Quantcast
Channel: つらつら日暮らし
Viewing all 15737 articles
Browse latest View live

ゆうパックが「置き配」開始 盗難などは大丈夫か?

$
0
0
ゆうパック、「置き配」開始 玄関前や物置、再配達の手間省く(共同通信)

日本郵便は3月18日から、宅配便のゆうパックを玄関前や物置など指定の場所に置いて帰る「置き配」のサービスを開始しました。

これは、荷物を受け取りやすくして、再配達の手間を省く狙いがあります。

しかし、一市民としては、盗難などの心配がどうしても残ります。そこで、この件について日本郵便の説明については、特段見当たらないように思うのですが、大丈夫でしょうかね。

なお、この件のプレスリリースは以下の通りです。

ゆうパックのサービス改善 ~配達予告メールの拡充、指定場所配達サービスの開始~(2018/10/18)

それで、荷物を受け取る側には、一定の条件を満たせば「お届け予定通知」や「ご不在通知」のメールが届くことになり、更には、配達先は宅配ボックスや郵便受け、メーターボックス、車庫も選べます。また、生ものなど、一部の配達物については利用できません。

拙僧の場合は、大きな郵便局が近くにあるので、そこまで取りに行く場合が一般的であり、再配達はほとんどお願いしておりません。今後もしばらく変わらないと思いますし、「置き配」の条件に合わないと思いますので、しばらくは静観です。なお、この件については、賛否様々な報道が今後もあると思いますので、必要に応じて取り上げたいと思います。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 ニュースブログ 国内・地域ニュースへにほんブログ村 国内ニュースを1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

内田裕也さん死去の報道

$
0
0
内田裕也さん逝く 79歳 希林さんの死から半年 もう聞けない“ロケンロール”(スポニチアネックス)

ロック歌手で俳優としても活躍した内田裕也さんが3月17日に東京都内で死去したと報じられています。死因は肺炎だったようです。

79歳でした。

兵庫県西宮市出身の内田さんは、エルビス・プレスリーに憧れて高校を中退し、1957年にバンドボーイとして音楽活動をスタートさせ、幾つかのバンドを渡り歩くと、66年のビートルズ日本公演では尾藤イサオ(75)らとの特別編成のバンドで前座を務めました。

しかし、実際の芸能活動と並んで世間を騒がせたのは、その私生活でしょう。故・かまやつひろしさんの紹介で出会った樹木希林さんと73年10月にスピード結婚すると、裕也さんの家庭内暴力などもあり、1年半で別居生活に入り、81年には一方的に離婚届を提出するなどしましたが、希林さんが訴訟を起こし離婚成立を阻止する一幕もありました。

樹木希林さんが昨年9月15日に死去し、その時の葬儀では車椅子での姿を見せていた内田さんでしたが、わずか半年後の訃報を聞くこととなりました。

以前、拙僧が都内に住んでいた時には、三軒茶屋駅付近で何度かお見かけしたのを思い出します。

心から哀悼の意を表します。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 ニュースブログ 国内・地域ニュースへにほんブログ村 国内ニュースを1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

或る伝記に見える授戒会の示衆について

$
0
0
江戸時代の中期から後期に活動した洞水月湛禅師(1728~1803)の伝記に、次のような教えがあった。

又、尸羅会有り。衆に示して曰く、夫れ大乗戒、新たに得ざる、必ずしも失せず。衆生本有の仏性戒なり。惟に洞水に於いて、瑩浄を開示して爾り。
    『洞水和尚語録』巻6

これは、菩薩戒の本質を示した教えとして、極めて端的である。いわば、菩薩戒とは『梵網経』に依れば「仏性戒」であるという。そのため、菩薩戒の功徳が、その人本人に既に具わっており、そのために大乗戒とは新たに得ることはなく、しかも失うこともないのである。そして、洞水禅師において、自らの戒観を示す語句が「瑩浄」である。よって、次の教えを見ておきたい。

三月上州高崎大雲寺大殿の功成を告げるに、入仏の次、授戒するに、師を請す。師、七衆をして先ず菩提心を発さしめ、七日を期して加行し、本道場に一入し、密に法式を行ずる処に、本有の戒徳、即現成す。古徳のいわゆる開示するところの瑩浄、是を仏性戒と明かさざるかな。
    同上

こちらでは、授戒会に因んで、洞水禅師がどのような思いでもって授戒をしていたかを示す一文である。まず菩提心を発させていることが肝心で、その上で七日加行し法式を修行しするところに、衆生が本有している戒徳が、現成するという。そしてまた、「瑩浄」についての開示が見える。

ところで、この「瑩浄」とは何なのだろうか?

・内外瑩浄にして、猶お瑠璃の如し。 『衆許摩訶帝経』
・豁然瑩浄として、鏡の鏡を照らすが如し。 『宏智録』

他にも多くの事例があるが、内容はほぼ同じで、「瑩浄」とは、その光が清らかで、内外などの分別が付いていない様子を示すものであった。曹洞宗では太祖である瑩山紹瑾禅師の道号に用いられていることから、比較的親しい「瑩」字ではあるが、動詞として用いる場合には「みがく」の意味があるけれども、形容詞の場合には「あきらか。あざやか。つややか」などの意味を持つ。いわば、光り輝く様を示すものである。

その意味では、「瑩浄」については、やや捉えにくいけれども、名詞的には常に清らかな様子を示すものであるし、動詞的には、本具の仏性戒を、常に磨くように努力するように促す教えであったと思われる。つまり、我々の心の奥底には、汚されることなき仏性が存し、それがそのまま戒として、我々の成仏を助けてくれるものの、成仏にはそれなりに努力が必要で、だからこそ戒なのだ、ということになるであろう。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈曹洞宗11〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

