「見掛け戒臘」という概念がある。とりあえず、以下の文章をご覧頂きたい。
衆僧戒臘のこと、諸方にて結制に出初めの戒臘を用い、亦たは会下戒臘とて、掛塔の前後にて、坐位の高低を定め、或る所には、見掛け戒臘など云う様なこともあれども、本法は受戒の前後を以て、坐位を高下するが、梵網経の聖訓なり。洞下は、永平祖師の家訓にて、剃髪の時、大乗戒の血脈を授かって、皆な菩薩僧なれば、剃髪戒臘が、祖意に叶うなり。出家の戒臘は、俗人の年齢と同じき道理にて、俗人の一日も先に生まれしが兄にて、半日もおそく生まれしが弟と云う様に、仏子と云うより見れば、一日も先に剃髪受戒のものは法兄にて、半時も後は法弟なり。
面山瑞方師『僧堂清規』巻5
これは、本来僧堂の被位・坐位などは全て、受戒をした順番でもって定めるべきであるのに、結制などではその修行道場に来た順番でもって、坐位の高低を定め、これを「見掛け戒臘」というという風に批判されている。面山師の批判は現代にも及び、現代でもこの「見掛け戒臘」でもって各僧堂の安居者が前後・上下を定められている。
さて、このような見掛け戒臘が出て来た理由は大体想像出来るのだが、各修行道場に於ける人員の固定化によって、自ずと出来上がっていたヒエラルキーが、新たに来た高戒臘者によって混乱させられることへの抵抗があったのだろうと推定される。そして、これを元々僧堂に於ける被位・坐位については、これを許容するだけの柔軟性があったのだろうとも思われるのである。
粥飯の坐位、或いは戒臘の資次に依り、或いは掛搭の前後に由り、或いは被位の在処に依る。但し安居の間は、必ず戒臘の資次に依る。
道元禅師『赴粥飯法』
これは、「粥飯の坐位」とあるように、僧堂内にて飯台を修行する際に、坐る順番を意味しているが、基本を「戒臘順」とはしているものの、「掛搭の前後」や「被位の在処」など、他の順番を採ることも許容しているわけである。もちろん、「安居」の間は、必ず戒臘順になることを説いてはいるが、現在のように、「安居」の意がやや緩んでしまっている状況であると、もちろん、制中・解間は自覚されているが、結果的に、道場に入った時から修行というイメージが醸成されてしまう可能性はある。
そういう中で、戒臘順なのか?掛搭の前後なのか?が曖昧となり、結果的に「見掛け戒臘」が幅を利かすことになるわけだ。無論、その理由は、僧堂に於いて、継続的に運営されていくとすれば、長年一所にいる僧を重視する方が、色々と楽だからである。或いは、楽になるように期待する場合があったといえる。
だが、面山師が先に引いた一文で述べるように、受戒の前後をもって、坐位を定めるのが基本であり、「見掛け戒臘」は重視されてはならない。とはいえ、今の場合では、出家得度をしても、実質的には受戒したという以上の意味は無く、修行が各僧堂での掛搭でしか実現されないイメージがあるため、仕方ないといえば仕方ない。だが、実際には各寺院に於ける日常もまた、修行なのである。修行内容をひたすらに高く設定する人にとっては許容出来ないかもしれないが、実際には作務・檀務・寺務が行われる各寺院こそが修行である。檀信徒の護持、寺院の護持を目的に行われることが、同時に仏法僧の三宝を護るわけだから、これは疑いようがない。
我々は未だに、道元禅師が中国で阿育王山の典座和尚に向かって聞いた、「如何なるか是れ弁道」の疑問を正しく理解出来ていないのではないだろうか。同じく、典座和尚の返答「遍界不曾蔵」も正しく理解出来ていないのではないだろうか。この辺を正しく会得し、現状の滞累を突破するだけの理論と、実践とが求められているような気がしている。
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衆僧戒臘のこと、諸方にて結制に出初めの戒臘を用い、亦たは会下戒臘とて、掛塔の前後にて、坐位の高低を定め、或る所には、見掛け戒臘など云う様なこともあれども、本法は受戒の前後を以て、坐位を高下するが、梵網経の聖訓なり。洞下は、永平祖師の家訓にて、剃髪の時、大乗戒の血脈を授かって、皆な菩薩僧なれば、剃髪戒臘が、祖意に叶うなり。出家の戒臘は、俗人の年齢と同じき道理にて、俗人の一日も先に生まれしが兄にて、半日もおそく生まれしが弟と云う様に、仏子と云うより見れば、一日も先に剃髪受戒のものは法兄にて、半時も後は法弟なり。
面山瑞方師『僧堂清規』巻5
これは、本来僧堂の被位・坐位などは全て、受戒をした順番でもって定めるべきであるのに、結制などではその修行道場に来た順番でもって、坐位の高低を定め、これを「見掛け戒臘」というという風に批判されている。面山師の批判は現代にも及び、現代でもこの「見掛け戒臘」でもって各僧堂の安居者が前後・上下を定められている。
さて、このような見掛け戒臘が出て来た理由は大体想像出来るのだが、各修行道場に於ける人員の固定化によって、自ずと出来上がっていたヒエラルキーが、新たに来た高戒臘者によって混乱させられることへの抵抗があったのだろうと推定される。そして、これを元々僧堂に於ける被位・坐位については、これを許容するだけの柔軟性があったのだろうとも思われるのである。
粥飯の坐位、或いは戒臘の資次に依り、或いは掛搭の前後に由り、或いは被位の在処に依る。但し安居の間は、必ず戒臘の資次に依る。
道元禅師『赴粥飯法』
これは、「粥飯の坐位」とあるように、僧堂内にて飯台を修行する際に、坐る順番を意味しているが、基本を「戒臘順」とはしているものの、「掛搭の前後」や「被位の在処」など、他の順番を採ることも許容しているわけである。もちろん、「安居」の間は、必ず戒臘順になることを説いてはいるが、現在のように、「安居」の意がやや緩んでしまっている状況であると、もちろん、制中・解間は自覚されているが、結果的に、道場に入った時から修行というイメージが醸成されてしまう可能性はある。
そういう中で、戒臘順なのか?掛搭の前後なのか?が曖昧となり、結果的に「見掛け戒臘」が幅を利かすことになるわけだ。無論、その理由は、僧堂に於いて、継続的に運営されていくとすれば、長年一所にいる僧を重視する方が、色々と楽だからである。或いは、楽になるように期待する場合があったといえる。
だが、面山師が先に引いた一文で述べるように、受戒の前後をもって、坐位を定めるのが基本であり、「見掛け戒臘」は重視されてはならない。とはいえ、今の場合では、出家得度をしても、実質的には受戒したという以上の意味は無く、修行が各僧堂での掛搭でしか実現されないイメージがあるため、仕方ないといえば仕方ない。だが、実際には各寺院に於ける日常もまた、修行なのである。修行内容をひたすらに高く設定する人にとっては許容出来ないかもしれないが、実際には作務・檀務・寺務が行われる各寺院こそが修行である。檀信徒の護持、寺院の護持を目的に行われることが、同時に仏法僧の三宝を護るわけだから、これは疑いようがない。
我々は未だに、道元禅師が中国で阿育王山の典座和尚に向かって聞いた、「如何なるか是れ弁道」の疑問を正しく理解出来ていないのではないだろうか。同じく、典座和尚の返答「遍界不曾蔵」も正しく理解出来ていないのではないだろうか。この辺を正しく会得し、現状の滞累を突破するだけの理論と、実践とが求められているような気がしている。
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