何の気なしに手に取ってみた山田史夫氏の『絶望しそうになったら道元を読め!』(光文社新書、2012年2月)なんですが、読み始めてすぐに、ちょっと残念な印象が・・・
著者の山田氏、道元禅師について、このような理解をしています。
「教化と著述に没頭」したのち、京都にて示寂。享年五十四。これを書いているわたしの歳とさほどちがいません。早世といいたくなりますが、道元自身は「いたづらに百歳いけらんは、うらむべき日月なり、かなしむべき形骸なり」(『正法眼蔵』(一)「行持」上・岩波文庫・三三〇頁)といっています。ムダに長生きしてもしょうがない、と。
前掲同著、26頁
あぁ・・・かなり残念な文章ですね。「行持」巻の一節のみを以て、道元禅師の「早世」を肯定しようとしていますが、これは果たして許されるのでしょうか?実は、これは特に晩年に入ってからだと思いますが、道元禅師は自らの成仏を願って教説を再構築した感があるのです。その内、この「早世」については、否定的に捉えています。
師子尊者・二祖大師等、悪人のために害せられむ、なむぞうたがふにたらむ。最後身にあらず、無中夭の身にあらず、なむぞ順後次受業のうくべきなからむ。
12巻本系統『正法眼蔵』「三時業」巻
これは、かつて人生半ばで殺害された師子菩提尊者や、太祖慧可など、その事実を挙げて、歴代の祖師であっても、「最後身」では無いし、「無中夭」の身でも無いとしています。逆に言えば、道元禅師は晩年、この「最後身の菩薩」や「無中夭」であることに一定の宗教的意義を認めているのです。それは、それくらい素晴らしい条件を備えるくらいでないと、成仏出来ないと考えたためです。
近代以降の様々な検討の中で、曹洞宗に於いてどのような「成仏論」を展開させるかは、大きな議論にもなりましたが、結局、「坐禅成仏」が説かれ、坐禅している様子がそのまま仏であるなどともいわれました。同じく、『修証義』を中心に「宗意安心」を考えた場合には、「受戒」が主なテーマであることから「受戒成仏」が説かれ、授戒会の盛行へと繋げていくわけです。ところが、これらはともに、後になって特定の行に、一定の宗教的意味を持たせることによって、成仏と繋げているだけなのです。しかも、その根底には、「本来成仏論(本覚思想の一亜種)」があります。
我々衆生とは、元々仏の存在なのだが、そのままでは仏であると自覚されないので、その本来仏であるのに相応しい修行をしよう、というのが発端です。よって、出家者は坐禅をすれば良いし、在家者は戒を受ければ良い、という話になるのです。道元禅師も若い頃は、「本証妙修」的文脈を用いていますので、もちろん、これらの流れに入っていたと見て良いわけですが、晩年は「本証妙修」的文脈は後退し、どこまでも、「深信因果・積功累徳」として、一歩一歩仏に近付き、数回の生まれ変わりを経て、そして仏と号することが可能だと考えていました。
そして、特に後1回の人生を過ごせば仏に成ることが出来る「一生補処菩薩」と、この人生で成仏出来る「最後身の菩薩」の2つは、「中夭(早死や不慮の死)」が無いというのです。それを一定認めている以上、道元禅師は「長生きはムダ」と考えていたと出来るでしょうか?そんなに簡単な話ではありません。人生の長短よりも、僅かでも得道のために修行を積み重ねていくことを唱えていたとは思いますが、それだけである気がします。そして、出来ることなら、「中夭の無い人生」に一刻も早く入りたかったと思います。
それを思うと、今回の山田氏の文章、やや道元禅師の教えを捉え切れていない印象を得るのです。
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著者の山田氏、道元禅師について、このような理解をしています。
「教化と著述に没頭」したのち、京都にて示寂。享年五十四。これを書いているわたしの歳とさほどちがいません。早世といいたくなりますが、道元自身は「いたづらに百歳いけらんは、うらむべき日月なり、かなしむべき形骸なり」(『正法眼蔵』(一)「行持」上・岩波文庫・三三〇頁)といっています。ムダに長生きしてもしょうがない、と。
前掲同著、26頁
あぁ・・・かなり残念な文章ですね。「行持」巻の一節のみを以て、道元禅師の「早世」を肯定しようとしていますが、これは果たして許されるのでしょうか?実は、これは特に晩年に入ってからだと思いますが、道元禅師は自らの成仏を願って教説を再構築した感があるのです。その内、この「早世」については、否定的に捉えています。
師子尊者・二祖大師等、悪人のために害せられむ、なむぞうたがふにたらむ。最後身にあらず、無中夭の身にあらず、なむぞ順後次受業のうくべきなからむ。
12巻本系統『正法眼蔵』「三時業」巻
これは、かつて人生半ばで殺害された師子菩提尊者や、太祖慧可など、その事実を挙げて、歴代の祖師であっても、「最後身」では無いし、「無中夭」の身でも無いとしています。逆に言えば、道元禅師は晩年、この「最後身の菩薩」や「無中夭」であることに一定の宗教的意義を認めているのです。それは、それくらい素晴らしい条件を備えるくらいでないと、成仏出来ないと考えたためです。
近代以降の様々な検討の中で、曹洞宗に於いてどのような「成仏論」を展開させるかは、大きな議論にもなりましたが、結局、「坐禅成仏」が説かれ、坐禅している様子がそのまま仏であるなどともいわれました。同じく、『修証義』を中心に「宗意安心」を考えた場合には、「受戒」が主なテーマであることから「受戒成仏」が説かれ、授戒会の盛行へと繋げていくわけです。ところが、これらはともに、後になって特定の行に、一定の宗教的意味を持たせることによって、成仏と繋げているだけなのです。しかも、その根底には、「本来成仏論(本覚思想の一亜種)」があります。
我々衆生とは、元々仏の存在なのだが、そのままでは仏であると自覚されないので、その本来仏であるのに相応しい修行をしよう、というのが発端です。よって、出家者は坐禅をすれば良いし、在家者は戒を受ければ良い、という話になるのです。道元禅師も若い頃は、「本証妙修」的文脈を用いていますので、もちろん、これらの流れに入っていたと見て良いわけですが、晩年は「本証妙修」的文脈は後退し、どこまでも、「深信因果・積功累徳」として、一歩一歩仏に近付き、数回の生まれ変わりを経て、そして仏と号することが可能だと考えていました。
そして、特に後1回の人生を過ごせば仏に成ることが出来る「一生補処菩薩」と、この人生で成仏出来る「最後身の菩薩」の2つは、「中夭(早死や不慮の死)」が無いというのです。それを一定認めている以上、道元禅師は「長生きはムダ」と考えていたと出来るでしょうか?そんなに簡単な話ではありません。人生の長短よりも、僅かでも得道のために修行を積み重ねていくことを唱えていたとは思いますが、それだけである気がします。そして、出来ることなら、「中夭の無い人生」に一刻も早く入りたかったと思います。
それを思うと、今回の山田氏の文章、やや道元禅師の教えを捉え切れていない印象を得るのです。
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