彼岸会の話 その1(平成31年度春)

$
0
0
今日から、平成最後の彼岸会となる。なお、今年は3月21日が春分の日となるのでその前後3日間を含めた7日間が彼岸会となる。そこで、幾つかのことを学んでおきたい。

三月 春季彼岸会 朝入七日の間初中後は精進して身口意を慎み、威丈大切に謹むべし。中日は特に重し。前日に磨物御掃除、御花立て替、前卓上卓ともに打敷白供笥に御花束又は御団子にてもよし。
 初日逮夜、御仏供備へ。立灯、焼香
 正信偈、中拍子、和讃、回り口、回向 願以此功徳
 御文 回り口 礼拝 蝋燭 灯明消
 正十二時に御仏供下 両手にて金障子しめ
 但し間の日は立燭ばかり焼香はなし
○翌晨朝兼日中 御掃除 御仏供備へ 立燭 焼香
 正信偈 中拍子 和讃 回り口 回向 願以此功徳
 御文 回り口 十二時御仏供 御花束下 荘厳払
    藤本慧眼『明治おきうじ式―在家内仏―』(法蔵館・明治31年)14~15頁

これは、内容などからすれば、真宗大谷派に於ける彼岸会に於ける内仏供養の方法ということらしい。正直なところ、覚如上人『改邪鈔』からすれば、一切の彼岸会の行持を行わないのでは?とも思っていたが、そういうわけでもないということか(この辺は、別の記事を見つけたので、この彼岸会中に採り上げておきたい)。

拙僧的にはよく分からないところもあるが、七日彼岸の初日には、仏供や立灯、焼香などを行いつつも、お唱えするのは親鸞聖人の『正信偈』で、後は『和讃』や蓮如上人の『御文』を唱えたようである。残念ながら、「回り口」の意味が分からなかったのだが、ネットで調べてみると、「お唱えする文献の内容を、毎日順次読み進めていくこと」であるらしい。我々も、全部で五章ある『修証義』を、毎日の晩課などで順次読み進めることもあるが、それを指すものか。

それから、回向文だが、『妙法蓮華経』「化城喩品」の一節であるらしい。真宗には真宗の「普回向」があると思うが、この辺は大乗仏教諸宗派通用と言って良い普回向を用いているようである。

また、2日目からの供養についても、お唱えなどは基本同じである。途中に出ている「兼日」というのは、「きまった期日より前の日。また、それ以前の時」を指すのだが、この場合はあくまでも七日間に於ける日中の作法になるから、後者の「それ以前の時」になるのであろう。

この内容からは、何故このような供養を行うのか、理由が分からないが、それは先にも指摘した通りで、別の資料を用いて考えてみたい。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈仏教12〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

ロシアで偽ニュース禁止法が成立したそうで・・・

$
0
0
ロシアで偽ニュース禁止法成立 ネット言論規制の恐れ(共同通信)

ロシアのプーチン大統領は3月18日、議会上下両院が可決したインターネット上の偽ニュースを禁止する法案に署名したそうで、法律は成立したようです。

なお、大統領の諮問機関「市民社会発展・人権評議会」は、「権力による恣意的な利用」の恐れを指摘しており、プーチン氏に署名しないよう求めていたようです。

また、テレビ、新聞など主要メディアが政府の影響下にあるロシアで、政権批判があふれているネット空間の言論が、今後「偽ニュース」を理由に規制される恐れが指摘されているという流れです。

よって、既に影響下にあるため、今回の法律による規制は、テレビや新聞などマスメディアは対象外となっているようです。

個人的には、今回の一件が「偽ニュース」なんじゃないか?とか思っておりますが・・・

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 ニュースブログへにほんブログ村 ニュースブログを1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

彼岸会の話 その2(平成31年度春)

$
0
0
昨日から、平成最後の彼岸会となっている。なお、今年は3月21日が春分の日となるのでその前後3日間を含めた7日間が彼岸会となる。そこで、幾つかのことを学んでおきたい。昨日は、真宗大谷派に於ける在家の勤行について、明治時代の作法を見てみたのだが、今日はほぼ同時代に於ける作法の思想的根拠などを見ておきたい。

 問ふ、真宗に於て常彼岸と云へり、其証拠ありや。
 答ふ、改邪鈔に云く、仏恩報謝の起行作業はせらるべきに依りて、行住坐臥を論ぜず、長時不退に彼岸に到るの行なりと。之に依て、常彼岸とすヽむるなり。其意は、他宗には彼岸ばかりに後世を願へばよき様に思へり。故に機に退転なき為に常彼岸を勧るなり。
    長岡乗薫編『通俗仏教百科全書』第3巻(顕道書院・明治27年)、234頁、句読点などを改める

常彼岸という言葉があるらしい。これは、我々曹洞宗では用いないと思う。そして、それを勧める理由として、ここでは覚如上人『改邪鈔』が挙げられているが、典拠は「この機のうへは、他力の安心よりもよほされて仏恩報謝の起行・作業はせらるべきによりて、行住坐臥を論ぜず、長時不退に到彼岸の謂あり」(『浄土真宗聖典』930頁)についてであろう。

そして、他力によって定まった安心に催されて、仏恩報謝の起行や作業は行われるべきであるとし、それは、どのような様子であっても、長時不退に到彼岸であるといい、これを「常彼岸」であるとしている。「長時不退」なのだから、確かにその通りであるといえよう。

