拙僧がこんなことをいうのは、批判し合うことが目的ではなくて、良いところで折り合いを付けることが目的なので。
さて、以前、或る先輩僧侶の方から、街中を僧侶の格好をして歩くことに、もうちょっと積極的になるべきだ、という見解を頂戴したことがあります。それは、先に挙げたような「悪目立ち」1つにしてみても、僧侶の格好をしていたから、初めてそういう反応が起きたのであり、その意味では、こういう反応を通して、世の人に、すぐ近くにいる僧侶の存在を覚知させ、その上で仏教の教えをもたらしていくべきだという考えがあるわけです。
その意味に於いては、どうしても、スーツを始めとした略衣であることも多く(まぁ、『律』的にはマズイのでしょうが、これもまた1つの変容でしょう)、よって、僧侶の格好をして人前に出ることが、自分の寺だけになってしまうという問題はあるわけです。この辺、色々と拙僧自身の気持ちを変えていくべきかもしれませんね。拙僧は、今から10年以上前、或る病気をしまして、1ヶ月ほど入院していたことがあります。
その時、或る検査を受けるために、別の病棟に向かったのですが、途中で作務衣姿の僧侶に会ったのです。正直、「うわっ?!」と思いました。無論、拙僧自身、その時には出家を済ませていましたが、そこまでの自覚は無かったのでしょう。やや「引いて」しまいました。後で、その僧侶が、拙僧の親戚だと知った時には、微妙な感じになりましたが・・・しかし、そういう経験があったためか、入院の後で検査に行くとき、敢えて僧侶の服装で行ったことがあります。この時の、病院受付の女性が拙僧に向けた顔は今でも忘れません。
本当に、「何しに来やがった」的な敵意を出した顔。確かに、場違いかもしれませんけど、拙僧自身患者ですからね。よって、堂々と受付を済ませ、そのまま先生のいる部屋に向かったんですけど、その主治医は何てこともなく「何?仕事?」とかいってましたっけ(笑)
なお、拙僧自身、僧侶の格好をしながら街を歩くと、その都度に新鮮な経験をいたします。これが、「新鮮」ではなくなる程度に到らねばならないと思うのですが、未だに「新鮮」です。とっくに慣れてはいるのですが、拙僧、人間観察が好きなので、拙僧のそういう姿を見て、どういう反応をするかが気になるのです。その点が新鮮です。でも、僧侶に出会ったからって驚く一般の方もまた、まだまだですよね。
そういえば、秋葉原に僧侶の服装で行ったことがあったんですよ。その時は、コスプレと勘違いされてか?警察に質問されましたけど(笑)いや、拙僧、一般の僧侶ですので。後、マクドナルドで会議をするっていうので、やっぱり僧侶の格好で入っていきましたが、スマイル0円のはずが、微妙な引きつり笑顔(笑)
なんでしょう?「別の宗教」だったんでしょうかね。
などなど、これからも、こういう楽しみがあるので、街中を歩いてみたいとは思いますが、大変なのが、とにかくトイレと食事です。最近、駅では、身障者用の多目的トイレがあるので、そこでしますけど、無い場合にはちょっと困ります。それから、食事については、宗教の多元性を認めるのであれば、是非、僧侶の生臭を揶揄する前に、精進料理を出す「吉野家」「すき家」とか、精進料理を出す「マクドナルド」「餃子の王将」があっても良いとは思うんですけどね。とりあえず、社会は厳しいものですよ。
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いやまぁ、食べていたのはうどんでしたが、そんなことはどうでも良くて、なんだって、そこに注目してしまうのか?そんなに坊さんって珍しいんでしょうかね?それに、「坊主がソバ食ってる」という暇があるのなら、例えば、「その一杯は、私に布施させてください」とか、そういう対応になっても良さそうです。とはいえ、そんな想いを催すだけの、オーラか何かが足りなかったのでしょうか。まぁ、そんなモノはなくても良いのですが。僧侶を批判する日本の“自称仏教徒”は多いですが、その中に、在家信者に相応しい行動を取る人はほとんどいないという哀しい現実を物語っています。
