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<NPB2019>マリーンズは序盤2回で8失点 連敗続く

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メットライフドームで行われたライオンズ戦。

昨日は、ルーキー小島投手が初先発だったのですが、2回8失点とプロの洗礼を浴びました。なんか、出オチ、ならぬ出たら負け、の感じでした。

結果として、マリーンズはバルガス・レアード・角中の主軸3人が、それぞれツーランホームランを打ってくれましたが、序盤の失点が響いて6-8で負けました。

これで5連敗です。

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大東文化大学の准教授をハトやネズミを殺害した容疑で逮捕

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大東大の准教授、ハトに農薬容疑 同様事件の関連も捜査(共同通信)

農薬を混ぜた餌を公園にまいてハトを殺したとして、警視庁赤羽署は4月3日、鳥獣保護法違反の疑いで、東京都北区赤羽西、大東文化大の准教授藤井康成容疑者(51)を逮捕しました。

なお、この藤井容疑者は外国語学部英語学科の講師だったようですが、この4月1日付で准教授となったばかりだったようです。専門は会話や談話などの相互行為を考える「社会言語学」という分野のようです。

それで、逮捕容疑ですが、1月13日午前11時半ごろ、北区内の公園で、農業用の殺虫剤として使われる劇物「メソミル」を水に溶かしてコメに付け、ハト4羽に食べさせ殺したというものだそうですが、実際には2016年から同じような事件が十数回発生し、計約100羽のハトやスズメなどが毒物で殺されたとみられるようです。

まぁ、この辺も余罪ということになるのでしょうね。

だとすると、一発で懲役まで行くかな?しかし、動機が不明ですね。自分自身のストレスを、小動物への虐待で晴らしていた、とかいうのなら分かりやすいですけどね。

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荻生徂来『政談』に見る仏教教団統制法について

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日本に於いては本来、僧侶・尼僧の統制に「僧尼令」が定められ、その上で出家者の振る舞いなどが規定されていたのだが、結局10世紀を経る頃には、律令制は崩壊し、実質的に統制が取れなくなっていたという。然るに、江戸時代の儒学者である荻生徂来は、改めて国家による僧尼への統制を考えており、その結果、以下の主張が行われた。

 度牒再興せずんば、出家の治めはなりがたかるべし。古は三戒壇なれども、今は諸宗各別になりたる故、一宗一宗の本山に戒壇を立て、それより度牒を出すべき事也。第一僧に紛れ者あるまじ。出家の数も減少すべし。戒律の方より出家の奢やみ、殊勝になるべし。但し戒律を律宗の如くせば、諸宗に通用し難かるべし。律宗の規則は仏制なれども、時代の風俗殊の外に替り、国も別なるを、ただ形ばかり守りたるもの故、かえって偽り多し。ただ当時の風俗に合せて大乗戒を用い、奢をしずめ、僧の悪風を止むる事を主とすべし。これは学徳ある僧へ御相談ありて取立てさせ、その僧を早く越して本寺へ住持させ、国師・禅師・僧正にもなして導かせたらば速かに直るべき事也。
 総じて僧の治めは俗人よりはなりがたし。類の違いたるもの故に、公儀の仰付にても、俗人の下知は聞かぬもの也。祐天などのようなる僧は、人の帰依したる僧なれども、無学なる故、僧衆の方にては帰伏せず。学徳ありて、宗門の弊風を正したしを志したる僧を用うべき事なり。
    荻生徂来著・辻達也校注『政談』岩波文庫・1987年、328~329頁

まず、徂来は「度牒」発給について、それを再興しなければ、出家者を統治することが出来ないと述べているのである。かつての鑑真和上来日後、日本では奈良東大寺・下野薬師寺・筑前観世音寺の3箇寺に戒壇を設けて、出家者の数を統治していた。ところが、伝教大師最澄による建言などを受けて、比叡山に大乗戒壇の設置を認めて以来、徐々に規制緩和が進み、鎌倉仏教諸宗派に至っては、完全に独自に出家の制度を作るに至った。

そこで、徂来は、「一宗ごとの本山」にそれぞれ「戒壇」を立てて、そこから度牒を出すべきだとしたのである。おそらく、曹洞宗や浄土真宗などは、それぞれ、「どっちに戒壇を設置するのか?」で揉めたとは思うのだが、徂来の言うことには一理ある。なお、その結果として、僧に「紛れ者(かつての言い方なら私度僧、自称僧侶のこと)」が出なくて済むといい、また、出家者の数も減少することになるだろうと予想している。

また、戒律を学ぶようになれば、僧侶の奢り(余計な贅沢)も止んで、殊勝な振る舞いになることを期待している。この辺、以前にも拙ブログで『政談』を紹介した際に述べたとは思うが、徂来は基本、各階級に於ける「奢り」に基づく経済の無軌道な展開に疑義を呈しており、今回のもその基本線は堅持されている。

ところで、徂来の見識について、拙僧が改めて見直すようになったのは、ここで「律宗」に於ける律と、大乗菩薩戒に関する区別が正しく出来ているためであった。つまり、徂来はもし、出家を各宗派の本山に戒壇を置くことで統治するとしても、受ける戒律を「律宗」に準拠すれば、諸宗派での通用は難しいと述べているのである。また、律宗の『四分律』などが、「仏制」であることを良く承知していたようだが、一方で、時代の風俗(風習)は変化し、国もインドと日本の区別があるので、形ばかり守っても、誤った修行になる場合が多いとしている。この辺は「随方毘尼」の発想を採り入れていることが分かる。そこで、現在の風習に合わせて大乗戒を用い、とにかく奢りを鎮めて、僧侶の悪しき振る舞いを止めさせるべきだというのである。