それから、ここには更に、到彼岸が実現することの「前後」などの分別を破すという発想も見られる。例えば、一般的な宗派であれば、到彼岸とは死後に達するものであると考えられているという。ところが、真宗の場合には、機に退転が無いため、常に彼岸であるという。なるほど、この辺もまた、話としてはよく理解出来る。そして、常彼岸であるが故に、以下の問題が出てくる。

 問ふ、常彼岸なれば何故に春秋に彼岸の式を用ゆるや。
 答ふ、平等の上の差別なり。常彼岸と平等に勧むれども、懈怠の人は信心を取ず、又、法を聴聞せず。故に懈怠の人を勧ん為に諸宗通用彼岸式を用ゆるなり。
    前掲同著、234頁

ここで、常彼岸であるならば、何故彼岸会の作法を行うべきか?という問題が出てくる。これは、時代的に、【彼岸会の話 その1(平成31年度春)】への応答ともなっている。そこで、話としては2つである。1つは「平等の上の差別」である。また、もう1つは「懈怠の人を勧む」ためである。前者については、常彼岸とは常であるが故に平等一円の到彼岸となる。しかし、その上で敢えて差別(しゃべつ)として勧めることを求めている。

具体的な理由としては、「常彼岸」として救われたと思っていても、その他力の本願を立てられた阿弥陀仏への信心が起きない場合があることを問題視し、よって、諸宗通用の彼岸式を用いるとしている。昨日見た記事にしても、確かに諸宗通用という話は理解出来る。ただし、唱える内容は、真宗独自のものとなっている。

それから、気になるのは、大概他宗派の場合、ここで行われるのは先祖供養や墓参りだったりするのだが、どうもその辺は見えないようである。何故そうなっているかは、真宗の教義を考えると当然であると思われるが、もし、説明している文献があったならば、見ておきたいと思う。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈仏教12〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

大阪メトロ「堺筋線」の英訳が「サカイマッスル」?!

$
0
0
堺筋を「サカイマッスル」と誤訳 大阪メトロの公式サイト(共同通信)

大阪市の地下鉄を運行する大阪メトロの公式サイトの外国語ページで、路線名の「堺筋」を「Sakai muscle」(堺 筋肉)と誤って英訳していたと報じられています。

なお、自動翻訳ソフトの利用が原因で、利用者からは複数の誤りが指摘されていました。大阪メトロではページを閉鎖して確認を進めているようえdす。

また、大阪メトロによれば、3月16日に、利用者から、堺筋の他にも「3両目」を「3 Eyes」、駅名の「天下茶屋」を「World Teahouse」などと誤って表記していると指摘があったそうです。

それで、とばっちりを受けたのは、マイクロソフト社であります。今回の公式サイトでは、作業の効率化のために米マイクロソフトの自動翻訳ソフトを利用していたそうです。

でも、1回は確認しますよね。まさかのサカイマッスルではねぇ。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 ニュースブログ 国内・地域ニュースへにほんブログ村 国内ニュースを1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

地下鉄サリン事件から24年

$
0
0
地下鉄サリンから24年=霞ケ関駅で犠牲者追悼-東京(時事通信)

オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件から、今日で24年となりました。

この事件は、史上初の毒ガステロ事件であり、13人が死亡し、6000人以上が負傷しました。

なお、東京都千代田区の東京メトロ(旧営団地下鉄)霞ケ関駅では、駅員約15人が黙とうをささげ、犠牲者を追悼しています。拙僧も、本来人を救わねばならない宗教が起こした事件で被害に遭われた方に対し、心から哀悼の意を表します。

ところで、今年の場合、昨年までと決定的な違いは、この事件の首謀者や実行者であったオウム真理教の教祖や主要幹部などの13人に対して、昨年7月に死刑が執行されたことです。

確かに、同教団を巡る事件そのものの裁判は終了し、地下鉄サリン事件についても、既に法的には処理が終わっています。しかし、やはり教祖である麻原彰晃が処刑されただけに、事件の真相の解明という観点では、やや疑問も残り続けます。

それから、やはり再発防止に努めなくてはなりません。オウム真理教の後継団体への対応も従来通り続けられるべきでしょう。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 ニュースブログ 国内・地域ニュースへにほんブログ村 国内ニュースを1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

厚生労働省の課長が韓国の空港でトラブル

$
0
0
厚生労働省課長、韓国でトラブル 空港で暴行、ヘイト発言か(共同通信)

厚生労働省は3月20日、私用で韓国に渡航していた武田康祐賃金課長(47)が韓国・金浦空港で職員とトラブルを起こし、現地警察の取り調べを受けたと発表し、同日付で官房付とする人事異動を発令しました。事実上の更迭になります。

厚労省幹部によれば、この武田氏は、酒に酔っていたと空港職員に判断され、最後に乗るように促されたようですが、それが不服でいざこざが起き、結果として空港職員に暴行した上「韓国人は嫌いだ」などと暴言を吐いた疑いがあるとのこと。

なお、武田氏は韓国警察に一時拘束されたが、釈放され、現在は帰国しています。

武田氏は3月16日から有給休暇を利用して渡航しており、トラブルを起こした当日の19日、自身のフェイスブックに「なぜか警察に拘束されてます。殴られてけがをしました。手錠をかけられ5人に抱えられ。変な国です」と投稿していました。

それにしても、何なのでしょうかね?!

