前回見た【(8)】では、江戸時代に確立された正伝の坐禅を参究するために、損翁宗益禅師(1649〜1705)の『永平正法眼蔵坐禅箴損翁和尚弁話(以下、『弁話』と略記)』から、中国曹洞宗の宏智正覚禅師『坐禅箴』の提唱を見てきたのですが、今回と次回は、損翁禅師自身の坐禅観を見て行きたいと思います。
さてまた、坐禅に懈怠しないことである。坐禅の行者の、(その修行するところは)平生である。退転の心を生じるのは、ワガママな心である。坐禅は安楽の法門であり、(坐禅すれば)忽ちに身心安寧に至るけれども、日常的に、散乱の環境にばかりいるから、退転の心が出てくるのである。坐禅は修行者の常であり、遊戯三昧のところである。坐禅だと改めて見るから、退転が出て来るのである。一切の有為を捨てかねては、坐禅の無為の都には入りかねるのである。この甚深の大法を見たこともなく知ってもいない者は、「悟り」に眩んでしまい、「悟った」として坐禅を捨てて、しかも、世界をも誤って見るのである。このような連中は、却って悟る前よりも劣っているのだ。
または、悟れないからといって、色々と(余行を)行ってしまうから、分別の基準すらも定まらず、ついには退転を生じ、昔勤めたことは、我が大いなる功績だと(過去の栄光に)いたずらに(すがり)、月日を暮らす人もいる。突き詰めていえば、この連中は、坐禅が坐禅であることの、有り難いことを知らないだけではなく、坐禅の大いなる意旨について、少しも聞いたことがないのである。誠に哀れむべきである。
もしまた、病身であったり、老衰であったりして、(坐禅を)怠るとしても、有り難いことは差し措くことができないことを知ったならば、分に応じて坐禅をすべきである。
道理だけを合点して、修行を進めたとしても、突き詰めれば、我が物にしないから、勤めかねるのである。真実とは、言葉にも述べられないものである。ただ、ほとりの部分だけ、あれこれと言っているだけである。珍しいことはない。二祖大師が、達磨大師に対して、何ごとも言わずに叉手したことを考えるべきである。その時、達磨大師はすぐに大法を伝えられたのである。
達磨大師は、中国に渡ったけれども、何ごとも仰らず、9年間面壁坐禅を行うだけであった。その流れを汲む人が、坐禅を知らず、行わないというのは、仏心宗の末派ではない。天童如浄禅師も、看経・礼拝を用いずに、只管に坐禅せよと仰ったではないか。
拙僧ヘタレ訳
前回の記事で、損翁禅師の坐禅観・修行観が、「無分別」によって誘われ、分別せずに徹底して行うべきだという結論に達したことを指摘しました。つまり、「ここまでで良いだろう」という時間的分別や、「これくらいで良いだろう」という質的分別というような、独断の一切を否定することで、無限なる修行に繋がっていたことを見てきたわけです。実は、これは道元禅師にも見える教えです。
学道の人、若し悟を得ても、今は至極と思ウて行道を罷ル事なかれ。道は無窮なり。さとりてもなほ行道すべし。
『正法眼蔵随聞記』巻1-5
直饒悟りを得たとしても、悟った内容としての仏道は無窮なのですから、行道もまた無窮なのです。つまり、悟りを得るための修行という場合には、修行自体が「限定的」「相対的」であるため、何故普遍の道理であるはずの「仏道」に至ることが出来ようか?という問題が起こります。或る意味、道元禅師も損翁禅師も、その問題を回避するために、修行の方を、普遍的な行として把握し直しているのです。そして、悟りを得たことを良い事に、坐禅修行を退転しようとする者がいますが、損翁禅師は結果的に悟りによって修行が退転しているので、悟りを得る前よりも悪いとしています。しかも、本人達は、悟りを開いたという自覚がありますので、逆に修行を止めてしまうことを、「自分達が誤ったことをしている」とは分からない状況になるので、本当に質が悪いです。拙ブログではいつも言うことですが、悪人が自分が悪いことをしているとして行う悪事と、自分達が正しいことをしていると思い込んで行う正義とは、後者の方が悪いとしています。それはつまり、行為を変更する可能性を撥無しているからです。この者は、二度と修行に戻ることは出来ないでしょう。かつて、道元禅師が『正法眼蔵』「四禅比丘」巻で、「四禅」を得ただけで、「四果」を得たと誤解している者の「末路」を提唱されたことがありましたが、その恐怖から逃れることは出来ません。或る意味、修行からの退転は、「自分が仏法を得た」と他人に吹聴する「不妄語戒」を犯し、結果的に「謗仏」しているからです。