その際には、各宗派に於いて、学徳ある僧侶を頼み、本山の住持とし、国師や禅師、僧正などの肩書を与えて指導させれば良いとしている。なるほど、これは確かに妙案かもしれない。

この件で、徂来は僧侶の統治は、俗人から行っても、上手く行かないことが指摘されている。公儀が幾ら言っても、俗人からの命令は聞かないとしている。確かに、仏教教団は伝統的に、権力構造からの離脱を目指し、かの中国であっても、王臣への不拝が取り沙汰されて、儒教も巻き込んだ大きな問題になったこともあった。そのため、伝統的に僧侶の中から、「僧官」のような立場の者を出させて、それに統治させたのである。江戸時代の法度なども、よくよく見てみると、最終的には本山や統治機関(曹洞宗ならば関三刹)などからの意見を受けつつ、一応幕府から下知を下し、最終的に、本山や統治期間から各寺院へ通達されるという手法を採った。

また、徂来の喩えで、祐天上人について出ているのは興味深い。かの、目黒区内に所在し、東急線の駅名にもなっている祐天寺の開山であり、浄土宗の僧侶として知られるが、学がある僧侶というよりは、その信心深さや霊験で評判になったのであった(拙ブログでは、【廃寺復興の生き仏 祐天上人(私的往生極楽記11)】という記事も書いておりますので、ご参考までにどうぞ)。しかし、祐天上人などのような者では、中々宗派内の者達が言うことを聞かないので、学徳ある僧侶に任せるべきだと徂来は述べたのであった。ところで、徂来の生没年は「1666~1728年」で、祐天上人は「1637~1718年」で重なっており、また、祐天上人は千葉県内の寺院(檀林)に住持したこともあった。徂来も父親の関係で、一時期千葉県内に住んでいたことがあったので、様々なところでその評判を聞いていたのだろう。

ついでに、学徳ある僧侶に宗派の統治を任せるという発想については、曹洞宗の宗統復古運動などを見て批評まで行った徂来だけあって、もしかしたら卍山道白禅師や梅峰竺信禅師のような人をイメージしていたのかもしれない。或いは、江戸時代初期の金地院崇伝や天海僧正か?

なお、曹洞宗の宗統復古運動の批評については、また記事を変えて採り上げたいと思っている。

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<NPB2019>マリーンズは10回表で勝負を決める

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ヤフオクドームで行われたソフトバンク戦。

マリーンズは先発した岩下投手が今季初先発でしたが、3回までに3失点と試合を作れず、3番に入った中村選手の先制ソロ本塁打を帳消しにするような状況でした。

結果として、9回終わった段階で3-3の同点。

そいて、延長10回無死1・2塁のチャンスで、角中選手はソフトバンク奥村投手の内角直球を強振すると、打球はライナーで右翼席へ入るスリーラン。これで連敗を5で止め、試合は7-3で勝利しました。

なお、昨日の段階でマリーンズの本塁打数は12球団1位となる14本になったようです。まぁ、シーズンが終わってみれば、やっぱり最少本数になっているとは思いますが・・・

連敗が続いていた状況、昨日は何とか勝てましたね。

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宮城県涌谷町長が死去 自殺か

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涌谷町長は自殺か 宮城(河北新報)

4月4日に死去した宮城県涌谷町の大橋信夫町長(69)は、自殺の可能性が高いと報じられています。

大橋氏は4日朝、軽トラックで自宅を出た後に連絡が取れなくなり、町で予定していた午前10時の会議まで登庁しないことから職員が遠田署に通報すると、午後3時50分ごろ、大橋氏の自宅から約500メートル離れた山林で意識がない状態で住民によって発見されました。

遺書は見つかっていません。

そこで、涌谷町は5日に会見し、副町長が空席のため、渡辺信明総務課長が職務代理者となると発表しました。町長選は町選挙管理委員会が通知を受けた日から50日以内に行われます。

今回死亡した大橋氏は涌谷町出身で、小牛田農林高卒で、1991年に町議に初当選し連続6期務めました。2008年から議長を務め、15年の前回町長選で初当選し、更に任期満了に伴う町長選(8月6日告示、11日投開票)への無所属での立候補を表明していたのですが、涌谷町は大きな問題が起きていました。

町は今年1月、従来通りの予算編成を続けると、2年後には町財政の赤字転落が予想されるとして「財政非常事態宣言」を出すなどし、更には公金を紛失した件で副町長が辞職するなどしていました。

決して、町長が一人で引き受けなくてはならないような事態では無かったと思うのですが、最近眠れていなかったという話もあるようですので、精神的に追い込まれていたのかもしれません。

今後、各地で起きるであろう地方自治の限界ですね。

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禅宗清規と戒法の関係性について

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禅宗に於ける「清規」とは、大小乗の戒律から博約折中して条文を作ったともされるが、実際には、禅宗叢林(禅林)の実態に即して、必要な事柄が取捨選択されつつ構築されたというのが正しいといえよう。そこで、ここ2年ほど拙ブログでは、仏教の戒律、禅宗の戒律(禅戒)などについて論じているのだが、ずっと気になっていることの1つに、禅林での戒法が、どう位置付けられ、機能しているか、ということである。

