やや大人しくなった、とはいえ、Wコロンのねずっちによる「謎かけ」が流行っている(いた?)わけですが、その時に使われる「ととのいました!!」という言葉、これを聞くに付け拙僧が思い出すのは、江戸時代の禅僧、盤珪永琢禅師でございます。
或る人が問うて言うには、「皆の者が申すには、禅師には他心通があるということですが、本当でしょうか」と。
師が答えて言うには、「我が宗には、そのような奇怪なことはない。たとえあっても、仏心は不生なるものであるから、(他心通を)用いたりはしない。私が、皆の衆の身の上のことを批判して聞かせるから、他心通があるように思われるかもしれないが、私に他心通はない。皆の衆と同じことである。不生でいれば、諸仏神通の本にいることになるから、神通力を頼まなくても、一切のことがととのって、埒が明くのである。
色々と様々な余計なことをいわなくても、不生の正法は、皆の身の上の批判で済むことになるのである」と。
岩波文庫『盤珪禅師語録』89〜90頁、拙僧ヘタレ訳
流石は盤珪禅師、ととのっております。ととのってしまっているので、「他心通」などを用いる必要も無いわけです。「他心通」というのは、六神通の1つで辞書的な意味からいえば、「他人の心念を自由に測り知ることが出来る神通力」とされています。禅定家というのは、おそらく神通力に近しい存在だと思うんですけど、「平常底」を重んじていく「禅宗」というのは、一般的にこういう神通力について批判的であるように思います。というか、おそらく、「自己の問題」に関係ないことなので、「どうでも良い」というのが実際のところでしょう。盤珪禅師の言葉を借りれば「脇稼ぎ」というやつです。
道元禅師も『正法眼蔵』の一巻に「他心通」というのを著していて、そこでは中国禅宗六祖慧能の法嗣である南陽慧忠が、「大耳三蔵」という「他心通使い」を喝破していたりするのですが、それはこんな話です(本来は、前段階の話や、この公案に対する他の禅者の批評なども含めて成立していますが、慧忠国師と三蔵との遣り取りのみ引用します)。
時に西天の大耳三蔵というもの有りて、京に到り、「『他慧眼』を得たり」と云う。帝、勅して国師と試験せしむ。
三蔵、才かに師を見て便ち礼拝して右辺に立つ。
師、問うて曰く「汝、他心通を得たりや」。
対えて云く、「不敢」。
師曰く「汝道うべし、老僧、即今、什麼の処にか在る」。
三蔵曰く「和尚、是れ一国の師、何ぞ却って西川に去きて競渡を看ることを得ん」。
師、再び問う「汝道うべし、老僧、即今、什麼の処にか在る」。
三蔵曰く「和尚、是れ一国の師、何ぞ却って天津橋上に在って猢猻を弄するを看ることを得ん」。
師、第三問す、「汝道うべし、老僧、即今、什麼の処にか在る」。
三蔵良久するも、去処を知ること罔し。
師曰く「這の野狐精、他心通、什麼の処にか在る」。
三蔵、対うること無し。
『正法眼蔵』「他心通」巻
このように、慧忠国師は三蔵を3度試し、結果的には他心通などただの茶番であるとしたのです。そして、その慧忠国師を「古仏」と讃えた道元禅師は、いわば、この問答は「仏法に他心通ありや」と問うているのだとしています。この「他心通」という神通力を問うているのではなくて、仏法を見透す実参実究が出来ているか?と聞いているのだとしています。よって、この問答は、道元禅師にとって、常に「仏法を得ているか否か?」という、宗教的実存の問題として扱われているのです。
そして、盤珪禅師も同じなのです。どこからどこまで、仏心に通じているか否か?と問うているのであって、結局、他心通などの「能力」に眼が向いてしまう人は、実存を賭けた問いを行う、これら道元古仏・盤珪古仏、そして慧忠古仏の周囲を、グルグル回るだけなのです。我々も同じなのです。能く、議論をしてはいけないという意味で「戯論」という語を弄する人がいますが、これは精確には「議論の否定」ではなくて、「成仏道に関わらない議論の否定」であります。よって、成仏道に契うのであれば、多少の教義的差異など無視してしまって良いのです。様々な能力など無くても良いのです。
そういうことであるから、盤珪禅師はただ、仏心でおればととのうと仰っているのです。無論、我々もそれだけでととのうのです。別に「謎かけ」する必要も無いわけですな。ここには、盤珪禅師が公案詮索を否定したというところも加えて申し上げているとご理解ください。
