Quantcast
Channel: つらつら日暮らし
Viewing all articles
Browse latest Browse all 15827

『仏垂般涅槃略説教誡経』に学ぶ

$
0
0
北伝仏教では、釈尊の涅槃会を2月15日に行っており、例えば曹洞宗では、この涅槃会を前に、次のような行持を行います。

 二月一日・読遺教経
涅槃会の法供養を修するため、本日より十四日まで晩課のときに遺教経を読誦する。知殿あらかじめ涅槃像を室中に掛け、香華灯燭を弁備する。殿鐘上殿、住持入堂し上香、普同三拝して着座、維那、挙経する。遺教経終わって、舎利礼文を大衆合掌して同誦すること三遍。一唱ごとに頂礼、三唱三礼。次に普回向、普同三拝して散堂する。
    『曹洞宗行持軌範』「年分行持」参照

曹洞宗寺院では、毎年2月1日〜14日まで、晩課にて『遺教経』を読誦します。元々、晩課というのは、固定された読誦経典があるわけではなく、融通が効く行持でありました。ですので、それを涅槃会仕様に変更するのです。そして、この釈尊涅槃会を、より強く想うために、室中(本堂の一室)に、涅槃像(涅槃図)を掛けます。沙羅双樹の森に横たわる釈尊の姿を描いたもので、人間のみならず多くの生き物が、その死を悼んで集まっている絵像です。

さて、今日は読まれる『遺教経』の一節を見ていきたいと思います。

 汝等比丘、諸の功徳に於いて、常にまさに一心に、諸の放逸を捨てること、怨賊を離れるが如くすべし。大悲世尊所説の利益は、皆以て究竟す。
 汝等、但だまさに勤めてこれを行ずべし。若しは山間に在っても、若しは空沢の中に於いても、若しは樹下に在っても、静室に閑処するも、所受の法を念じて忘失せしむること莫れ。常にまさに自ら勉めて精進して、これを修すべし。為すこと無くして空しく死すれば、後に悔有ることを到さん。
 我は良医の病を知って薬を説くが如し。服すると服せざると、医の咎に非ざるなり。又、善く導くものの、人の善の道に導くが如し。これを聞いて行わざるは、導くものの過に非ず。
    『仏垂般涅槃略説教誡経』

仏陀は、一心に集中して、放逸を捨てるように説いています。その時には、怨みのある賊から自らを遠ざけるように、捨てなくてはならないのです。それくらい、放逸というのは、我々仏教徒にとって害悪となるのです。道元禅師は或る時、「然レどもまた、人は何にも思はば思へとて、悪シき事を行じ、放逸ならんはまた仏意に背ク」(『正法眼蔵随聞記』巻4-3)と述べています。放逸なることは、仏意に背くのです。また、一心に集中することは、如何なる場所、如何なる環境にあっても行うべきだといいます。その時の基本は、受けた教えを忘れることなく、精進修行すべきなのです。なお、「樹下」というのは、かつてインドでは、大きな「樹」は、修行者にとっての拠り所でした。仏陀が、菩提樹下で正覚を成就されたのは、決して偶然ではないのです。大樹には、樹神が宿り、修行者を護持してくれます。それは、雨や災難を避けてくれる大樹のイメージが、樹神を喚起してくれたのです。その時、事実、樹神は宿るのです。ただの、アニミズムとは違います。

しかし、この一節で、とても仏教っぽいと思うのは、教えを聞かない場合、それは教えを説いた者の責任ではないという見解です。逆にいえば、教えを容れるも容れざるも、それは聴衆にとっての自由なのです。ただ、当然に容れた方が、自らの安寧に近付くわけで、事実上、容れないという選択肢はありません。ただ、何時の世にも、天の邪鬼が居るものです。よって、そのような者達に配慮された言葉が見えるのです。類似した語であるならば、「退亦佳矣」というものがあります。これは、「もう既に聞かなくても分かる」と主張する増上慢が、説法の場から去ることを許した教えです。仏教、そこまで甘い教えではないのです。

いや、むしろ、これが仏陀の入滅の時に説かれたことが大きいですね。もう、自らは死んでしまうのに、その時になっても、まだ教えを聞こうとしない者達を、突き放したのです。いや、もう突き放そうと突き放すまいと、仏陀は入滅してしまうのです。だからこそ、このような教えも語られています。

汝等比丘、悲悩を懐くこと勿れ。若し我、世に住すること一劫するとも、会うものは亦まさに滅すべし。会って、しかも離れざること、遂に得べからず。
    同上

仏陀は、「会者定離」は世の習いであると説いています。しかも、生ある者は必ず滅するのです。それは、世尊であっても逃れることは出来ません。仏陀には、余り「教祖」という言葉は似合いませんが、定義上はそうなってしまうので、敢えて申し上げれば、死にたくなくて死ぬ教祖ではなく、始めから死ぬことを受け容れている教祖なのです。でも、そのおかげで、我々も死を超越出来るのでしょう。それは、死なないというのではなく、死ぬのです。ただ、死ぬのです。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈仏教9〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 15827

Trending Articles