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今日は釈尊降誕会(花まつり)です(平成25年度版)

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今日4月8日は、仏教を開かれた御釈迦様がお生まれになった日であると、日本仏教では伝えており、一般的には「花まつり」と呼ばれています。我々曹洞宗では、「仏誕会」とか「釈尊降誕会」とか呼ばれており、また、その儀式の内容から、「灌仏会」「浴仏会」などとも呼ばれています。

この「灌仏会」ですが、要するに釈尊がお生まれになり、すぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と仰ったご様子を像にした「誕生仏像」に、甘茶をかける儀式、ということになります。儀式の内容は、以下の通りです。

  仏誕生会行法〈伝供出班上香、三仏二祖、倶に同じ〉
 前日に浴仏の偈、二牌、大光柱に掛く。共に初句を内にすべし。率銭七文は、三仏二祖同じ。仏壇に華亭を荘厳す。七日の粥時、維那遍槌の後、又一下云く、「謹白大衆、粥罷普請、採華荘厳仏龕。諸寮清衆、斉聞鐘鼓声、集殿前。謹白(謹んで大衆に白す。粥罷普請、華を採りて仏龕を荘厳せん。諸寮の清衆、斉しく鐘鼓の声を聞きて、殿前に集まりたまえ。謹んで白す)」と。堂内・堂外を巡堂一匝し、当面に問訊して帰位。粥罷に諸寮の鼓版、一時に一会。大開静と同じ。大衆、直裰・五條・手巾、たすき、各おの小刀を持ちて殿前に集まる。各々手をわけ花をつみ、龕を荘厳し了って壇に安じ、内に香湯盆を置きて誕生仏を安じ、二小杓をそえ、前卓に供具に列す。

 当日、早晨献粥。禺中に諸供物器を便宜の処に打調し、鳴鐘集衆、両序分班対立す。維那は、右班の末に立つ。住持は、法衣を著て入殿。両序、問訊す。住持、中間に揖し、〈これより伝供の式は、維那、『大悲呪』を微音に挙す。大衆、和して、微音に念ず。磬を打せず。楽奏は、初めに銅鑼一声、次に鳴鼓二声、次に鳴鈸二声。また銅鑼にかへる。住持、九拝了って、収具の時やむ〉進んで、上香三拝。この時、焼香侍者、香合を香炉の東に置きて、直に知事の方の柱の辺に立つ。住持、拝して坐具を収めず。

 請客侍者、先ず湯器を托し、知事の下位に渡し、また鉢食を托し、頭首の下位に渡す。〈伝供の人、共に額上に捧げて、気息を触れざれ〉下位、少し転身問訊し、接して捧げば、侍者は渡し了って、問訊し退く。中位・上位かくの如し。両方一時に上首に到るとき、知事の上首、まず湯器を住持にわたす。住持、像にむかい、至心に献じ了って、焼香侍者にわたし、像前に安ず。頭首の上位、鉢食を渡すも同じ。接し交す。互いに問訊す。焼香侍者、安じ了って、住持、退身三拝す。又た進前上香し、菓子・嚫金・上茶、逓伝を待ちて、備え了って三拝。坐具を収め〈二祖はこの時、特為茶あり。三仏には無し〉、衣角を整えて立つ時、侍者、大香を進む。住持、拈香法語〈三仏会に、粥後、上堂祝香あれば、ここの法語無し〉。進みて従香を焼き、位に帰りて揖す〈出班上香、無ければ、この揖の時、打磬、維那挙経す〉。了って退身する時、両序も揖して退身。北面して立つ。退身は、下位より引く。

 〈これより出班上香〉鳴鈸行者、両人、仏前の左右に分立す。先ず右の甲鈸二下。維那、両序・大衆に揖す。続いて甲乙共に、同時に鳴らし、維那、叉手して、仏前に到り、柱前に南面して、偏立するを見て止む。次に甲鈸二下。維那、一両歩進みて住持を揖す。住持、答揖して、維那退身。時に甲乙同時に鳴らすこと、先の如し。住持、上香し、位に復する時やむ。次に鳴鈸、両序の上位、次に中位、次に下位。其の式、先に同じ。叉手出班、合掌帰位は常例なり。下位の時、維那、同じく焼香し、位に帰りて、大衆九拝を唱う。堂司行者、手磬にて節す。了って上首より引きて、先の如く分班対立。

 次に宣疏、維那出班、住持に問訊し、仏前に進みて、疏を取りて位に帰りて宣読す。「右伏」にて、住持、展坐具跪坐す。焼香侍者、進合し、請客侍者、渡炉す。維那、読み了って、疏を本処に安じ、又た住持に問訊帰位す。住持、収具。又た進前焼香帰位の時〈二祖はこの時、十仏名あり〉、大磬三声。維那、浴仏偈を挙す。三句に住持進みて焼香。杓を取りて浴仏帰位して揖す。次に両班二位、相い揖して焼香、二杓を取りて一時に浴仏し、揖して帰位す。偈三返に、両班浴仏了って、維那、啓唱を挙す。

