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Channel: つらつら日暮らし
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「猫の日」の猫説法(平成26年度版)

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今日2月22日は「猫の日」だそうです。理由は、日本人ならいわなくても分かりますね(猫の鳴き声、国によって聞こえ方が違うそうで、日本は「ニャー=2」ですけど・・・)。まぁ、猫と禅宗とは切っても切れない関係にございますから、禅宗関係の文献を見ていると、猫ネタ満載でございます(一例は【一日遅れの「猫の日」の記事】などからどうぞ)。拙僧自身は、猫飼ったことないですけどね。

さて、そんな日なので、猫に因んだお話しを採り上げて、見ていきたいと思います。

 猫児を弔う
宗門の牙爪自然に備え、我に侍するは恰かも大小の空の如し。
驀地に皮袋子を脱離して、天上に生ぜず必ず人中ならん。
    『定慧明光仏頂国師語録』巻5、『大正蔵』巻81

この定慧明光仏頂国師というのは、以前【或る禅僧が説いた「禁煙のススメ」】という記事の中にも出て来た、臨済宗妙心寺派の一絲文守禅師(1608〜1646)という方を指します。わずか39歳で御遷化されたというのに、後水尾上皇の帰依を受けたためか、凄まじい諡号の定慧明光仏頂国師を賜った方です。

ただ、江戸時代初期に、改めて「持戒」を取り入れたというので、その言行は宗派を超えて曹洞宗にも轟き、一絲禅師を誉め讃え目標にする学僧もおりました。拙僧も、その語録など学ぶ機会が多いです。

さて、そういう厳しいイメージがある一絲禅師ですが、その偈頌には周囲にいた学人などに対して慈愛に満ちた内容も見ることが出来まして、ただ厳しさ一辺倒では無く、その本質は慈悲なのだろうと思わせるのです。これが禅機ということなのでしょう。

そこで、今回の偈頌です。

これは、一絲禅師の飼っていた(というより、懐かれた?)猫が死んでしまったようで(猫の日に、こんな記事で良いのだろうか?)、その猫を弔うために詠まれた偈頌です。内容はだいたい意訳で次のような感じでしょう。

この猫は、宗門の禅匠が持つ鋭い働き(牙・爪)を自然に備えていて、私の側に居たのは事象に対する大小の空のような様子であった。この度、死んでしまったが、まっしぐらにその猫の身体を脱離し、天上には生まれずも必ずこの人間界に生まれ変わることであろう。

意訳だけでだいたいご理解いただけると思うのですが、おそらく側に居た猫の様子を見ながら一絲禅師は、そこに禅の働きを見たようです。いざとなれば牙や爪を活かして鼠を襲う様を、学人を指導する師家の様子に喩え、同時に、一絲禅師につかず離れず好き勝手の様子を、とらわれなき「空」に喩えています。それだけの禅機を備えているのだから、死ねば猫の身体を脱して、人間界に生まれ変わるとしています。もしかすると、前世が猫の師家もおられるのかもしれません。

鼠害対策や、動物愛護のため、寺に飼われたり、寺に棄てられたり、勝手に住み着いたりする猫が古来より多かったようで、禅僧にとっての格好の観察対象でございました(敢えて、愛玩対象とは申しません。それはまた執着です)。よって、こういう猫に対する優れた観察結果が、漢詩の形で残るのでございます。

天皇家に帰依を受け、滅後に凄まじい国師号までいただく(参考までに、曹洞宗では4人しか戴いておりません、国師号)人が、猫に対してこういう偈頌を残しているという妙味を味わっていただけましたら幸いです。

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