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啓蒙の江戸時代と『○○訓』

解説者として日頃テレビに出ておられ、軽妙な語り口から、一瞬、この人って?と思ってしまうけれども、実は東京大学で日本近世文学を教えておられるロバート・キャンベル教授が、岩波書店の『読書のすすめ(第14集)』に「「努力」の根っこ」というエッセイを寄稿しておられる。要は、「努力」という言葉について、幸田露伴『努力論』を読んだ後、この考え方、つまり「人間はどうして、何を目標にたえず努力するようにできているのか」を、江戸時代にまで遡って考えたエッセイといえる。要するに、努力の方法などを書いた「啓蒙書」は、江戸時代から多数存在していたというのである。

啓蒙といえば、「近代」の専有物に聞こえるかもしれないが、実際は江戸時代の「教訓」と相当するものであり、根っこがいっしょと言って差し支えない。江戸文学を内容の上からも普及の面からももっとも大きく支え、充実させた分野は何かというと、いわゆる教訓系統の作者であり、その作品群であったことは注目していいように思う。貝原益軒の『女大学』や『養生訓・和俗童子訓』を筆頭に、江戸中期から明治初年にいたるまで夥しい作品数が巷に現れ、読み継がれ、そして絶え間ない需要に促されて改題・再版され、流通していった。
    前掲同著、43〜44頁

拙ブログでも、今は休載しているけれども、貝原益軒『養生訓』を読み続けていたこともあったので、この「努力の啓蒙書」としての『養生訓』の役割については、なるほど言われて納得した感がある。そして、これらが長きにわたって「ベストセラー」であったというのは、今更乍らに、江戸時代の文化レベルの高さに驚いた次第である。おそらく、江戸や大阪など、一部の都市は、今の我々が住む都市と同じ位、様々な物が溢れ、情報が溢れていたに違いない。

男と女、士農工商、老人と青少年、人間それぞれの性差や類型やライフステージに応じてターゲットをしぼり、城下だけでなく農村などでも、生きる指針を実践的に説く教訓書は多数消費されていたのである。
    前掲同著、44頁

これまでも、貝原益軒の著作については、『養生訓・和俗童子訓』(岩波文庫)と、その前者の訳註になる講談社学術文庫本は持っていたのだが、つい先だって神田神保町を歩いていたら、『大和俗訓』(岩波文庫)、『慎思録』(講談社学術文庫)を見付けたので、買ってしまった。ただ、読んでいると、だいたい当時の人の問題意識なども伝わってくるし、どういう人として生きていこうかという指針も分かるので、重宝しているのである。無論、何故重宝するかといえば、そういう世間の人を相手に、僧侶がどのように布教していたのかを考えるためである。或いは、僧侶とて、人の生き方を説くわけだから、そういうところと、これら「教訓書」とは、目指す方向が似てくるのではないか?という思いもあるためである。ただ、残念ながら、当時の僧侶というのは、一般の人に法を説く場合には、ほとんど俗化された「因果応報論」に終始し、それが結果的に社会差別の助長に繋がった可能性まであるというのだから、現在では注意が必要だ。

ただ、今回のキャンベル先生の指摘は、ここに一つ「僧侶が書いた教訓書」という「市場」を見出させてくれたことが有り難い。現在でも、何とも微妙なタイトルを付けて、心が軽くなったりする本とか、ホッとしたりする本を刊行される諸老師がおられるけれども、当時もいたのではないか?と思うようになったのだ。そこで、『○○訓』と付いた書名を、曹洞宗関係で拾ってみた。とりあえず、内容も見た上での感想は最後に申し上げるとして、先ず手元で分かる限りの題名等を挙げよう。

・面山瑞方撰『受食五観訓蒙』1735年
・同上編『永平家訓』1739年
・同上撰『釈氏法衣訓』1768年
・一丈玄長撰『禅門同行訓』
・無住撰『禅門小僧訓』
・本秀幽蘭編『永平正宗訓』1841年

・・・この中で、いわゆる「○○訓」的傾向が最も強い著作というのは、内容から差別図書の扱いを受けている『禅門小僧訓』であったりする。逆にいえば、おそらく同著は、余程流行ったに違いない(無論、教訓書的内容に忠実だったからだ)。だからこそ、近年、差別図書であったと自覚されたとき、我々曹洞宗では同書について、厳しく内容を吟味する他はなかったのである。

後の著作は、ここで見ていきたい「○○訓」的内容でもない。何故、世間一般で流布したであろう「○○訓」と、我々の先輩が書いた「○○訓」との内容に相違があったかといえば、我々にとっての「○○訓」というのは「家訓」として、古来からいわれてきた物であった。いわば、我が宗派・流派であれば、このような学び方や、立ち居振る舞いをすべきであると、細かく定めるのが一般的であった。

言わく小参とは、家訓なり。家訓、多しと雖も、是に一・二を挙ぐ。
    『永平広録』巻8-小参20

我々は予め、「努力目標」を持つことで形成された集団であるため、江戸時代を待たなくてもとっくに類似した文献ばかりだったといえる。よって、逆に「家訓」を集成して、より広く一般的な、或いはせめて僧侶の内輪だけにでも使える参考書(教訓書)を作ろうとする意図が薄かったように思うのである。だから、拙僧は貴重な例外として鈴木正三の著作は、世間一般にも通用する「教訓書」として機能した可能性を感じる。

・『万民徳用』1巻・1631年
⇒同著は、「修行之念願」「三宝徳用」「四民日用」の三部からなるが、特に「四民日用」は、士農工商のそれぞれの身分に於ける日常の仕事が、如何にして「仏行」に通じるか示したものである。職分に於ける成果が、そのまま仏果に繋がるとしたのである。

・『麓草分』1巻・1654年以前
⇒正三が万安英種禅師に請われて書いたものである。十七条の教訓からなり、出家したての者から、住職に到るまで、その段階毎にどのように修行を進めるべきかを示した著作である。

ともに、「家訓」の伝統を受けて示されたものではあるが、本来的に家訓が、あくまでも「自派」の者を対象に説かれたものであるのに対し、正三のそれは、広く僧侶全体、或いは社会に向かって説かれているところで、それらとは一線を画する。よって、仏教書として広く流布した可能性を見たいのである。また、先だって【予言者・鈴木正三とパワースポット】という記事でも書いたように、正三は、社会に向かって広く刊行された「禅語録」の存在を述べている。

キャンベル先生の一文に触発されて、限られた資料の中で考察を進めてみたが、これはその気になれば、近代の曹洞宗教化学の実態を探るために、必要な研究になるようにも思う。ただ、拙僧ではその任に堪えがたいので、別の知識の参究を待ちたいと思う。

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