 住持、傍らにて、法衣を七條に替える。楞厳遶行、常の如し。三仏会は、啓唱に「南無本師釈迦牟尼仏」を挙す。疏あれば回向短文なり。〈二祖は回向了りて、後唄あり〉十仏名・後唄等、三仏には無し。遶行は、排立並びに遶りて、本位に帰る。乱りて、戒臘行道すべからず。下皆同じ。
    面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』巻4・仏祖会行法

全体の解説を行いましょう。

まず、前日(4月7日)の準備ですが、「浴仏の偈」を仏殿(本堂)内の柱に掛けます。これは、法要の途中で、浴仏を行う際に、維那を主唱としてお唱えするものです。なお、以下の二種が知られています。

稽首大聖薄伽梵 天上天下両足尊
我等今以功徳水 灌浴如来浄法身
   瑩山紹瑾禅師『瑩山清規』「年中行事」

これが、今現在も曹洞宗で用いられている浴仏の偈になります。しかし、中国で作られた清規では、以下の偈も知られています。

我今灌沐諸如来 浄智荘厳功徳聚
五濁衆生令離垢 同証如来浄法身
   『勅修百丈清規』など

ほぼ同じですが、瑩山禅師が「天上天下唯我独尊」の故事などを受けつつ、釈尊を讃える内容であるのに対し、中国のは功徳をとにかく強調する内容となっています。この辺は、儀式全般に対する捉え方などにも繋がってくるのかもしれません。

それから前日7日の粥罷(朝食後)には維那の号令によって、大衆が、直裰・五條・手巾・たすきなどを着け、各々が「小刀」を持ちて仏殿前に集まり、花を摘んで、花御堂を荘厳しています。内には香湯盆を置いて誕生仏を安じ、二小杓をそえる辺りは、現在と変わりません。

8日当日ですが、早晨には献粥の法要を行います。御釈迦様に朝ご飯を召し上がって戴くものです。

そして、禺中(午前10時頃)に、寺院にいる全ての僧侶が仏殿(本堂)に集まり、釈尊降誕会の儀式を行うのです。まず、御釈迦様にお供え物を献じます。「伝供の式」といいますが、江戸時代にはこの間、『大悲心陀羅尼』を微音で唱えたようで、磬は打たずに、銅鑼一声、鳴鼓二声、鳴鈸二声、銅鑼・・・という楽奏が入りました。

更に、この時の伝供の式ですが、侍者がまず湯器を知事の下位に渡し、また鉢食を托し、頭首の下位に渡します。各々徐々に上位に渡していき、最後には、住持に渡ります。住持は至心に献じ終わると、身を翻して拝席で三拝します。その後、また進前上香し、後は、菓子・嚫金・上茶、逓伝などをお供えします。これを3回繰り返して、合計九拝に及んだ時、伝供の式が終わります。

そして、御釈迦様の誕生を讃える法語を唱えられるのですが、江戸時代には、「粥後、上堂祝香あれば、ここの法語無し」とあるように、この法語はあくまでも、上堂の代わりとして行われています。以前から、同じ法要で、疏と法語が両方ある意味が不明でしたが、これだと分かります。

終わって、出班上香になります。これは、道元禅師の時代から行われているもので(『正法眼蔵』「安居」巻参照)、両班に立つ僧が、一旦大間の下座に下がり、そこから導師を先頭に、順番に前に出て焼香を行います。

それから、疏といって、御釈迦様の誕生を讃える表が、維那によって唱えられます。

それが終わると、維那が「浴仏の偈」を唱えます。これにより、住持を先頭に、両班の僧達が、順番に花御堂に進んで、誕生仏の頭から甘茶(香水)をかけます。今は甘茶を用いますが、かつては香水を用いていました。その作り方は、『瑩山清規』に詳しいです。

殿主は五木を聚採して、暁更に煎じ、浄鉢に取り入れて浴仏を立てるべし。〈中略〉五木は、桃・李・松・栢・柳なり。其の外に名香、これを加うべし。

このようにあります。五本の木を取ってきて、それを煎じ、更に名香(沈香など)を加えて薫り高い湯を作ったのです。確かに、道元禅師の教えを見ても、「香水洗頭し、老兄を浴す」(『永平広録』巻1-98上堂)のようにされていますので、香水にて頭から洗うことになっているのです(仏伝では、九頭の龍が口から吐いたという)。

さて、ここまで進むと、後は、住持は法衣を九條から七條に替え(どうも、宣疏と諷経とを分けていたようです)、『楞厳咒』をお唱えします。いわゆる諷経ということになります。回向を唱え、後は三拝して、大衆は散堂します。

だいたいは、このような流れになっております。今日、皆さまも各地の御寺院に行かれて、花まつりのご供養をされたと思います。無論、ここ数日で行われることもありますので、是非、興味のある方は、一緒に御釈迦様のお誕生日をお祝い下さい。南無釈迦牟尼仏。

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これまでの読み切りモノ〈曹洞宗9〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

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