例えば、現存最古の禅宗清規とされる『禅苑清規』(1103年序、全10巻)では、第1巻の冒頭から「受戒」「護戒」という項目が続き、それらを虚心坦懐に見ると、新たな出家者を迎える儀礼が示されていることが分かる(具体的な戒法の授け方や、遮難などが書いてあるわけでは無いので、分かりにくいが、三衣や鉢盂の準備を促していることから、そう理解すべきであろう)。更には、第9巻には「沙弥受戒文」の項目があり、こちらは詳細なる作法が完備されている。そこで思うところは、授戒作法そのものは禅宗独自ではなくて、律宗と共通であったことだろう。一方で、「沙弥」については独自であっても良く(いわゆる白四羯磨を経ない作法であるため)、そちらは禅宗で独自のものを定めておいたため、作法が完備されている、という推測が成り立つ。

まずはここを梃子のようにして、後継の清規について検討してみたい。最初は中国で最もよく完備された清規と評価される『勅修百丈清規』である。『禅苑清規』の場合は、戒法に関する文脈が、複数の巻にまたがっていたが、『勅修百丈清規』の場合には下巻の「大衆章第七」に「沙弥得度」「新戒参堂」「登壇受戒」「護戒」と並んで掲載され(字句の整理が行われたくらいで、内容はほぼ『禅苑清規』と同じ)、「受戒」は「登壇受戒」と項目名が改まったものの、授戒法の詳細は示されていない。

なお、仏教に於ける「戒律」とは、ただ受けるのみ、或いはただ護るのみでは無くて、内容を正しく教育され、一人の僧侶(比丘・比丘尼)として成長していくことが求められる。その点、『禅苑清規』も『勅修百丈清規』も、「護戒」の項目で理念が示されつつ、具体的には「亀鏡文」や「一百二十問」(『禅苑清規』のみ)などを通して禅林に於ける振る舞い方などが教育されていたものと思われる。

ここから中国の清規は、僧侶の出家に伴う新たな比丘の受け入れ、教育までも網羅した「清規」であったということになろう。

それでは、日本というか、曹洞宗はどうだったのだろうか?

宗門の場合、道元禅師に『永平清規』全6編が残されるが、これらは叢林行持全体から見れば部分的な内容であって、今回論じる内容には適さず、網羅的な清規については瑩山紹瑾禅師の『瑩山清規』(上下2巻、1324年成立)を待たねばならない。ただ、両祖の清規と戒法の関係性を見ていくと、以下のようになる。

道元禅師の場合、『永平清規』からは、「日分行持」のほぼ全てが理解可能で、『永平広録』・『正法眼蔵』「安居」巻などを通して、「年分行持」も大体理解出来る。ただし、「月分行持」については瑩山禅師の『瑩山清規』も併せて見ていかないと分からないし、更に瑩山禅師の場合は『洞谷記』も見ないと分からない。

整理すると、道元禅師の場合、『永平清規』は禅林の諸進退や各役職(役寮)の理念などが主であり、戒法に関する事柄は直接は出てこない。ただし、別記として『出家略作法』や『正法眼蔵』「受戒」巻などから、出家の作法については「菩薩戒」を中心(『出家略作法』は一部声聞戒も含む)とした略作法ながら提示されている。その上で、僧侶教育という観点では、『対大己五夏闍黎法』が該当するといえよう。

同じように、瑩山禅師の場合、『瑩山清規』は「年分・月分・日分」と叢林行持が体系化されている反面(なお、中国でも『勅修百丈清規』の場合には、日分行持[日用軌範]と年分行持[項目名は「月分須知」だが内容は年分]は明らかに存在し、月分行持は分かりにくいものの「住持日用」の項目を丹念に見ていくと、大体ここが「月分」を示していると理解出来る)、新たな出家者に対する項目(受戒など)が無い。ただし、瑩山禅師も『出家授戒略作法』という『出家略作法』とほぼ同じような作法書を用いていたとも伝わるし、或いは『仏祖正伝菩薩戒作法』を用いていた可能性もある(『洞谷記』の記録では永平寺4世・義演禅師から作法書を伝授すると、阿波城万寺で授戒しているが、その最初は出家者であった)。また、『洞谷記』の流布本系統を見てみると、「発心作僧事」に出家者を受け入れる叢林側の対応法が示されており、更には、『瑩山清規』「日中行事」には「十二時中の行履、弁道法・赴粥飯・洗面法・洗浄法の如し。并びに寮中清規・参大已事師等に委曲なり。悉くこれを諳んずべし」とあって、道元禅師の教えを受けつつ、『寮中清規(おそらくは『衆寮箴規』のことであろう)』や、『参大己事師(おそらくは『対大己五夏闍黎法』であろう)』などが僧侶育成の軌範とされたと思われる。

以上のことから、曹洞宗黎明期には、僧侶の出家に関わる作法は別記であるが、僧侶教育の部分は「清規」の文脈の中に入っていたといえよう。

そして、その後の時代はどうだったのかというと、江戸時代についても基本は同じで、僧侶の出家作法が軌範に取り入れられることは一般的には無く、面山瑞方禅師『得度略作法』や、逆水洞流禅師『剃度直授菩薩戒儀軌』などが別記として刊行されたり、写本で伝わったりした。ただし、黄泉無著禅師『永平小清規翼』には「沙弥得度」の項目が設けられ、沙弥戒を含めた菩薩大戒授与も行われ、更には三衣なども授けられているから、これは比丘としての出家であったと見て良い。そうなると、江戸時代の末期まで来ると、清規の中に戒法が取り入れられる事態が垣間見えたということになる。しかし、『洞上行持軌範』では戒法の部分が一時的に遠のいてしまうことになったが、その後再度、『昭和改訂曹洞宗行持軌範』になると、各種得度式が制定されて、更に現行の『昭和修訂曹洞宗行持軌範』になると、出家得度式のみ(軌範には「寺族得度式」も載っているが、現在は同式を停止し、「寺族安名親授式」となっている)となった。

