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本当に道元禅師の言葉?「山僧活計茶三畝 漁夫生涯竿一本」

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以前から何度か類似したような記事をアップしているので、「あぁ、またか?」と思われる方もおられるでしょうが、今度のも或る言葉が道元禅師に仮託されて採り上げられている場合があったので、批判的に検討してみます。

山僧活計茶三畝 漁夫生涯竿一本

こちらの言葉です。訓読すれば、「山僧、活計す茶三畝、漁夫生涯、竿一本」ということで、僧侶である私は、茶三畝のみがあれば生活でき、漁夫も生涯に竿一本があれば生活できる、という或る種の枯淡な生活を意味しているようです。確かに、禅僧風ではありますが、道元禅師の教えに契うか?というと、なるほど、若い30代の頃に説かれた『正法眼蔵随聞記』は該当するかもしれませんが、晩年の教えには、流石にここまでの枯淡さは見えないように思います。

ということで、以前、或る御寺院様から、道元禅師がお茶について説いた説法があり、それを、有名な某“元編集者”が自著に引いたそうで、それで問い合わせがあったのを思いだしたのですが、これだったようで、だとすれば、拙僧の今の見解では、道元禅師の教えでは無い、といえます。

ところで、この字句ですが、「竿一本」の場合と、「竹一竿」という場合があるようです。岩波文庫『禅林句集』では「竹一竿」で出ていますが、出典を挙げておりません。また、臨済宗相国寺派・有馬?底老師監修『茶席の禅語大辞典』(淡交社)では、『四朝高僧伝』を出典だと指摘しています。

そこで、『四朝高僧伝』とは、正式な書籍名ではなくて、中国で編集された四本の高僧伝を総称したものです。その四本ですが、中国の、梁王朝・唐王朝・宋王朝・明王朝の四つの王朝が該当しており、よって、『四朝高僧伝』と呼びます。この四本共に、『大正新修大蔵経』に収録されておりますので、検索等を用い検討しましたが、該当用語は確認できませんでした。後は、有馬老師と相国寺派様にお問い合わせするしかないのかもしれません。

それにしても、またネット上で、このような出典が曖昧な言葉を、道元禅師に仮託してしまっているので、それが何とも不思議でなりません。もちろん、どこかには、その最初の1回目があるのかもしれませんが、ネットで拡散してしまいますと、それを探るのも大変です。

それこそ、先日の彼岸会中に、【続・或る彼岸の句について】という記事で、松尾芭蕉の俳句だともされていた「今日彼岸 菩提の種を まく日かな」について、書誌学的考察も行いましたが、その結論はまた後日申し上げます。

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