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しぶとくメディア化する「拙僧」

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まぁ、今更ながらに自分自身の「権利」などを主張しても意味はないのだが、拙僧自身ではこのブログの運営に際し、【当ブログに於けるコメント・トラックバック・リンクの見解など】という規定(自己規定)を設けて、その上で運営をしている。詳しくは、それをご覧いただければ良いと思うのだが、その中でも拙僧が特に留意していただきたいのは、次の一節である。

当ブログの本文及びコメントの全てについて、これらは拙僧が所属している、あらゆる組織・団体とは無関係であり、それらの組織・団体の見解を反映したものではありません。あくまでも拙僧自身の自己責任に於いて書かれているものです。文面に気に入らないものがあったとしても、それらの団体に抗議しても、それらの団体は拙僧自身の発言を止める権利を有していないので、直接拙僧自身にお伝え下さい。

実際のところ、確かに拙僧自身は、曹洞宗という宗派の一僧侶ではあるが(もっとも、ネット上ではそれを確認する手段はない)、しかし、その言論の自由を、宗門によって規制されるということはない、少なくとも、拙僧自身は宗門批判をするつもりが無いので尚更である。拙僧は可能な限り、『曹洞宗宗制』にしたがって、その中で発言をしているに過ぎない。よって、『宗制』の性格上、出家者に好意的な発言に終始することになる。というか、そもそも『宗制』が無くても、拙僧は和合衆である仲間たる僧侶を攻撃することはない。

にもかかわらず、もし、曹洞宗の宗務庁などに対し、拙僧の発言について告げ口した者が出たとしたらどうだろう?まぁ、おそらく拙僧自身の発言は、何も変わらない。というか、誰にも変える権利はない。変えたければ、自分自身の全てを賭けて、拙僧自身に挑むしかないのである。

ところで、先日もまた、拙僧のことを「暗禅の法師」だと決めつける、おそらくは『法華経』信者とおぼしき人から、「原始仏教」に関する御指摘を頂戴した。拙僧、自分では原始仏教などについて、素人と大して変わらないと思っているから、最初こそ、その方の御指摘については、部分的に納得しつつ、疑問点をコメントしていたのだが、次第にそのような遣り取りに“絶えられなくなった”のか、拙僧に対して、先の如く「罵倒」し、更に、意味不明な「学説」とやらを持ち出してきた。その詳細は控えるけれども、正直、かなり怪しいものである。この「学説」なんて、「創●大学」でしか適用されないんじゃないか?とまで思えるほどだ。

拙僧も、今の大乗仏教の教えの全てが、後に作り出されたなんて信じてはいない。大乗に通じるような釈尊の言説があるのも知っている。一例だが、「空性」についても、それを専門に説く経典がある(ただし、大乗の「空」とは、若干意味合いを異とするようで、その点は龍樹菩薩が『大智度論』巻37にて指摘する)。しかし、今の「大乗経典」は、明らかに後代の者が造ったテキストだ。その意味で、拙僧は、「大乗経典は、歴史的には非仏説だが、拙僧の信念からすれば、大乗経典こそが仏説でなくてはならない」という態度に立っている。

どうやら、こういう態度が、酷く曖昧なものに見えたのか?先の者の罵倒に到るということになる。ところで、その者とのコメントは、先のリンク先の「コメント投稿規定」に違反したので、削除(精確には非公開に)した。そうしたら、その者は何を勘違いしたのか、拙僧が、拙寺の檀信徒などに対して、顔向けできないから削除したといい、自分は拙僧を論破したと主張するのである・・・

拙僧、いつものことだが、コメントでは、相手を論破するためというよりも、議論を終わらせることを目的にするので、勝った負けたという論争については、余り興味がない。そもそも、以前に【仏教宗派間対話の困難さについて】という記事も書いているが、学者・研究者でもなければ、仏教に於いて「事実性」を争ったところで意味は無い。むしろ、自分がどのように信じているかを話さねばならないし、その結果は、お互い自らの信仰を確認することになるだけであろう。よって、拙僧つらつら鑑みるに、信念に勝負をかけても無駄である。両者にとって時間の無駄である。だから、拙僧は、議論が立て込んでくると、それを打ち切ってしまう。特に、意固地になって自説を通そうとしているような人が相手なら尚更だ。

ところが、今回の相手は、そのようなことも気に入らなかったようで、メールを寄せてきたわけだ。ただ、その者が指摘しているような、拙僧が拙寺の檀家さんに顔向けできなくなったかどうかについては、正直、全くもって顔向けできてしまう。理由は簡単で、このブログについて、拙僧は檀家さんに教えていないからだ。無論、意図的に隠しているのではなくて、話す必要が無いので、話していないだけのこと。つまり、このブログは、拙寺の紹介ブログではないし、ただ、拙僧自身の興味あることを好き勝手書いているに過ぎない。時には学び、時には笑い、そして時には悲しむ。ただその繰り返しが、拙ブログの真相である。よって、このブログを攻撃したいという者がいたとして、ではその結果どうなるか?といえば、多分、何にも変わらない。拙僧は勿論、拙寺も変わらない。拙僧が所属する様々な組織も何の影響も受けようがない。

正直なところ、そういう白黒付けることで、自分の何かを満足させたいような人は、某巨大掲示板なり、某SNSなりに行って「同好の士」でも見付けた方が良いように思う。残念ながら、拙僧ではそういう勝負事の満足はさせられない。ほぼ確実に、白黒付けるようなことそのものを問い、意図を瓦解させてしまうからだ。

ところで、拙僧の事情はこのようなものであり、全部ではないが、その対論者には、そのことを伝えたのだが、どうやら信じようとしていないらしい。拙僧は議論で負けたので、コメントを隠したとばかり思い込んでいる・・・これくらい思い込みが強い者が、果たして、原始仏教のことを正しく理解できるのだろうか?拙僧には、それが謎として残る。ただ、時間がないので、その謎の解決について詳しく考えてはいない。

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