第三には、命終のとき、おほきなる誤りあり。そのとが、ふかくして、つひに阿鼻地獄におちぬるなり。たとひなんぢ一生のあひだ、四果とおもひきたれりとも、臨命終の時、四禅の中陰みゆることあらば、一生の誤りを懺悔して、四果にはあらざりとおもふべし。いかでか、仏、われを欺誑して、涅槃なきに涅槃ありと施設せさせたまふとおもふべき。これ、無聞のとがなり、このつみすでに謗仏なり。これによりて、阿鼻の中陰現じて、命終して阿鼻地獄におちぬ。
『正法眼蔵』「四禅比丘」巻
結局、正しく仏道を学ばないからこそ、こういう結果に陥るのです。同巻の冒頭、道元禅師は、修行者が師に就かずに、独学で学ぶからこそ、誤るのだと指摘していますが、今でも同じことです。注意したいものです。
さて、本文に戻りますが、損翁禅師は坐禅を特別視することの否定と、坐禅以外の修行に進もうとすることの両方を否定しています。坐禅の特別視を注意したというのは、坐禅というのは本来、呼吸をするかの如く、自然に、あくまでも自然に、日常的に、平常底で行われなくてはなりません。「いや、ここでひとまず必死になって」とか思って、期待し過ぎるから、いざという時に力が入り、奇妙な「苦行」になってしまうのです。拙僧、とある修行道場にいたときのことですが、当然僧侶達によって行われる修行道場では、朝起きて、歯を磨き顔を洗えば、後はそのまま坐禅の時間(暁天坐禅)になるわけです。この自然さというのは、いわゆる坐禅会に行って坐禅をするというのとも全く違っていて、「只坐る」っていうことになるんですね。もう、余りに自然すぎて、気負う暇すらないわけです。
損翁禅師が仰るような坐禅というのは、そういう「行持体系」に自ずと含まれてしまっている坐禅観を指摘しているので、裏を返せば「叢林」についての話をしていることになります。「叢林」というのは、多くの修行者が「群れている」ことを、樹に準えて作られた用語ですが、損翁禅師はその中に入り修行する「一生不離叢林」としての坐禅観を示しているといえましょう。ただ、日常的に暮らす中で、坐禅をしていくので、「過去の栄光」もなければ、「一大イベント」もないわけです。当然「ドラマ」にもなりません。それが、我々の「仏行としての坐禅」だといえます。毎朝、何はなくても必ずお茶やコーヒーなどを飲むという人は、そこに「過去の栄光」や「イベント」が発生しますか?それと我々の坐禅とは同じことです。
でも、もしかすると、お茶やコーヒーに対する「こだわり」のようなことは出てくるかも知れませんが、それは我々も坐禅に対するこだわり、境涯に対するこだわりとして出て来ます。とはいえ、それは「把われ」であってはなりません。例えば、「インスタントコーヒーは、まともなコーヒーではない」という人も、それは「コーヒー」という基準の中で争論しているので、実は逆説的にインスタントコーヒーを認めています。坐禅も同じことで、坐禅に良し悪しはないというのは、良し悪しがあろうと努めている事実に違いはないからです。坐禅にはベテランも初心者もありません。ただ、坐禅は坐禅なのです。そして、それこそが仏道なのです。良く、「坐禅の定義」「境涯の定義」を繰り返す人がいますけれども、拙僧的には、「何故、そこまでして坐禅のハードルを上げようとするのか?」が理解出来ません。それは、「高いハードルでも越えられる自分を誉めて貰いたい」という、「名聞利養が見える」と批判すべきです。名聞利養を目指して、坐禅を開始しても、坐禅は坐禅です。しかし、その坐禅の中で、名聞利養は消えなくてはなりません。ただ坐っている事実に、坐っている身心に、「自ら」を預け、任せてしまえば良いのです。簡単なことですね。損翁禅師が仰ることは、そういうことです。或いは道元禅師も、歴代の祖師も、同じことを言っています。
以下には、損翁禅師の言葉の典拠を紹介します。
・二祖大師が達磨大師に対して何ごとも言わずに叉手したこと
⇒『正法眼蔵』「葛藤」巻にも示される、「達磨皮肉骨髄」話のことです。
・達磨大師が9年間面壁坐禅を行うだけであったこと
⇒「達磨面壁九年」の故事です。
・天童如浄禅師が看経・礼拝を用いずに只管に坐禅せよと仰ったこと
⇒「天童只管打坐」の教えです。
これらは、禅宗の文献には繰り返し出て来て、提唱されるものです。少なくとも、話の内容くらいは予め知っておいた方がよろしいでしょう。さて、この連載も、次回で終わりになります。