その様子を撮影した映像があるようですが、武田氏が大立ち回りをしている風に見えます。しかし、問題はその前からだったようなので、この件については、日本政府が適切に判断されれば良いと思いますね。

問題があったのなら武田氏を罰すれば良いし、無いのなら韓国に対して一民間人をいわれの無い理由で強圧的に扱ったことへ抗議すれば良いし、ただそれだけのことです。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 ニュースブログ 国内・地域ニュースへにほんブログ村 国内ニュースを1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

彼岸会の話 その3(平成31年度春)

$
0
0
今回は、平成最後の彼岸会となる。なお、今年は3月21日が春分の日となるのでその前後3日間を含めた7日間が彼岸会となる。そこで、幾つかのことを学んでおきたい。今日はお彼岸の中日である。

此彼岸と申は一体従此岸到彼岸と申す本名にて此生死の岸より向の菩提涅槃の岸に到ると云事より彼の岸を目的として彼岸と呼ぶ様になりましたので、是は仏語から出た事であり升から、暦抔を見ましても平がなにてひがんと書いてあつて此本字が遣つて有ません。兎に角暦抔にては其節を重んじた迄で有升。尤も春秋共に此彼岸の季節は一年中一番善い時にて軽寒軽暖、寒くもなければ暑くもなき真中の節であつて家に在つては年回仏事を営なみ寺に詣でては貴とき御法門を聞いて善根を培養うるに誠とに似てコイと云節であり舛。
    大石養淳『日蓮宗説教書』(北天教光社・明治42年)62~63頁、句読点を改める

本の題名から分かると思うが、これは日蓮宗の彼岸会に関する説法の一節である。ただし、上記内容のみを見ても、正直なところどこの宗派でも通用してしまう内容であろう。そうなるとこの内容についても、上記内容を超えて、宗派独自の供養法などがあるかどうかが問題となる。

そこで、以下の一節を確認しておきたい。

故に別してコー云彼岸の際には能く能く信心して我身の菩提心を増長せしめ、又遠く先祖代々已来の諸霊魂の得脱を計る様に勤めねばなりませぬ。ソレが今日の訓読に御披露申たる通り、能く是法華経を持つ者は釈尊自から我も分身の諸仏も過去の多宝如来も一切皆喜しむ。十方の現在の仏、又過去未来と云から惣じて三世の諸仏をも見奉り供養し奉り、又は御歓喜せしめる事も出来るとの事である。
    前掲同著、65~66頁

なるほど、この辺が日蓮宗に於ける彼岸会関連の宗旨ということになるだろう。つまり、我々自身の菩提心を増長させるのも、先祖代々の霊を解脱させるのも、また、諸仏が成仏するのも、皆、我々が『法華経』を持つことに由来するという。だが、これだけでは、儀礼としてどのように『法華経』を持つのかが分からない。そこで、この項目について更に見ておくと、以下のような一節がある。

この一節の冒頭には、「彼岸の部」とあるが、そこには『妙法蓮華経』の「如来神力品」の一節と、日蓮聖人にかかるとされる『彼岸抄』から一節を引いているが、これは説法のための引用文であり、儀礼に関わるとは思えない。それから、どうもウチの宗派のような儀礼や軌範集のような文献が無いようなので、分からない。元々、彼岸会についてはよく分からないところが多いから、致し方ないのかもしれない・・・

『法華経』を持つというのは、結局、受持・読・誦・解説・書写したり、或いは「如説修行」とか「供養」が必要ということなのだろうから、或る意味法華門徒的には日常的な延長線上に、彼岸会があるということか・・・

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈仏教12〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

日本史上最高の打者イチロー選手が現役引退 45歳150日

$
0
0
イチロー現役引退 28年目「後悔ない」(共同通信)

日米通算4367安打の大記録を持ち、日本史上最高の打者であったイチロー選手(45歳、シアトルマリナーズ、本名:鈴木一朗)がMLBアスレチックスとの開幕第2戦後に東京都内で記者会見し、現役引退を表明しました。

メジャー19年目となるプロ28年目の今季、キャンプで結果を出せずに決断したとし、この日の大歓声に「あんなものを見せられたら後悔などあろうはずがありません」と語りました。

昨年5月にチーム方針などから会長付特別補佐としてフロント入りしたものの、今年のキャンプで選手復帰していました。しかし、オープン戦から不振が続き、7年ぶりに日本で公式戦出場した20日の開幕戦でも1打数無安打、21日の2戦目も4打数無安打で途中交代するなどし、最後のシーズンは安打を記録することが出来ませんでした。

主要記録は以下の通りです。

7年連続首位打者(1994年 - 2000年)(NPB)
シーズン最多210安打(1994年)(NPB)※今は西武の秋山選手が216安打を記録していますが、試合数が違います。
シーズン最多262安打(2004年)(MLB)
デビュー以来10年連続200安打(2001年 - 2010年)(MLB)

などなど、もう挙げればキリが無いほどの記録ずくめです。50歳まで続けるという発言もありましたが、ここでの現役引退となりました。お疲れ様でした。ありがとうございました。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 ニュースブログへにほんブログ村 ニュースブログを1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

彼岸会の話 その4(平成31年度春)

$
0
0
今回は、平成最後の彼岸会となる。なお、今年は今日3月21日が春分の日となるのでその前後3日間を含めた7日間が彼岸会となる。そこで、幾つかのことを学んでおきたい。

人間はどうしても親の恩を受けて居るものであるから、死なれた親には追善回向をすると云ふ事に現はれて来るのは是は宜しい。併しながら生きて居る親に向つても、彼岸と云ふものは孝養の精神に甦らなければならぬ。お彼岸と云へば団子を拵へて位牌の前に上げるので、生きて居る親ナンかに関係はないと思ふは、是は非常な間違である。所が今は坊さんがやり出したのか、信者がやり出したのか知らんけれども、非常な意味の宏遠なものを、浅く狭く誤解して居る事が多いのである。お彼岸と云へば彼岸団子を連想し、お彼岸と云へば唯だお墓に参つて水を石の上に浴せると云ふ事しか考へない。先祖を思ふことは無論の話、生ける温ある人に恩を報いると云ふことも無論であるが、併しそれが実は本当の彼岸ではないのである。
    本多日生『日蓮聖人の感激』(博文館・大正8年)329~330頁