そうなると、宗門の軌範は、中国の清規のように戒法の要素を取り入れて現在の形になったということになるだろう。無論、更に詳細に見ていけば、様々な例外事項なども見えてくると思うが、大概は上記の通りである。

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<NPB2019>マリーンズは3回の本塁打攻勢でソフトバンクに快勝

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ヤフオク!ドームでのソフトバンク戦。

マリーンズは、初回に加藤選手のソロ本塁打が出て先制すると、3回にはその加藤選手の2打席連続本塁打を含めた3本塁打を集め、更にルーキー藤原選手にも初タイムリーが出て6得点。

なお、先発した二木投手が6回2失点と先発の仕事をし、今シーズン先発投手が初めて勝利投手となりました。7-3で戒勝です。

ソフトバンク相手に連勝です。

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猫は自分の名前を聞き分けているらしい・・・

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猫は自分の名前を把握=単に返事しないだけ-英科学誌(時事通信)

猫が自分の名前をちゃんと聞き分けているという論文が、日本の研究者によって発表されたそうで、イギリスで反響を呼んでいるようです。

ただし、猫は名前を呼ばれても返事しない場合が多いですが、それは単に猫の気分の問題だったと判断されたようです。

今回の論文ですが、上智大の齋藤慈子准教授らの研究チームが執筆したもので、猫が自分の名前と一般名詞などを聞き分けているかを調査し自分の飼い主だけでなく、見知らぬ人の音声でも、自分の名前を呼ばれたときには猫は耳や顔を動かすなどして聞き分けていることを示したとのこと。

そして、普段から自分の名前だけが呼ばれている一般家庭の猫だけでなく、猫カフェの猫も調査し、同様の結果が得られたようですが、この猫カフェの猫は自分の名前と他の同居する猫の名前を区別できていないということのようです。

それで、イギリスではメディアがこの論文を報道し、「猫の飼い主なら知っていることにようやく科学が追い付いた」などと指摘しているようです。

確かに、反応はありますからね。でも、自分の名前だと聞き分けているとは分かりませんでした。何となく反応しているのかと思っていましたが・・・

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授戒会に於ける説戒作法について

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以前にも拙ブログで用いた文脈だが、再度見ておきたかったので、採り上げておきたい。

午時しばらくあ(り)て説戒を始む。今日は初日なるゆゑ、別して欠くべからず。戒弟にも説戒あることを報じ、大小用等せさしめ、次に中央を少し避けて椅子を安ず。但し壇上を背にす。前に卓袱を設け、上に華炉燭を備ふ。時到て侍者、戒師に白し、法鼓三下す。これをきいて、戒弟・合山の大衆集り、椅子に近前して胡跪す。直壇は大衆の集り了を見て、説戒には睡魔を除き、寂静信心にして、難値の大法を拝聴すべき義と、をよび戒会中の意地等の理致の、よく知れる様に口宣す。
    指月慧印禅師『開戒会焼香侍者指揮』、『続曹洞宗全書』「清規」巻・476頁上段

これが、一応宗門で現存する最古の授戒会の作法書である。これはあくまでも、戒師をお招きする前の準備段階である。それでは、実際の進退はどうなっているのか、見ておきたい。

 戒師上殿するとき、大衆起立す。戒師壇前に焼香三拝か、もし深揖す。
 次に倚上に跗坐す。侍者等はその前卓を倚子の前に倚す。このとき戒頭すすみて揖香し、自位にかへる。直壇の人、このとき手磬を打す。大衆展坐具三拝、具上に跗坐して黙然す。
 説戒の中は、別して内外寂静にして、言語往来すべからず。若し放逸昏睡の人あらば、直壇それ親切に警覚すべし。
 戒師へ茶或は湯を進む。もとも直壇寮にて用意す。
 説戒了て手磬を打す。戒弟徐々として起立し三拝す。この時に当りて、師前の卓を前の方に倚す。
 戒師位を下て壇前に揖して帰る〈総じて戒師の出入のとき、侍者先に門簾等を揚ぐ〉。
    前掲同著・476頁上~下段

それで、拙僧が確認しておきたかったのは、以前に紹介した【「説教道場法」に関する一考察】のような説教道場法のような作法が存在したのかどうか、ということである。ところがこれを見る限り、手磬に合わせて大衆が展坐具三拝した後は、黙って戒師による説戒を聞くだけだったことが分かる。つまり、懺悔や三帰礼文などがなかったことを示しているのである。

まぁ、確かに七日加行の全体を考えてみると、第四日目か五日目の夜に「懺悔捨身」が行われており(これは、当時の授戒会に伝戒式がともに行われる場合に、懺悔のタイミングがずれたことに依る)、更に、第六日目の夜には授戒(正授道場)が行われる。そうなると、わざわざ説戒の段階で懺悔・三帰戒を行う意味が無いといえる。

よって、上記のような程度の作法だったのだろう。

ただし、拙僧の手元には江戸時代末期の授戒会作法もあるので、そちらも確認してみたいところであったが、もちろん説戒があることは示されているが、具体的な作法までは分からなかった。よって、その時々で決めていた可能性もある。この辺は、もう少し様々な文献から学びを進めなくてはならないのかもしれない。

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<NPB2019>マリーンズはソフトバンクのストレスを発散させて敗戦

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ヤフオク!ドームでのソフトバンク戦。

マリーンズは先発した有吉投手が3回までに3本塁打被弾を含む6失点。更に3番手で投げた東條投手が8回裏に4本塁打被弾を含む5失点。

打線も3安打に抑えられて、試合は1-11で大敗です。

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統一地方選2019は自民党の勝利かな?!

