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Channel: つらつら日暮らし
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中国禅林の糖分事情

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最近、まぁ、とある仕事の関係で、『宝慶記』などを再び読んでいるのだが、如浄禅師が道元禅師に示された内容は、極めて多岐に亘っていて、1つ1つが面白い。例えば、以下の一文などどうだろう?

沙糖・霜糖等を多く喫すること莫れ。
    第5問答

同問答は、道元禅師が初心の弁道功夫時に、どのようなことを心掛ければ良いかを尋ねた際に、如浄禅師が答えたことの1つである。これを見ると、当時から或る程度の精糖技術が存在し、「沙糖(砂糖)」、或いは「霜糖(氷砂糖?)」などがあったことが分かる。

如浄禅師は、これらを余り多く食べてはならないという。理由は分からないが、どうしても糖分というのは、それを身体や脳が欲することもあり、油断していると食べ過ぎてしまうことがあったのだろう。叢林修行の中で、ひもじい状況であるならば、尚更である。

なお、今は、何やら糖分が悪者のようになってしまっていて、「糖分ゼロ」を謳うような清涼飲料水も多くあるようだが、これは誤解、或いは偏見に近いことであるといえる。糖分は、我々が生きる上で欠かせないものである。だからこそ、身体も欲する。しかし、採りすぎては良くない。

よって、多寡という相対的な問題であるはずが、すぐに「善悪」「正邪」という二分法的発想の中で、偏見を助長する。この世界、そんなに簡単に割り切れるはずはない。その割り切れ無さの中で、豊かな人生を歩むことが肝心である。

追記:
中国中世の糖について、【東ユーラシア研究会】さんというブログの記事を見付けたので、ご参考までにどうぞ。

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