Quantcast
Channel: つらつら日暮らし
Viewing all articles
Browse latest Browse all 15634

授戒会に於ける説戒作法について

$
0
0
以前にも拙ブログで用いた文脈だが、再度見ておきたかったので、採り上げておきたい。

午時しばらくあ(り)て説戒を始む。今日は初日なるゆゑ、別して欠くべからず。戒弟にも説戒あることを報じ、大小用等せさしめ、次に中央を少し避けて椅子を安ず。但し壇上を背にす。前に卓袱を設け、上に華炉燭を備ふ。時到て侍者、戒師に白し、法鼓三下す。これをきいて、戒弟・合山の大衆集り、椅子に近前して胡跪す。直壇は大衆の集り了を見て、説戒には睡魔を除き、寂静信心にして、難値の大法を拝聴すべき義と、をよび戒会中の意地等の理致の、よく知れる様に口宣す。
    指月慧印禅師『開戒会焼香侍者指揮』、『続曹洞宗全書』「清規」巻・476頁上段

これが、一応宗門で現存する最古の授戒会の作法書である。これはあくまでも、戒師をお招きする前の準備段階である。それでは、実際の進退はどうなっているのか、見ておきたい。

 戒師上殿するとき、大衆起立す。戒師壇前に焼香三拝か、もし深揖す。
 次に倚上に跗坐す。侍者等はその前卓を倚子の前に倚す。このとき戒頭すすみて揖香し、自位にかへる。直壇の人、このとき手磬を打す。大衆展坐具三拝、具上に跗坐して黙然す。
 説戒の中は、別して内外寂静にして、言語往来すべからず。若し放逸昏睡の人あらば、直壇それ親切に警覚すべし。
 戒師へ茶或は湯を進む。もとも直壇寮にて用意す。
 説戒了て手磬を打す。戒弟徐々として起立し三拝す。この時に当りて、師前の卓を前の方に倚す。
 戒師位を下て壇前に揖して帰る〈総じて戒師の出入のとき、侍者先に門簾等を揚ぐ〉。
    前掲同著・476頁上~下段

それで、拙僧が確認しておきたかったのは、以前に紹介した【「説教道場法」に関する一考察】のような説教道場法のような作法が存在したのかどうか、ということである。ところがこれを見る限り、手磬に合わせて大衆が展坐具三拝した後は、黙って戒師による説戒を聞くだけだったことが分かる。つまり、懺悔や三帰礼文などがなかったことを示しているのである。

まぁ、確かに七日加行の全体を考えてみると、第四日目か五日目の夜に「懺悔捨身」が行われており(これは、当時の授戒会に伝戒式がともに行われる場合に、懺悔のタイミングがずれたことに依る)、更に、第六日目の夜には授戒(正授道場)が行われる。そうなると、わざわざ説戒の段階で懺悔・三帰戒を行う意味が無いといえる。

よって、上記のような程度の作法だったのだろう。

ただし、拙僧の手元には江戸時代末期の授戒会作法もあるので、そちらも確認してみたいところであったが、もちろん説戒があることは示されているが、具体的な作法までは分からなかった。よって、その時々で決めていた可能性もある。この辺は、もう少し様々な文献から学びを進めなくてはならないのかもしれない。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈曹洞宗11〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 15634

Trending Articles