日本で、「在家信者」っていうと、「在家のままで自分で勉強する人」というカテゴリーばかりが宣伝されて、「布施をする人」というカテゴリーがないのですが、今の日本の僧侶が、なるほど「本来の出家者」でないのと同じ、いやそれ以上に、そういう在家信者は「本来の在家者」ではないですね。
正直なこと申し上げちゃいますけどね、僧侶が高級車を乗りこなしている、と批判する暇があるのなら、僧侶に対して、車に乗らなくても良いように、自分が運転する車に乗せて、仕事を手伝うくらいでなくて、どうして在家信者といえようか?結局、そういう在家信者に相応しい行いをしてこなかったから、僧侶が仕方なく自分で車を用意して、それで乗るしかないわけでしょう。
よって、僧侶を批判する人がいても、その内容は「お門違い」も良いところです・・・とか言い過ぎると、またワケの分からない批判コメントを「放言」する輩が出てくるから、この辺にしておきますかね。拙僧がこんなことをいうのは、批判し合うことが目的ではなくて、良いところで折り合いを付けることが目的なので。
さて、以前、或る先輩僧侶の方から、街中を僧侶の格好をして歩くことに、もうちょっと積極的になるべきだ、という見解を頂戴したことがあります。それは、先に挙げたような「悪目立ち」1つにしてみても、僧侶の格好をしていたから、初めてそういう反応が起きたのであり、その意味では、こういう反応を通して、世の人に、すぐ近くにいる僧侶の存在を覚知させ、その上で仏教の教えをもたらしていくべきだという考えがあるわけです。
その意味に於いては、どうしても、スーツを始めとした略衣であることも多く(まぁ、『律』的にはマズイのでしょうが、これもまた1つの変容でしょう)、よって、僧侶の格好をして人前に出ることが、自分の寺だけになってしまうという問題はあるわけです。この辺、色々と拙僧自身の気持ちを変えていくべきかもしれませんね。拙僧は、今から10年以上前、或る病気をしまして、1ヶ月ほど入院していたことがあります。
その時、或る検査を受けるために、別の病棟に向かったのですが、途中で作務衣姿の僧侶に会ったのです。正直、「うわっ?!」と思いました。無論、拙僧自身、その時には出家を済ませていましたが、そこまでの自覚は無かったのでしょう。やや「引いて」しまいました。後で、その僧侶が、拙僧の親戚だと知った時には、微妙な感じになりましたが・・・しかし、そういう経験があったためか、入院の後で検査に行くとき、敢えて僧侶の服装で行ったことがあります。この時の、病院受付の女性が拙僧に向けた顔は今でも忘れません。
本当に、「何しに来やがった」的な敵意を出した顔。確かに、場違いかもしれませんけど、拙僧自身患者ですからね。よって、堂々と受付を済ませ、そのまま先生のいる部屋に向かったんですけど、その主治医は何てこともなく「何?仕事?」とかいってましたっけ(笑)
なお、拙僧自身、僧侶の格好をしながら街を歩くと、その都度に新鮮な経験をいたします。これが、「新鮮」ではなくなる程度に到らねばならないと思うのですが、未だに「新鮮」です。とっくに慣れてはいるのですが、拙僧、人間観察が好きなので、拙僧のそういう姿を見て、どういう反応をするかが気になるのです。その点が新鮮です。でも、僧侶に出会ったからって驚く一般の方もまた、まだまだですよね。
そういえば、秋葉原に僧侶の服装で行ったことがあったんですよ。その時は、コスプレと勘違いされてか?警察に質問されましたけど(笑)いや、拙僧、一般の僧侶ですので。後、マクドナルドで会議をするっていうので、やっぱり僧侶の格好で入っていきましたが、スマイル0円のはずが、微妙な引きつり笑顔(笑)
なんでしょう?「別の宗教」だったんでしょうかね。
などなど、これからも、こういう楽しみがあるので、街中を歩いてみたいとは思いますが、大変なのが、とにかくトイレと食事です。最近、駅では、身障者用の多目的トイレがあるので、そこでしますけど、無い場合にはちょっと困ります。それから、食事については、宗教の多元性を認めるのであれば、是非、僧侶の生臭を揶揄する前に、精進料理を出す「吉野家」「すき家」とか、精進料理を出す「マクドナルド」「餃子の王将」があっても良いとは思うんですけどね。とりあえず、社会は厳しいものですよ。
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