これも、日蓮宗の記事である。そして、まずは親への孝養について説いている。拙僧も余り考えたことが無かったのだが、日蓮聖人という人は、孝養を説いた人だったらしい。非常に端的な教えだと思うのは、以下の一節などであろうか。

仏は法華経をさとらせ給いて、六道四生の父母孝養の功徳を身に備え給えり。
    『法蓮抄』

なるほど、これが彼岸会に於ける日蓮宗の立場であるといえようか。何だろう?後の時代の人の文章を引くよりも、日蓮聖人の孝養観を探っていった方が、彼岸会に於ける供養の意味が分かる気がしてきた。

孝経と申すに二あり。一には外典の孔子と申せし聖人の書に孝経あり。二には内典。今の法華経是れ也。内外異なれども其の意は是れ同じ。釈尊塵点劫の間修行して仏にならんとはげみしは何事ぞ。孝養の事也。
    同上

『孝経』というのは、中国の儒教で作られた孝養を説く典籍のことであると思っていたが、日蓮聖人は『法華経』もまた、孝を説く経典であるとしている。そして、釈尊は修行中は孝養に励み、その結果としての『法華経』を説いたという。しかし、『法華経』に孝養が説かれるのはどこであろうか?

第二の懺悔とは、父母に孝養し、師長を恭敬する、是れを第二の懺悔の法を修すと名く。
    『観普賢菩薩行法経』

「孝」という語句について、世尊が説いたものを探すと、ここしか無い。ただし、これは「法華三部経」の一つではあるが、『法華経』そのものでは無い。よって、典拠不明といえる。というか、何か重要な語句でもあるのだろうか?

さて、最初の本多師の文献に戻すが、本多師は「彼岸団子」とか、そういう世俗的慣習に重きを置かず、真実の「彼岸」を主張した。それは、「波羅蜜多」について研究し、独自に『大集経』を検討して、「堅固に檀波羅蜜乃至般若波羅蜜に安住す」(巻46「月蔵分第十四月幢神呪品第一」)という一節を受けてだと思うが、まさに信念堅固に「波羅蜜多」を努める必要があるという。

堅い信念を持っていれば、先祖供養もまた彼岸になるという。今日から春彼岸の後半に入るが、改めて信念堅固に努めたいものだ。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈仏教12〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

ピエール瀧容疑者にコカインを譲渡した通訳業の女を逮捕

$
0
0
瀧容疑者に薬物譲渡疑いで女逮捕 コカイン若干量(共同通信)

麻薬取締法違反の疑いで逮捕されたミュージシャン・俳優のピエール瀧容疑者(51、本名・瀧正則)にコカインを譲り渡したとして、関東信越厚生局麻薬取締部が3月22日までに同法違反の疑いで、横浜市の通訳業の田坂真樹容疑者(48)を逮捕したと報じられています。

捜査関係者によると、田坂容疑者と瀧容疑者は20年来の友人で、麻薬取締部が昨年秋から実施した内偵捜査でも交友関係を確認しており、過去にも複数回コカインを譲り渡していた可能性があり、入手先を捜査しているようです。

逮捕容疑ですが、は11日夜、横浜市の田坂容疑者の自宅近くで、瀧容疑者にコカイン若干量を譲り渡したものだそうです。

なお、この田坂容疑者ですが、テレビ東京系の「YOUは何しに日本へ?」に通訳として出演していたことでも話題になっております。

これは、従来から言われていた芋づる式で引っ張られた芋の1つなのでしょうかね。しかし、この人が供給源だったとすると、むしろ、田坂容疑者の方が中心なのかな?という感じもしますね。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 ニュースブログ 国内・地域ニュースへにほんブログ村 国内ニュースを1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

彼岸会の話 その5(平成31年度春)

$
0
0
今回は、平成最後の彼岸会となる。なお、今年は3月21日が春分の日となるのでその前後3日間を含めた7日間が彼岸会となる。そこで、幾つかのことを学んでおきたい。

  彼岸
 うつけたる小僧、用さきより帰りきて、「御新造さん、私は今日はじめて、彼岸と云ふものゝ姿を見ました」。
 新「何、お彼岸の姿をみたとへ、ヘイ、どんな形をして居ました」。
 小「ヘイ、いたち其のまゝでござりました」。
 新「どうしてお彼岸と云ふことが知れました」。
 小「ハイ、今日西原の畑中を通りますと、ひとりの百姓衆が、いたちに似たやうなけものを見つけ、棒を以つて打ち殺さんとしますると、ひとりの百姓衆が、『これ彼岸じや、殺してはいかん、彼岸じやよ、彼岸じやよ』と申しました。これではじめて彼岸の姿を見た」と申しました、と云ふた。
    年期小僧与太郎『大笑小僧百話』(大学館・明治39年)87~88頁

これは、本の題名から分かる通り、仏教の寺院で修行している修行僧の様々な笑い話を集めたものである。日本の昔話では、一定量ではあるが、修行僧(小僧)に関わるものが見えるが、類話は明治時代になっても需要があったということなのだろう。