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道府県議選、自民前回議席上回る 立民30以上伸ばす、国民大幅減(共同通信)

統一地方選の41道府県議選は4月8日未明に2277の全議席が確定しました。

なお、自民党が各地で安定した戦いぶりで1158議席を獲得し、過半数に達しています。実際には、改選前の1280議席には届かなかったものの、前回2015年の獲得議席を上回るなどしており、強かったですね。

更には、旧民進党を源流とする立憲民主、国民民主両党では、立民が改選前議席から30以上伸ばしましたが、国民は低迷し、改選前の142から大幅に減らすなどしています。

公明党は目標通り全員当選を果たしたそうで、安定の宗教票といいたいところですが、関西の市議選(大阪市議・京都市議)などでは、常勝という時代の様子からは一変し、落選した方も出たようです。

そして、非改選の6都県を含め全都道府県議会に議席があった共産党は、愛知で議席を失い、全体としても改選前より減らしています。

地方政党としては、大阪府議選で政治団体「大阪維新の会」が50議席超で、最大勢力を維持しました。

ということで、国民民主党と共産党が負けた感じでしょうかね。自民党は負けはしなかったのでしょうし、今後の政局には影響無しですかね。

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今日は釈尊降誕会(平成31年度版)

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今日4月8日は、仏教を開いた釈尊の降誕会であるとされる。日本では、近代に入ってから「花祭り」などと呼ばれるようになったが、元々は「降誕会」「浴仏会」「灌仏会」などと呼称される法会であった。そこで、今日はその法会に因む説法を見ておきたい。

 仏誕生に拈香す。
 雨、雨を洗い、風、風を磨す。水緑花紅なり。
 釈迦老子、天を指し地を指して自ら言う、「天上天下唯我独尊」と。
 噫、然る従り、南瞻浮洲、荊棘生じ、諸人悩乱す。
 總持、雲門に令して行わせしめず。
 只だ一杓の悪水を驀頭に灑ぎ、諸人と報恩し去らんと要す。
 良久して曰く、
 稽首大聖、驢胎馬腹、馬腹驢胎。
    『通幻禅師語録』、『曹洞宗全書』「語録一」巻・71頁下段~72頁上段

これは、通幻寂霊禅師(1322~1391)が總持寺に住持している間の上堂であろうか。この語録は、上堂の順番が、やや分かりにくいところがあるし、これももしかすると、後の宗門の語録では「小仏事」などに入るものなのかもしれない。ただし、「總持」とあることから、通幻禅師が總持寺の住持であったいずれかの時(少なくとも3回以上の期間にわたって住持されており、詳細が分からない)に詠まれたものだとは言えよう。

内容だが、まず最初は雨が雨を洗ったり、風が風を磨したりするというのは、それがそれとしてあると言うことで、我々自身の本来のあり方に、仏法の功徳が何も欠けていないことをいう。その上で、通幻禅師は釈尊の「天上天下唯我独尊」を唱えたという伝承を取り上げつつ、この結果、我々人間世界には荊棘(いばら)が生じ、人々は大いに迷うことになったという。詳細は後述するが、これは「唯我独尊」というような考え方を批判したものである。

そして、中国雲門宗の雲門文偃であれば、釈尊が生まれたらすぐに殺して犬の餌にしてしまうのに、といっていたものの、通幻禅師はそうはさせないとし、生まれたばかりの釈尊に柄杓で汚れた水を頭から注いでさし上げて、皆と報恩しようという。そして、しばし無言の間を置かれてから、釈尊を讃えるかのように、その辺の動物から生まれてきたものだ、と喝破した。

これはつまり、禅門でいうところの「廓然無聖」の道理に従って、釈尊が生まれた一事を解釈した問答であるといえる。仏教に限らず多くの宗教であれば、教祖や開祖などと呼ばれる祖師に対しては、尊崇するのが当たり前である。だが、禅宗はそういった単純なカリスマ性やカリスマ性への無闇な鑽仰を批判する。その結果、「天上天下唯我独尊」と自ら言ったという釈尊に対しても、殺すまではしないものの、泥水をかけたり、特殊性を批判するような生まれであるとし、カリスマ性を批判したのである。

今日は釈尊降誕会であり、いわゆる三仏忌(三仏会)の1つであるというから、各地の仏教寺院では、灌仏・浴仏の準備をしている場合も多いと思う。だが、真実に仏道を学びたいのであれば、その甘茶なりをかける瞬間に、我々は一体何をしているのかを正しく知るべきであるといえる。

南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏、合掌

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日本カトリック司教協議会が国内聖職者の性的虐待を調査へ

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聖職者の性的虐待、国内で調査へ 日本カトリック司教協議会(共同通信)

カトリック教会の聖職者による未成年者への性的虐待問題が世界で相次ぎ発覚していることを受けて、日本カトリック司教協議会(高見三明会長)が国内で初めて本格的な実態調査に乗り出すと報じられています。

