先日、【無住道曉『沙石集』の紹介(12x)】という記事を書いた時、以下の文章を思い出していた。今日はそれを書いてみたい。
伝へ聞く故高野の空阿弥陀仏は、元は顕密の碩悳なりき。遁世の後、念仏の門に入つて後、真言師ありて来つて密宗の法門を問ひけるに、彼の人答へて云く、「皆忘れをはりぬ。一事もおぼえず」とて答へられざりけるなり。
『正法眼蔵随聞記』巻3-9
さて、道元禅師がここで指摘している「空阿弥陀仏」こそが、先日の記事で指摘した明遍のことである。明遍は、かの信西入道の息子の一人で、非常に優れた才能を持っていたが、高野山で栄達することを捨てて、遁世し、その段階で「空阿弥陀仏」と名乗った。高野山内に、蓮華三昧院を建立している。
道元禅師はその様子を、「元は顕密の碩悳なりき。遁世の後、念仏の門に入つて」と述べておられるが、余程その周囲で語られたことだったのであろう。そして、その主題は、元々真言僧として優れた明遍に対し、別の真言僧が密教の教えを問うたところ、明遍の答えが「全て忘れてしまった。一事も憶えていない」といって、答えられなかったことであった。
なお、この答えられないことについて、道元禅師は「道心の手本」であると述べている。それは、既に空阿弥陀仏自身の信心は、専修念仏で定まり、これ以上の議論を不要とするためである。よって、余計なことは答える必要は無いと、道元禅師は褒めたのであった。
確かに、道元禅師は同じ『随聞記』に於いて、「智者」であると世間の人に知られることは、意味が無いことであると指摘している。仏教の世界にも、様々な思想や修行に詳しい人がいて、答えてくれる人がいるけれども、しかし、それが信心の確立に必要が無い時、それこそ、盤珪禅師の言葉を借りれば「脇稼ぎ」だと言われても仕方ないといえる。
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伝へ聞く故高野の空阿弥陀仏は、元は顕密の碩悳なりき。遁世の後、念仏の門に入つて後、真言師ありて来つて密宗の法門を問ひけるに、彼の人答へて云く、「皆忘れをはりぬ。一事もおぼえず」とて答へられざりけるなり。
『正法眼蔵随聞記』巻3-9
さて、道元禅師がここで指摘している「空阿弥陀仏」こそが、先日の記事で指摘した明遍のことである。明遍は、かの信西入道の息子の一人で、非常に優れた才能を持っていたが、高野山で栄達することを捨てて、遁世し、その段階で「空阿弥陀仏」と名乗った。高野山内に、蓮華三昧院を建立している。
道元禅師はその様子を、「元は顕密の碩悳なりき。遁世の後、念仏の門に入つて」と述べておられるが、余程その周囲で語られたことだったのであろう。そして、その主題は、元々真言僧として優れた明遍に対し、別の真言僧が密教の教えを問うたところ、明遍の答えが「全て忘れてしまった。一事も憶えていない」といって、答えられなかったことであった。
なお、この答えられないことについて、道元禅師は「道心の手本」であると述べている。それは、既に空阿弥陀仏自身の信心は、専修念仏で定まり、これ以上の議論を不要とするためである。よって、余計なことは答える必要は無いと、道元禅師は褒めたのであった。
確かに、道元禅師は同じ『随聞記』に於いて、「智者」であると世間の人に知られることは、意味が無いことであると指摘している。仏教の世界にも、様々な思想や修行に詳しい人がいて、答えてくれる人がいるけれども、しかし、それが信心の確立に必要が無い時、それこそ、盤珪禅師の言葉を借りれば「脇稼ぎ」だと言われても仕方ないといえる。
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