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さてまた、坐禅に懈怠しないことである。坐禅の行者の、(その修行するところは)平生である。退転の心を生じるのは、ワガママな心である。坐禅は安楽の法門であり、(坐禅すれば)忽ちに身心安寧に至るけれども、日常的に、散乱の環境にばかりいるから、退転の心が出てくるのである。坐禅は修行者の常であり、遊戯三昧のところである。坐禅だと改めて見るから、退転が出て来るのである。一切の有為を捨てかねては、坐禅の無為の都には入りかねるのである。この甚深の大法を見たこともなく知ってもいない者は、「悟り」に眩んでしまい、「悟った」として坐禅を捨てて、しかも、世界をも誤って見るのである。このような連中は、却って悟る前よりも劣っているのだ。
または、悟れないからといって、色々と(余行を)行ってしまうから、分別の基準すらも定まらず、ついには退転を生じ、昔勤めたことは、我が大いなる功績だと(過去の栄光に)いたずらに(すがり)、月日を暮らす人もいる。突き詰めていえば、この連中は、坐禅が坐禅であることの、有り難いことを知らないだけではなく、坐禅の大いなる意旨について、少しも聞いたことがないのである。誠に哀れむべきである。
もしまた、病身であったり、老衰であったりして、(坐禅を)怠るとしても、有り難いことは差し措くことができないことを知ったならば、分に応じて坐禅をすべきである。
道理だけを合点して、修行を進めたとしても、突き詰めれば、我が物にしないから、勤めかねるのである。真実とは、言葉にも述べられないものである。ただ、ほとりの部分だけ、あれこれと言っているだけである。珍しいことはない。二祖大師が、達磨大師に対して、何ごとも言わずに叉手したことを考えるべきである。その時、達磨大師はすぐに大法を伝えられたのである。
達磨大師は、中国に渡ったけれども、何ごとも仰らず、9年間面壁坐禅を行うだけであった。その流れを汲む人が、坐禅を知らず、行わないというのは、仏心宗の末派ではない。天童如浄禅師も、看経・礼拝を用いずに、只管に坐禅せよと仰ったではないか。
拙僧ヘタレ訳
前回の記事で、損翁禅師の坐禅観・修行観が、「無分別」によって誘われ、分別せずに徹底して行うべきだという結論に達したことを指摘しました。つまり、「ここまでで良いだろう」という時間的分別や、「これくらいで良いだろう」という質的分別というような、独断の一切を否定することで、無限なる修行に繋がっていたことを見てきたわけです。実は、これは道元禅師にも見える教えです。
学道の人、若し悟を得ても、今は至極と思ウて行道を罷ル事なかれ。道は無窮なり。さとりてもなほ行道すべし。
『正法眼蔵随聞記』巻1-5
直饒悟りを得たとしても、悟った内容としての仏道は無窮なのですから、行道もまた無窮なのです。つまり、悟りを得るための修行という場合には、修行自体が「限定的」「相対的」であるため、何故普遍の道理であるはずの「仏道」に至ることが出来ようか?という問題が起こります。或る意味、道元禅師も損翁禅師も、その問題を回避するために、修行の方を、普遍的な行として把握し直しているのです。そして、悟りを得たことを良い事に、坐禅修行を退転しようとする者がいますが、損翁禅師は結果的に悟りによって修行が退転しているので、悟りを得る前よりも悪いとしています。しかも、本人達は、悟りを開いたという自覚がありますので、逆に修行を止めてしまうことを、「自分達が誤ったことをしている」とは分からない状況になるので、本当に質が悪いです。拙ブログではいつも言うことですが、悪人が自分が悪いことをしているとして行う悪事と、自分達が正しいことをしていると思い込んで行う正義とは、後者の方が悪いとしています。それはつまり、行為を変更する可能性を撥無しているからです。この者は、二度と修行に戻ることは出来ないでしょう。かつて、道元禅師が『正法眼蔵』「四禅比丘」巻で、「四禅」を得ただけで、「四果」を得たと誤解している者の「末路」を提唱されたことがありましたが、その恐怖から逃れることは出来ません。或る意味、修行からの退転は、「自分が仏法を得た」と他人に吹聴する「不妄語戒」を犯し、結果的に「謗仏」しているからです。