なお、この組織の概要などは、以下のサイトからご覧いただくと良いでしょう。

日本カトリック司教協議会

そして、同協議会広報課によると、東京都内で4月4日に開かれた常任司教委員会で、長崎をはじめとする全国16司教区を通じた内部調査を、早期に実施する方針を決めたとのことです。

また、そうなると、その調査が公平、かつ事実を決めるものかどうかが問われますが、報道では、具体的な方法や開始時期は今後詰め、外部に協力を求めることも検討するとされています。

そして、既に2002年と2012年に司教を対象に行ったアンケートでは、計5件の被害を確認したようですが、被害者への聞き取りや関係者の処分といった具体的な措置を取っていなかったということで、今回、改めて処分を含めた対応を行うということなのでしょう。

拙僧的には、教義的な根拠に欠ける、現在のような独身中心主義をこそ撤回すべきであると思いますけどね。

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日本の紙幣を一新へ 新1万円札は渋沢栄一氏

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新1万円札は渋沢栄一 政府、紙幣刷新へ(共同通信)

時代が平成から令和に変わろうという時に、更に日本の顔ともいえる紙幣が一新されるようです。

政府が数年後をめどに1万円札などの紙幣を刷新する方針を固めたと報じられています。なお、今日にも発表されるようです。

新しい1万円札には渋沢栄一、5千円札に津田梅子、千円札は北里柴三郎の3人を採用するとされ、明らかに明治時代の英傑というべき人を採用した様子が分かります。

そして、今回の刷新によって、最新の偽造防止技術を紙幣に反映させることが狙いとされています。なお、現在の1万円札、5千円札、千円札は2004年11月に改まったものですが、それから約20年ぶりの刷新となります。

いうまでもなく、渋沢栄一は日本の資本主義の父とされ、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)など数多くの企業を創立しました。1万円は1984年に聖徳太子から現在の福沢諭吉になってから、40年ぶりくらいの変更です。また、津田梅子は現在の津田塾大の創始者で、日本の女性教育の先駆けとなる人であり、北里柴三郎は日本近代医学の発展に貢献するなどし、その理念は北里大学や慶応大学医学部などに受け継がれています。

北里については、当時の東京帝国大学医学部の青山胤通と激しく対立したことは、それこそ漫画にまで取り上げられるほど有名でしたが、青山の方は紙幣になる見込みもないし、2人の勝負は現代でも決した感がありますな。

また、長らく1万円だった福沢諭吉については、当該紙幣について「ゆきち」と呼ぶなどされていたかと思うのですが、今後は「えいいち」になるのでしょうかね・・・

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雲門文偃の「世尊打殺話」は犯戒か?

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中国雲門宗の開祖である雲門文偃(864~949)には、次のような説法が伝わっている。

 挙す、世尊初めて生下し、一手天を指し一手地を指し、周行七歩して四方を目顧して云く、「天上天下唯我独尊」と。
 師云く、我れ当時若し見れば、一棒に打殺して狗子に与えて喫却させ、貴くは天下太平を図らん。
    『雲門匡真禅師広録』巻中「室中語要」

まぁ、知る人ぞ知るというべきで、まさしく禅僧の面目躍如というべき問答だといえよう。しかし、これを「昔ばなし法廷」宜しく、犯戒かどうかを検討するとどうなるのか?という話である。我々には、同様の事例として、かの南泉普願禅師が猫児を一刀の下に殺した「南泉斬猫話」について、犯戒かどうかを『正法眼蔵随聞記』にて道元禅師と懐奘禅師が議論したことが記録されている。

ただし、あちらとこちらで決定的に違うのは、南泉斬猫の場合には実際に猫を殺したのだろうと思う。だが、こちらの場合は以下のような意味である。

 雲門禅師が古い話を採り上げていわれるには、世尊(釈尊)が生まれて、片手で天を片手で地を指さし、周囲を七歩歩いて四方を目で見て「天上天下唯我独尊」と仰った。
 雲門禅師は、もし自分がその場にいれば、棒で殴り殺し、犬に喰わせて、天下太平を願ったのに、と仰った。

乱暴なのは分かる。だが、こうしたかった、という話であって、実際に殺害したわけではない。よって、あくまでも想定としての話であるが、実際に殺害されていたらどうなったのか?ということである。

まず、釈尊が生まれた直後に殺害されたということであれば、釈尊による仏教の戒律はまだ制定されておらず、仏教に於ける「不殺生戒」は破られないことになる。それから、生まれた直後の釈尊は、まだただの菩薩だから、いわゆる五逆罪にも問われないことだろう。

後は、たいがいどこの共同体でも、殺人は重罪だから、世俗の罪には問われたものだと思われる。しかも、相手はクシャトリアだから、それなりに重い罪になったことだろう。

しかし、問題はこの殺人の動機である。雲門禅師は「天下太平」を願ったという。世界の平和を求める場合の殺人は許容されるのだろうか?よく「究極の問い」として出される、目の前で核ミサイルのスイッチを押そうとしている独裁者相手に、1人の仏教者がいたとして、殺害するかどうかを問うことがある。これは、立場によって受け取り方が変わることになる問いで、非常に微妙ではある。雲門禅師がいう「天下太平」とは、仏教のような余計な構築的思想が行われないことをもって「天下太平」というのであって、或る種の道教的発想でもある。ただし、禅僧の一部には、それまでの教学参学を含めた一切の「はからい」を否定する場合があって、これもその一種だということが出来る。