さて、上記内容であるが、大体以下のような内容であった。まず、或る用件から帰ってきた小僧さんが、御新造さんに対して、「今日初めて、彼岸を見ました」と告げたという。彼岸については、いうまでもなく、具体的に見られる形をしていないので、御新造さんは「どんな形でしたか?」と尋ねるのだが、小僧さんの答えは、畑でイタチらしきものを打ち殺そうとしていた百姓衆の中で、「彼岸だから殺してはいかん」と申した者がいたそうで、そのイタチらしき生き物を「彼岸」だと思ったと・・・

まぁ、笑い話であるから、このようなものだったのだろう。

もちろん、この百姓の中で、「彼岸じやよ」と言っていた理由は、彼岸会中だから、善行に励むべきであるということで、不殺生を説いたのであった。確かに、彼岸会中は在家であれば五戒くらいは護るべきなのだろう。

問題は、これをイタチの名前だと勘違いした小僧の方である。とはいえ、世界には似たような話が幾らでもある。それこそ、「カンガルー」に関する俗説(従来、カンガルーの意味は「分からない」ということだとされたが、今は「跳ぶもの」という意味だとされる)などもそうであろう。

しかし、この小僧に対する御新造さんのコメントが欲しいところであった。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈仏教12〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

読売新聞の記者が他社女性記者相手にセクハラで懲戒処分

$
0
0
読売新聞記者がセクハラ、富山 報道各社の懇親会で(共同通信)

読売新聞グループ本社は23日、読売新聞富山支局の男性記者(32)が報道各社の記者らとの懇親会で、他社の女性記者にセクハラ行為をしたと明らかにしました。

同社広報部では「被害に遭われた方、関係者の皆さまに深くおわびする。今後、再発防止に努めていく」とのコメントを出しています。

同社によれば、この懇親会は富山市内の飲食店で3月1日夜、複数の報道機関の記者らが参加して開かれたようで、読売の男性記者は酒に酔い、女性に性的な発言をしたり体を触ったりしており、女性らに止められても繰り返したとのこと。

同社が調査しセクハラがあったと認定したそうです。

男性記者を懲戒処分とし、支局長の監督責任も問う方針だそうです。

まぁ、このような席に出たこと自体が間違いでしたね。30代にもなって、酒の飲み方も知らんとは・・・

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 ニュースブログ 国内・地域ニュースへにほんブログ村 国内ニュースを1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

彼岸会の話 その6(平成31年度春)

$
0
0
今回は、平成最後の彼岸会となる。なお、今年は3月21日が春分の日となるのでその前後3日間を含めた7日間が彼岸会となる。そこで、幾つかのことを学んでおきたい。また、今日が今回の彼岸会最終日である。

ところで、曹洞宗の彼岸会について調べてみると、意外と資料的には少ない。明治時代に入ってからは、以下の文脈などから知られる。

彼岸会の事は諸清規に見る処なし。故に本規も亦之を掲載せず。然れども朝廷已に春分秋分を以て皇霊祭を修し玉ふことなれば、僧侶は無論、旧慣に拠て二期の彼岸に臨時の法会を営み、開山世代及び檀越の亡霊を普同供養し、且つ毎日説教を修して可なり。
    「春秋二季彼岸会」、『洞上行持軌範』「年分行持」項

ただし、冒頭であるように、「諸清規」に見るところはないわけである。明治時代に入り、国が「皇霊祭」を行うようになってから、この時期に儀礼を行うことに対し、積極的になったと思われるわけである。そんな中、以前【『彼岸之弁』参究】で採り上げた『彼岸之弁』については、江戸時代に曹洞宗関係者によって学ばれた彼岸会に関する記述として貴重といえよう。

なお、以前に【江戸時代の彼岸会の様子】で紹介した通り、江戸では庶民行事の1つとして、彼岸会の際のお参りがあった。よって、宗派の意向はともかくも、庶民には浸透していたわけである。

一方で、明治時代中期以降に入ると、以下のような彼岸会説教の記録が見られるようになる。

・高田道見先生『彼岸の由来』国母社・明治28年
・高田道見先生「彼岸法話」、『通俗仏教便覧』仏教館・明治39年
・森田悟由禅師「彼岸会垂示」、『永平悟由禅師法話集』鴻盟社・明治43年
・新井石禅禅師「彼岸会禅話」、『曹洞宗法話大全』鴻盟社・大正3年
・大内青巒居士「彼岸」、『人生の快楽』文昌堂・大正5年
・日置黙仙禅師「彼岸三昧」、『現代生活と禅』隆文館図書・大正9年

ただし、『洞上行持軌範』には「彼岸会」の行持が見えるけれども、来馬琢道老師『禅門宝鑑』(鴻盟社・明治44年)を見てみると「年分行持」には「彼岸会」が入っていない。江戸時代以前の清規を研究されていた来馬老師は、やはり、清規に見えない彼岸会を記録されなかったということなのだろう。

一方で、先に挙げたように、高田先生を始め、複数の宗門碩徳が、彼岸会について採り上げていることから、明治時代には彼岸会であっても、仏教行事として採り上げる必要が出てきたのであろう。それはまさしく、皇霊祭を春分・秋分に行うことになり、祝日になったからに他ならない。その辺の事情について、以下の一節などはどうだろうか。