第三には、命終のとき、おほきなる誤りあり。そのとが、ふかくして、つひに阿鼻地獄におちぬるなり。たとひなんぢ一生のあひだ、四果とおもひきたれりとも、臨命終の時、四禅の中陰みゆることあらば、一生の誤りを懺悔して、四果にはあらざりとおもふべし。いかでか、仏、われを欺誑して、涅槃なきに涅槃ありと施設せさせたまふとおもふべき。これ、無聞のとがなり、このつみすでに謗仏なり。これによりて、阿鼻の中陰現じて、命終して阿鼻地獄におちぬ。
『正法眼蔵』「四禅比丘」巻
結局、正しく仏道を学ばないからこそ、こういう結果に陥るのです。同巻の冒頭、道元禅師は、修行者が師に就かずに、独学で学ぶからこそ、誤るのだと指摘していますが、今でも同じことです。注意したいものです。
さて、本文に戻りますが、損翁禅師は坐禅を特別視することの否定と、坐禅以外の修行に進もうとすることの両方を否定しています。坐禅の特別視を注意したというのは、坐禅というのは本来、呼吸をするかの如く、自然に、あくまでも自然に、日常的に、平常底で行われなくてはなりません。「いや、ここでひとまず必死になって」とか思って、期待し過ぎるから、いざという時に力が入り、奇妙な「苦行」になってしまうのです。拙僧、とある修行道場にいたときのことですが、当然僧侶達によって行われる修行道場では、朝起きて、歯を磨き顔を洗えば、後はそのまま坐禅の時間(暁天坐禅)になるわけです。この自然さというのは、いわゆる坐禅会に行って坐禅をするというのとも全く違っていて、「只坐る」っていうことになるんですね。もう、余りに自然すぎて、気負う暇すらないわけです。
損翁禅師が仰るような坐禅というのは、そういう「行持体系」に自ずと含まれてしまっている坐禅観を指摘しているので、裏を返せば「叢林」についての話をしていることになります。「叢林」というのは、多くの修行者が「群れている」ことを、樹に準えて作られた用語ですが、損翁禅師はその中に入り修行する「一生不離叢林」としての坐禅観を示しているといえましょう。ただ、日常的に暮らす中で、坐禅をしていくので、「過去の栄光」もなければ、「一大イベント」もないわけです。当然「ドラマ」にもなりません。それが、我々の「仏行としての坐禅」だといえます。毎朝、何はなくても必ずお茶やコーヒーなどを飲むという人は、そこに「過去の栄光」や「イベント」が発生しますか?それと我々の坐禅とは同じことです。
でも、もしかすると、お茶やコーヒーに対する「こだわり」のようなことは出てくるかも知れませんが、それは我々も坐禅に対するこだわり、境涯に対するこだわりとして出て来ます。とはいえ、それは「把われ」であってはなりません。例えば、「インスタントコーヒーは、まともなコーヒーではない」という人も、それは「コーヒー」という基準の中で争論しているので、実は逆説的にインスタントコーヒーを認めています。坐禅も同じことで、坐禅に良し悪しはないというのは、良し悪しがあろうと努めている事実に違いはないからです。坐禅にはベテランも初心者もありません。ただ、坐禅は坐禅なのです。そして、それこそが仏道なのです。良く、「坐禅の定義」「境涯の定義」を繰り返す人がいますけれども、拙僧的には、「何故、そこまでして坐禅のハードルを上げようとするのか?」が理解出来ません。それは、「高いハードルでも越えられる自分を誉めて貰いたい」という、「名聞利養が見える」と批判すべきです。名聞利養を目指して、坐禅を開始しても、坐禅は坐禅です。しかし、その坐禅の中で、名聞利養は消えなくてはなりません。ただ坐っている事実に、坐っている身心に、「自ら」を預け、任せてしまえば良いのです。簡単なことですね。損翁禅師が仰ることは、そういうことです。或いは道元禅師も、歴代の祖師も、同じことを言っています。
以下には、損翁禅師の言葉の典拠を紹介します。
・二祖大師が達磨大師に対して何ごとも言わずに叉手したこと
⇒『正法眼蔵』「葛藤」巻にも示される、「達磨皮肉骨髄」話のことです。
・達磨大師が9年間面壁坐禅を行うだけであったこと
⇒「達磨面壁九年」の故事です。
・天童如浄禅師が看経・礼拝を用いずに只管に坐禅せよと仰ったこと
⇒「天童只管打坐」の教えです。
これらは、禅宗の文献には繰り返し出て来て、提唱されるものです。少なくとも、話の内容くらいは予め知っておいた方がよろしいでしょう。さて、この連載も、次回で終わりになります。
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