Quantcast
Channel: つらつら日暮らし
Viewing all articles
Browse latest Browse all 15821

中国宋朝禅で在家への授戒はあったのか?

$
0
0
う~む・・・道元禅師が「授戒」をしていたというのは、伝記上から明らかなのだが、具体的な作法が分からない。或いは、説戒などをしていたのかどうかも分からない。永平寺で「布薩説戒」をしていたとはされるので、何らかの教化をしていたことは分かる。

それで、或る文献を読んでいたら、宋代の禅宗に於ける在家者への授戒に因むと思われる文章があることに気付いたので、それを見ておきたい(というか、佐藤達玄先生などのご研究を見ていると、有名な一節のようだ)。

  勧檀信
 在家の菩薩、先ず当に仏に事うべし。務は極めて厳謹し、永く葷酒を断ちて、堅く斎法を守るべし。諸の欲染に於いて誓って擬犯せざれ。知識に親近して己見を発明し、其の悟入に随って理の如く修行すべし。若し初心の士ならば、未だ能く頓に葷酒を除かず、且つ早素を食す。一月の間だ已に能く半を減ぜん。久しく習れて淳熟せん、自ずから能く永く断じて長斎せん。及び欲障厚き者は、先ず且く五戒を奉行して、然る後に進みて菩薩清浄の大戒に登るべし。若し未だ知識に親近すること能わずば、但だ応に大乗を読誦して、正見を助発すべし。若し未だ摩訶般若を悟らざるは、但だ仏語に依りて修行して、時中、亦た虚しく棄てざれ。
 学般若の菩薩は、応当に勤めて願を発して云く、南無仏・南無法・南無僧。願くは、身心安楽にして、進道魔無く。般若光中、念念の間、常に般若を以て一切衆生を発悟せしめよ。普く願くは、一切衆生、頓に摩訶般若波羅蜜多を悟りて、同じく無上正遍知覚を成ぜんことを。
    『禅苑清規』

これは、12世紀初めに編集された『禅苑清規』に見える一文で、「勧檀信」というものである。分かりやすくいえば、「檀信徒へのススメ」とでも出来ようか。拙僧が気になっているのは、上記一節に見える「戒」の問題である。そもそもが、葷酒を断って、斎法を守るべきだとある辺りで、在家の人が守るべき「戒行」は示されているように思うが、更に、知識(指導者)に近づいて、よく己を見極め、真実の自己を悟るべきだという。

更に、「五戒」を行い、「菩薩大戒」に「登る」べきだという。この「登る」について、拙僧はちょっと気になった。これは「登壇」を意味するものなのか?それとも、「五戒」よりもより高い境涯である「菩薩大戒」へと「登る」ことを意味しているのか?ということである。

道元禅師が『正法眼蔵』「渓声山色」巻で、蘇東坡居士に対して、当時の禅僧が「仏戒」を授けたとされるから、禅僧が個人的に参禅に来た者に対し、授戒した事例はあったのであろう。「仏戒」と仰っているが、これは実際のところ「菩薩戒」に等しい。ここから理解出来ることは、授戒会というような大々的な行事があったのかは分からないが、しかし、授戒はされていた。

そうなると、拙僧個人の興味関心は、中国に於いて現状の日本のような「授戒会」がいつ頃に行われていたのか?ということである。それはまた、様々な先行研究の検討なども含めて、明らかにしておきたい。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈仏教12〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 15821

Trending Articles