曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師の提唱録には、このような言葉が収録されている。
夫れ迷と云は憎愛すべからざるを憎愛し、是非すべからざるを是非す。
『伝光録』第20章
我々は、仏道修行の根幹に、転迷開悟があるということくらいは分かっている。しかし、ではその迷いの根本とは何であるのかが分かっていない。よって解決することも出来ない。瑩山禅師のこのご指摘は、我々に正しく迷いの根源を知らせようとしておられるのだ。憎愛すべきではないものに対して憎愛し、是非すべきではないものに是非を向ける。我々の心とは、油断をしていれば、何処までも暴走してしまう。よって、よくよく調御せられなくてはならない。
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夫れ迷と云は憎愛すべからざるを憎愛し、是非すべからざるを是非す。
『伝光録』第20章
我々は、仏道修行の根幹に、転迷開悟があるということくらいは分かっている。しかし、ではその迷いの根本とは何であるのかが分かっていない。よって解決することも出来ない。瑩山禅師のこのご指摘は、我々に正しく迷いの根源を知らせようとしておられるのだ。憎愛すべきではないものに対して憎愛し、是非すべきではないものに是非を向ける。我々の心とは、油断をしていれば、何処までも暴走してしまう。よって、よくよく調御せられなくてはならない。
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