そうなると、曹洞宗の場合には、雲門禅師級の「はからいの否定」はなされていないと思う。理由として、修行の肯定がなされており、その意味でのはからいは許容されるからである。そのためだろうか?道元禅師もこの雲門禅師の教えについては、中国曹洞宗の宏智正覚禅師が浴仏上堂で採り上げたのを引用(『永平広録』巻3-236上堂)することで実質的な孫引きになっているが、雲門禅師へのコメントは付されていないように見えるから、余り参考にはならない。

この雲門禅師の問答は、結構良く出来ていて、仏教的な教学や戒律が一切起きないところを問うものであるから、仏教の構築的な観念でもって処断することが出来ない。だから、「犯戒」かどうかは問われないことになる。犯戒では無いところで、罪の観念が出てくるかどうかというと、まぁ、悪事であったことにはなると思うし、『大智度論』では「十善戒」を「旧戒」とかいって、仏陀がいてもいなくても成立するというような言い方をしているのだが、その意味では十悪の1つにはなるといえる。

とりあえず、色々と考えてみたけれど、こんなことくらいかな?

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<NPB2019>マリーンズは今季初のサヨナラ勝ち

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ZOZOマリンで行われたオリックス戦。

マリーンズは先発した涌井投手が5回まで4失点と微妙な感じで降板。打線も打線で8回裏が終わった段階で2得点にとどまり、敗戦必至。

ところが、9回裏1死から3番中村がヒットで出ると、続く4番角中がセンターに特大の同点ツーランホームラン!!

その結果、10回裏1死満塁から鈴木選手にサヨナラタイムリーが出て勝利しました。

なんか、角中様々という感じですが、勝つのは良いことです。

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韓国メディアが新1万円札の肖像に決まった渋沢栄一を批判

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渋沢栄一の新1万円札採用を批判 韓国メディア「収奪の主役」(共同通信)

日本政府が新1万円札に実業家・渋沢栄一の肖像画を採用すると発表したことを受け、韓国メディアは渋沢が「日本の帝国主義時代に朝鮮半島の経済を奪い取った主役だった」と強調したそうです。

同国の聯合ニュースでは、渋沢が設立した第一銀行が大韓帝国時代の1902~04年に朝鮮半島で発行した紙幣にも渋沢の肖像画が使われたとし、「朝鮮半島の初めての近代的な紙幣に登場し、韓国に恥辱を抱かせた」と主張したとのこと。

また、KBSテレビも、朝鮮半島の収奪の歴史を象徴する人物の肖像を採用するのは「過去の歴史を否定する安倍政権の歴史修正主義が反映された可能性がある」との見方を伝えたそうです・・・

まぁ、日本というか、安倍首相のやることに、とにかく文句を付けたい人達だとは思いますが、あの時代の偉人で功罪相半ばしない人なんていないわけで、ここまで来ると、文句を言いたいだけのような気がします。かつての日本の政治家であれば、こういう文句が付くと、それなりに対応しようとかしたのかもしれませんが、本来ならば対応しなくても良いことですし、これまでの政治家が韓国を甘やかしすぎたのかもしれないですな。

よしんば、大韓帝国時代の経済に渋沢が関わり、それを韓国が負の要素であると思っていたとしても、同じように朝鮮半島に資本主義という観念を持ち込んだことにより、結果として現在の韓国経済があるという解釈も可能なわけで、日本のことを歴史修正主義だというのは、あちらの勝手ですが、結局はブーメランということになりそうですな。

それをいったら、これまでの日本の紙幣の肖像で、伊藤博文とか、福沢諭吉だって、問題視することが可能だったわけですよ。したのかもしれないけど、その批判を我々が知らないということは、結局ダブルスタンダードか何かだったんじゃないのかな・・・

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面山瑞方禅師の「在家葬式法」に関する一考察

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この考察に到る過程については、少し説明しなくてはならない。拙僧自身は、『続曹洞宗全書』「清規」巻に収録された『改正施餓鬼作法〈甘露門・在家葬式法〉』の関係で、様々な念誦作法に基づいた在家葬儀作法が、既に面山禅師の段階で成立していたと思っていた。ところが、この『続曹全』に収録されたテキストは、明治24年に原大泉師という方が編集されたものであり、面山禅師の時代と同一というのは、やや楽観的な希望に過ぎることが分かった。

そこで、改めて調べ直したところ、面山禅師には『送亡訓訣』という名前の切紙(訓訣)が『洞上室内訓訣』(『曹洞宗全書』「室中」巻所収)に収録していることが分かった。そこで、今日はそれを訓読してみながら、意義を考えてみたい。なお、訓読に際し、本来確認されている写本間の同異については論じない。

  送亡訓訣
 送亡を聞けば、則ち須く即時に牌を建て、焼香し菩薩三帰戒を授くべし。
 時至らば、霊龕に向かいて、則ち心仏及び衆生、是の三無差別の観に住し、無差別の光を発して、霊龕を照らせ。是れ、無上大涅槃、円明常寂照の境涯なり。
 因りて、法語を挙して、讃歎せよ。
 経に云く、「如来涅槃を証し、永く生死を断ず。若し至心に聴くこと有らば、まさに無量の楽を得べし」と。宜しく亡霊を以て如来に同じて、法語、此の偈の意を含むべし。
 法語畢りて、撥遣は常の如し。
 一仏国従り一仏国に至り送るの観に住するなり。
 牌を移す時、まさに宝楼閣印咒を以て安位すべし。諷経は宜しきに随うなり。
    延享二年乙丑三月   面山授