彼岸七日の間は、寺院に有りては説教及びそれぞれの法要を修行し、一般の信徒は専ら仏寺仏堂に参拝し、又は自家に於て先祖の祭りを修することになつて居る。皇室に於かせられても、恰も中日に当る春分秋分の日を以て、春秋季の皇霊祭を行はせられ、大祭日として当日は各官衙各学校までも一般に休むことになつて居る。昔は今日の如く春秋皇霊祭と云ふ名は無かつたけれども、春分には春季の御読経と云ふことがあつて、勅命を以て高僧を朝廷に召されて読経をお勤めになり、また秋季も同様に行はれたものである。然るに明治四年以来、すべて仏教の法要に関したことは、御菩提所たる京都東山の泉涌寺へ御委託に相成り、今日では春分秋分の二季、即ち彼岸の中日に春秋の皇霊祭を営まれる。〈中略〉故に皇霊祭は報本反始の御趣意に基いて行はせらるゝもので、臣民たる者は此の御恒霊に倣ひ春秋二季の彼岸に必ず祖先の仏事供養を営むの美風を積まれたい。
    日置黙仙禅師「彼岸三昧」参照

この一節からは、明治期に於ける彼岸会の成り立ちと、皇霊祭との関わりが的確に示され、また、その中で一般世間の人々に対しても、善行たる先祖供養を営むべきことを示している。ただし、日置禅師の御垂示を拝見すると、当時の人々は祝日のみ享受し、先祖供養をしていないことに苦言を呈してもおられる。

現代に於いても、各御寺院の御努力で、彼岸会に於いて様々な法要が営まれている。世間の人からすると、御彼岸の中日もただの祝日くらいにしか思われていないとは考えられるが、上記のような成り立ちがあることに鑑み、仏教徒として大事にしておきたい期間である。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈仏教12〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

韓国の地裁が三菱重工の資産も差し押さえへ

$
0
0
韓国地裁、資産差し押さえ認める 三菱重工・挺身隊訴訟(共同通信)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190325-00000057-kyodonews-int

韓国の大田地裁は3月25日、元朝鮮女子勤労挺身隊員らが三菱重工業に賠償を求めた訴訟を巡り、韓国最高裁での敗訴確定後も賠償支払いを拒否している同社の資産差し押さえを認める決定を出したと報じられています。

同日午後に正式発表するようです。

なお、既報の通り、韓国の裁判所は1月にも、新日鉄住金の資産差し押さえを決定しており、元徴用工や元挺身隊員らによる訴訟での資産差し押さえは2件目となりました。日本政府が反発を強めるのは必至で、日韓関係の一層の悪化は避けられない見通しです。

そろそろ、日本政府も実効力のある対応が迫られます。

現行『改正施餓鬼作法〈甘露門・在家葬式法〉』成立に関する一試論

$
0
0
もしかしたら、ちゃんとした論文が存在しているかもしれない。ちょっと分からなかったので、拙僧なりに調べたことを、試論としてアップしておきたい。

そこで、現在の曹洞宗では、施食会の作法について、面山瑞方禅師の『甘露門』を用いているとされる。その経緯については、以下の一節をご覧いただければ分かると思う。

今按ずるに、禅林の清規に施食法の正文を載せたるは支那は幻住庵清規の開甘露門法、皇朝は瑩規の施餓鬼法のみなり。〈中略〉況や幻住清規を皇朝に翻刻せしは、元禄年間にして瑩規の刊行は延宝六年なれば、縦令清規に正文ありとも、世に之を知るもの希れなるを如何せん。中古以来禅林に行ふ処の施餓鬼法〈若人欲了知云々〉は、其の何人の撰述なるやを知らざれども……小規に無拠法と為して擯斥せしは卓見と謂ふべし〈中略〉面山の甘露門は密部の施諸餓鬼飲食及水法〈不空三蔵訳〉と称する儀規の全文に資り、外に発菩提心陀羅尼と宝楼閣根本陀羅尼と光明真言とを増加せるなり。無拠法には非ず。〈中略〉自今、洞上の施餓鬼には「若人欲了知」云云の式文を廃止し、現行の甘露門の末尾に「以此修行」の回向偈を加て式法を確定す。
    『洞上行持軌範』下巻「施餓鬼法」

諸清規に見へず、ただ瑩規に出たる式、如法なり。しかれども損闕、前後差違ををし。余、密部に依て考正し、甘露門を述し、別行印版して補す。
    『洞上僧堂清規行法鈔』巻5「別行法式十八条・施食法」

このようにあって、『施餓鬼作法』ではなくて、『甘露門』である。この点について、拙僧自身は調査の結果、江戸時代の『甘露門』版本を見ることが出来て、疑問は氷解した。おそらく、本書の成立は以下の通りである。なお、江戸時代の版本に加えて、国立国会図書館に収蔵される其中堂から明治16年に刊行された『甘露門』は、ネットの国会図書館デジタルライブラリーで容易に参照できる。

まず、面山禅師が編集されたのは『甘露門』のみであった。具体的には以下の項目となっている。

・奉請三宝
・招請発願
・普集餓鬼印咒
・開咽喉印咒
・加持飲食印咒
・甘露水印咒
・心水輪印咒
・五仏召請
・発菩提心印咒
・授菩薩戒印咒
・宝楼閣印咒
・光明灌頂印咒
・撥遣印咒
・回向(ただし現行の回向偈ではなく普回向と略三宝)

・口訣
・感応
・鑒戒
・跋
・奥書

現行の作法書と項目名が異なっていることが分かると思う。それから、現在の『改正施餓鬼作法』冒頭に見える「施餓鬼作法」は収録されていない。面山禅師におかれては、『洞上僧堂清規行法鈔』巻3「年分行法」に見える施餓鬼作法と、一部で伝わっている『施食法口訣』が該当するのであろう(拙僧自身は、この口訣のコピーを所持している)。そこで、現在の『続曹洞宗全書』に収録されている『改正施餓鬼作法』については、確かに面山禅師の『甘露門』を下敷きにはしているが、様々な作法を加えて成立した。