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或る人が問うて言うには、「皆の者が申すには、禅師には他心通があるということですが、本当でしょうか」と。
師が答えて言うには、「我が宗には、そのような奇怪なことはない。たとえあっても、仏心は不生なるものであるから、(他心通を)用いたりはしない。私が、皆の衆の身の上のことを批判して聞かせるから、他心通があるように思われるかもしれないが、私に他心通はない。皆の衆と同じことである。不生でいれば、諸仏神通の本にいることになるから、神通力を頼まなくても、一切のことがととのって、埒が明くのである。
色々と様々な余計なことをいわなくても、不生の正法は、皆の身の上の批判で済むことになるのである」と。
岩波文庫『盤珪禅師語録』89〜90頁、拙僧ヘタレ訳
流石は盤珪禅師、ととのっております。ととのってしまっているので、「他心通」などを用いる必要も無いわけです。「他心通」というのは、六神通の1つで辞書的な意味からいえば、「他人の心念を自由に測り知ることが出来る神通力」とされています。禅定家というのは、おそらく神通力に近しい存在だと思うんですけど、「平常底」を重んじていく「禅宗」というのは、一般的にこういう神通力について批判的であるように思います。というか、おそらく、「自己の問題」に関係ないことなので、「どうでも良い」というのが実際のところでしょう。盤珪禅師の言葉を借りれば「脇稼ぎ」というやつです。
道元禅師も『正法眼蔵』の一巻に「他心通」というのを著していて、そこでは中国禅宗六祖慧能の法嗣である南陽慧忠が、「大耳三蔵」という「他心通使い」を喝破していたりするのですが、それはこんな話です(本来は、前段階の話や、この公案に対する他の禅者の批評なども含めて成立していますが、慧忠国師と三蔵との遣り取りのみ引用します)。
時に西天の大耳三蔵というもの有りて、京に到り、「『他慧眼』を得たり」と云う。帝、勅して国師と試験せしむ。
三蔵、才かに師を見て便ち礼拝して右辺に立つ。
師、問うて曰く「汝、他心通を得たりや」。
対えて云く、「不敢」。
師曰く「汝道うべし、老僧、即今、什麼の処にか在る」。
三蔵曰く「和尚、是れ一国の師、何ぞ却って西川に去きて競渡を看ることを得ん」。
師、再び問う「汝道うべし、老僧、即今、什麼の処にか在る」。
三蔵曰く「和尚、是れ一国の師、何ぞ却って天津橋上に在って猢猻を弄するを看ることを得ん」。
師、第三問す、「汝道うべし、老僧、即今、什麼の処にか在る」。
三蔵良久するも、去処を知ること罔し。
師曰く「這の野狐精、他心通、什麼の処にか在る」。
三蔵、対うること無し。
『正法眼蔵』「他心通」巻
このように、慧忠国師は三蔵を3度試し、結果的には他心通などただの茶番であるとしたのです。そして、その慧忠国師を「古仏」と讃えた道元禅師は、いわば、この問答は「仏法に他心通ありや」と問うているのだとしています。この「他心通」という神通力を問うているのではなくて、仏法を見透す実参実究が出来ているか?と聞いているのだとしています。よって、この問答は、道元禅師にとって、常に「仏法を得ているか否か?」という、宗教的実存の問題として扱われているのです。
そして、盤珪禅師も同じなのです。どこからどこまで、仏心に通じているか否か?と問うているのであって、結局、他心通などの「能力」に眼が向いてしまう人は、実存を賭けた問いを行う、これら道元古仏・盤珪古仏、そして慧忠古仏の周囲を、グルグル回るだけなのです。我々も同じなのです。能く、議論をしてはいけないという意味で「戯論」という語を弄する人がいますが、これは精確には「議論の否定」ではなくて、「成仏道に関わらない議論の否定」であります。よって、成仏道に契うのであれば、多少の教義的差異など無視してしまって良いのです。様々な能力など無くても良いのです。
そういうことであるから、盤珪禅師はただ、仏心でおればととのうと仰っているのです。無論、我々もそれだけでととのうのです。別に「謎かけ」する必要も無いわけですな。ここには、盤珪禅師が公案詮索を否定したというところも加えて申し上げているとご理解ください。
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