まずこれは、「送亡」とあるが、「亡者を送る」ということであり、特にこの場合は在家者相手の喪儀法ということになるだろう。どのようなことが行われているかといえば、亡者が出たと聞けば、すぐに位牌を立てて、焼香し、菩薩の三帰戒を授けるべきであるという。この「菩薩三帰戒」という概念がやや分からないが、面山禅師の『仏祖正伝大戒訣』巻下「第六直下菩薩十六条戒」項には、菩薩戒儀規関連の「三帰戒」が示されている。

それから、これは、喪儀作法の前に行われていることなのだろう。何故ならば、三帰戒を授けてから後、しばらくして「時至らば」として、『華厳経』「唯心偈」に基づく無差別光を発して、「無上大涅槃」云々(『六祖壇経』)の境涯に至るとしているのである。

また、法語を述べて、「如来証涅槃」(『大般涅槃経』巻22「光明遍照高貴徳王菩薩品第十之二」)の意義を、よく亡者に知らしめるという。

ところで、その後に「撥遣」をするというが、「撥遣」とは、「はじき出し遣る」というのが原意であって、この場合は亡者を涅槃に送ることを意味しているといえよう。それを面山禅師は具体的に、「一仏国から一仏国へ」としている。いわば、本具の仏性が十全に発揮されることを示すのみであるといえよう。

そして、『大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼』を唱えるが、これは今も同じように喪儀作法に於いて用いられるものである。ところで、面山禅師はその呼び方を『宝楼閣印咒』としている。これは、江戸時代及び明治16年刊の面山禅師『甘露門』の各陀羅尼の名称に一致しており、これが本来の呼び方であったと思われる。見ての通り、これは「安位諷経」の前提として行われ、諷経の際の経文は、適当であった。

ところで、この内容を見ると、いわゆる「授戒」「引導」「安位諷経」のみを強調している。また、思想的影響は、おそらく本師の損翁宗益禅師からもあると思われる。

余、住山以来、男女の為に下炬・擧钁を行ずるは、唯だ無上大涅槃・円明常寂照を以て、而も安身立命の処を讃歎するなり。未だ曾て一箇の迷妄凡夫を見ざる。
    『見聞宝永記』

これは、以前に【葬儀法をめぐって 曹洞宗VS黄檗宗(続・或る僧の修行日記2)】という記事でもアップしたことがあるので、詳細はそちらを参照していただきたい。ここで損翁禅師は、どのような在家信者であっても、必ず「無上大涅槃」云々の道理をもって、その安身立命の処を讃歎するという。面山禅師は、この教えを受けて、先のような訓訣を残されたのであろう。思っていたより、かなり簡潔だ。

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桜田義孝五輪相がようやく更迭される

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安倍首相、桜田義孝五輪相を更迭 震災復興巡り失言、政権へ打撃(共同通信)

安倍晋三首相は4月10日、桜田義孝五輪相(69、衆院千葉8区)を事実上、更迭しました。

これは、東京都内で開かれた自民党の高橋比奈子衆院議員(比例東北)のパーティーであいさつし、議員について「復興以上に大事」と述べるなど不適切発言が相次いだそうで、責任を取らせる必要があると判断したようです。

これは、道路整備を巡る「忖度」に言及した塚田一郎元国土交通副大臣に続く更迭で、21日投開票の衆院大阪12区、沖縄3区両補欠選挙を控える安倍政権に打撃となるといえます。

なお、桜田氏の後任には鈴木俊一元五輪相を充てるとのこと。

まぁ、この方は様々な問題発言がありましたので、遅きに失した感じもあります。というか、他にも人がいると思いますし、いないのなら、そちらがもっと問題だと思う次第です。

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アレフとか伝統仏教教団の僧侶とかについての一部報道

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アレフに10億円支払い命令 オウム事件、未払い賠償金(共同通信)

オウム真理教による事件の被害者や遺族に賠償金を分配する「オウム真理教犯罪被害者支援機構」が、教団の後継団体「アレフ」に未払いの賠償金約10億2900万円の支払いを求めた訴訟の判決で、東京地裁(田中一彦裁判長)は10日、請求通り全額を支払うよう命じました。

そして、支援機構理事長の宇都宮健児弁護士は判決後に東京都内で記者会見し「判決に従って速やかに支払ってほしい」と話し、地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさん(72)は「いまだに苦しんでいる人がいる。多額の資産があると言われているのに、なぜ払わないのか分からない」と述べています。

確かに、資産があるのなら、支払わない理由が分からないですね。何か企んでいるのかな?とも思ってしまいますね。

ストーカー疑いで48歳僧侶逮捕「結婚詐欺だよな」(日刊スポーツ)

宮城県警岩沼署は4月10日、35歳の女性に繰り返してメッセージを送信し「結婚詐欺だよな」などと暴言を吐き、付きまとったとして、ストーカー規制法違反の疑いで登米市の僧侶・真壁巧容疑者(48)を逮捕しました。

逮捕容疑は3月27日から30日にかけて、女性に複数回、連続してメッセージを行い、「不倫してたわけだよな」など名誉を毀損する暴言に加え「謝罪に来やがれ、今すぐに」などと不要な要求を突きつけるなど、執拗にストーカー行為を繰り返していたとのこと。

何でしょうかね?というか、どちらの宗派の方なのか?ネットでは複数の宗派の名前が出ているようですが、分からないようなので、記事のみアップしておきます。

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