・施餓鬼作法
  大幡
  四天王幡
  五如来幡
  二十五流幡
・甘露門
  奉請三宝
  招請発願
  雲集鬼神招請陀羅尼
  破地獄門開咽喉陀羅尼
  無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼
  蒙甘露法味陀羅尼
  毘盧舎那一字心水輪観陀羅尼
  五如来宝号召請陀羅尼
  発菩提心陀羅尼
  授菩薩三摩耶戒陀羅尼
  大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼
  諸仏光明真言灌頂陀羅尼
  撥遣解脱陀羅尼
  回向(現行の回向偈と普回向・略三宝)

  口訣
  感応
  鑒戒
  跋
  奥書

以上である。ここで、「施餓鬼作法」についても、『甘露門』の内容・名称などについても、現行と同じであることが分かる。ところで、これは実は明治24年に原大泉師が編集された『施餓鬼作法〈甘露門・在家葬式法〉』と同じなのである。つまり、現行の『甘露門』は、実際には面山禅師編集本ではなくて、明治期に原師が編集した『施餓鬼作法』中の『甘露門』と同じなのである。更に、この時、「施餓鬼作法」の典拠は、『洞上行持軌範』巻中「大施餓鬼」項(本書38丁表~裏)及び、『洞上僧堂清規行法鈔』巻3「大施食法」(『曹洞宗全書』「清規」巻、121頁上下段)に基づいている。よって、全体としては、面山禅師の作法を参照してはいるが、実際には明治期の編集だったということになる。

そこで、各項目の名称についてだが、現行は「○○陀羅尼」となるが、面山禅師の場合は、先に挙げた明治16年刊行版と同じように、「○○印咒」であったと思われる。その証拠として、ご自身が遺された訓訣類(『洞上室内訓訣』)には「宝楼閣印咒」や「普供養秘印咒」などの語句が見え、手印を含む陀羅尼は「印咒」と呼ばれたと推定される。よって、やはり現行の作法は、少しく新しいのである。

なお、「在家葬式法」については、明らかに明治時代の加筆であったことも分かった。ただし、それは明治16年の『甘露門』からであった。そちらについてはまた、何かの機会に採り上げてみたい。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈曹洞宗11〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

高知市の路面電車で危うく正面衝突 重大インシデント発生

$
0
0
とさでん、電車同士が接近 単線区間、37メートルまで(共同通信)

3月25日午前11時45分ごろ、高知市の路面電車「とさでん交通」伊野線の単線区間で、上下の電車が約37メートルまで接近したそうです。

なお、いずれも1両編成だったとのこと。

今回の一件が原因となるけが人などはいませんでした。

しかし、国土交通省の運輸安全委員会では、正面衝突などの事故につながりかねない「重大インシデント」に当たるとして、26日に鉄道事故調査官2人を現地に派遣するとのこと。

更には、同社では2016年11月にも単線区間で、電車同士が約60メートルまで接近する同様の重大インシデントがあったとも報じられており、何か構造的な問題である可能性もありますね。

二度あることは三度ある、ともいいますので、この辺でちゃんとした対応策が採られるべきかと思います。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 ニュースブログ 国内・地域ニュースへにほんブログ村 国内ニュースを1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

改めて複数の戒名を貰う話

$
0
0
古来より、信仰心の篤い方の中には、複数回の授戒会に随喜される方がいる。そうなると、『血脈』・戒名、そして複数の法脈を得ることになる。問題はそれを、どう考えていくか、ということである。複数得ていたとしても、死ぬ時には1つしか使えない。一方で、仏弟子という観点からいえば、どの戒師から頂戴しても同じという見解もある。

その上で、現実的に採られる方策もある。今日はその辺を見ておきたい。

  三、戒名
 一度、授戒につけば、必ず戒師様から血脈に戒名をつけて下ることであるから、此次に入戒する時には、是非それを寺院に持参して、帳場へ申出るが宜しい。また入戒したことのない方でも、逆修と云つて、既戒名の貰てある方は、其を紙に書いて、帳場へお持ちになれば、帳場では、直にそれを帳面につけますが、若し其時に申出でがないと、又後で、戒名を一つ貰ふことになり、一人で戒名が二つも三つも出来て、自身が困るばかりでない、仏法を軽んずることになりますから、之は意を注けて貰はねばなりませぬ。
    来馬琢道老師編『曹洞宗授戒会戒弟の心得』(鴻盟社・明治38年)3頁

さて、この一節から、幾つかのことが理解出来る。まず、来馬老師は以前に【法名と戒名の関係についての雑考】で紹介した通りで、或る檀信徒が授戒せずに亡くなってしまった場合、その方に授ける名前のことを「法名」と呼んでいた。

一方で、上記一節の通りで、授戒会で貰う名前のことは、明確に「戒名」であるといっている。ここで、来馬老師が使い分けを考えていたことが分かる。

それから、上記一節のような、複数の戒名を貰う可能性がある場合に、それを避ける方法については、既に【授戒会を繰り返し修行した際の戒名の扱いについて】で紹介した通りで、指月慧印禅師が主張されていた。よって、来馬老師は、上記で参照した文献を直接読んだかどうかは分からないが、当時、現実的な対応策として、上記のことが行われていたのだろう。

また、ここから先ほど述べたような問題について、「戒名が複数付いてしまうこと」については、来馬老師は明らかに問題だと考えていたようである。この辺については、更に他の資料も当たってみたいところであるが、今回の記事はここまでである。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈曹洞宗11〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。
Viewing all 15737 articles
Browse latest View live